朝靄
「人の世の中というものに、困惑し、ときには息苦しくなる気持ちは分かるよ」
村長に呼ばれ、正式に精霊草採取の仕事を任せると伝えられたレオが帰り際のことだ。
相談役はレオを呼び止めて、そう言った。
そのときはまだ今ほど気持ちを隠せなかったから、見咎められたのだ。
渋々とレオは相談役を見る。
しかしそこに、窘めようといった感情はなかった。
「君の力になれないことを歯痒いと考えている者が、ご両親の他に、ここにもいると覚えておいてほしい」
ならば憐れみなのだ。
言葉でなら、なんとでも言える。いや、相談役は基本的に話を聞く側だ。なんでも無責任に安請け合いをすることはない。滅多に私情を口にしない。
だから、信じたかったのかもしれない。相談役の心配が真実だと。
けれど相談役の精霊は、雨上がりの項垂れた草木のような姿を浮かべていた。なんの反応も示さない。それで、具体的な何かが含まれているわけではないと気付き、白けて顔をそむけた。僅かでも期待したことを悟られたくなかったからだが、間に合わなかった。
無念めいた言葉が、立ち去るレオの背を追った。
「レオ、君の持つ耳の良さは、魔法使いからすれば非常に得難いものだ。それこそ祝福といってよいほどに」
この精霊の声が聞こえることについて、村長と相談役から人に知られないようにと言い含められたことだ。
特に魔法が決まってしまってからは、くどくどと言い聞かされた。知られれば余計な反感を買うだろうなどと、言われずとも想像がつくことをだ。
今しがたの相談役の言葉に、顔を顰める。
歯痒いだと言った相談役の口ぶりは、まるでその凝り固まった決まりに異議があるように思えた。
「魔法使いのくせに、変な人だ……」
この体質になってしまったのは、どう考えても森で迷った後だ。
あの、全ての精霊の上に在るようなものが、近くに立っただけでこのような体質になると知れれば、山に良からぬ考えの者を引き寄せると村長は考えた。
ふとレオは疑念が湧く。
相談役と村長は、あのとき、恐怖を感じていた。
精霊が姿を見せたなんて前代未聞だった。しかも、その精霊は怒りを見せるどころかレオを労り村に返してくれた。その時はレオもそう思っていたから、そう話したというのに、崇めているはずの二人が見せたのは暗い顔だ。
なにか人々に知らされていないことがあるんだろうか。
奇しくも、その答えを垣間見ることになった。
都から、魔法使いの一団が訪れた。
森の異常について調べるよう城から使わされたという。
その魔法使の一人が、村長と囁くように交わした会話。
「祖の力は、とうに失われている。我らから、呼びかける御名が奪われてしまったのだからな」
レオは意味が分からず混乱した。
ならば、相談役が黄金の意匠に問いかける呪文はなんなのかと。
今ならば少しだけ理解できる。
至る所に在る精霊に、魔法使い以外の人々が気付くことはない。それは、存在しないに等しいのだろうと。
そして存在しないはずのものが、姿を現したのだとしたら、魔法使いたちにとって震撼ものの出来事に違いなかった。
今朝は、より陰鬱な気持ちで、そんなことを思い返していた。それは始原の森に霧がかかっているように見えるせいだろう。
精霊の声も普段より静かだ。森の様子をレオは怪訝に思いつつも、精霊草を摘むとすぐに出て行く。
森の入り口は村の入り口でもある。
「後ろ暗いことでもしていたのか?」
木々の合間から出ると声がかけられ、レオは飛び上がった。ほとんど人通りなどない場所なのだ。
振り返れば、嫌味な笑みを浮かべた男たちが居た。裾の長い立派な布をまとっている一団。都の、魔法使いだ。
不快な気持ちを飲み込んでレオは頭を下げた。
「なんだその袋は、まだ森で悪さしているのではないだろうな」
「いえ、精霊草採取の仕事です」
「森で迷うようなお前が?」
乾いた笑いを聴きながらレオは歯を食いしばり耐える。
過去に災厄の力が溢れたと感じ取った都の魔法使いたちは、村を訪れたとき、まだ幼いレオを詰問した。
「精霊の怒りを買うことを、お前がしたのではないのか?」
その断罪するような物言いに、両親と共に震えながら彼らの咎めを項垂れて聞いた。
しかし、それが八つ当たりだと、確認のため森へ入る彼らの後をついていき、お喋りを聞いて知った。
「まったく、子供の悪戯でこんな僻地まで足を運ばねばならんとは」
「もう、なんの力も残ってなどいない、ただの森だというのに」
「なに、報告が楽でいいではないか」
「それもそうだ。さっさと終わらせて都で飲みたいものだな」
信じられない態度だった。
よりによって魔法使いが、精霊を否定するようなことを言い、嘲りに等しい笑い声をあげていた。
始原村の大人たちでさえ昔々の物語と考えているが、それでも嫌な顔を見せたほどだ。
怒りにかられて文句を言いそうになったレオを、相談役は止めた。その表情があまりに険しく、レオも大人しくしていることにした。
思えばあの時も、相談役に助けられたのだ。
虫の居所の悪い彼らを、原因を作ったレオが怒らせれば、見せしめに罪に問われていたのかもしれない。
あれから毎年、魔法使いらはやってくる。
しかし、今はその時期ではないはずだった。
「おお、そういえば奇特な魔法を得たのだったな」
「都まで噂は届いているぞ。誰も聞いたことのない魔法だと」
「ククッ……草が、生える、だけとな! ははは!」
わざとらしい笑い声が降りかかるままに、ただレオは俯いたまま聞く。
微かに霧を含んだ声が足元に絡みついた。
――みんな、悲しいの。
小さな精霊が伝えた、たどたどしい言葉で、森が陰鬱な霧をまとっていた原因が分かった。
こんな魔法使いたちでも、気配は精霊に影響するほどなのだ。
「レオだったか、ちょうどよい。村長へ伝えてこい」
許しが出るやレオは駆け出した。
村長宅に着くと相談役も居た。
レオが客の到来を告げると、一瞬、二人も隠し切れない感情を見せた。
「出迎えねばな。悪いがレオ、手伝ってくれるか」
すぐに気を取り直した村長に頷き、居間の荷物を片付けるのを手伝う。村長宅とて、そう広くはない。手作業のためや村民から預かった品の一時置場にもなっていた。
しかし、なんの連絡もなく訪れるなどレオの件以来である。
村長と相談役は揃って難しい顔をしていた。
「ようこそいらっしゃいました」
間もなく到着した魔法使いたちに、村長は表向きは友好な挨拶をする。用が済んだレオは礼をすると帰ろうとしたのだが呼び止められた。
ますます不安が膨れ上がる。室内に移動すると、魔法使いらと向かい合う村長らの背後に縮こまるようにして立った。
また、知りたくもない嫌なことを知らされるのだろうと想像したからだ。
やはり、その予想は当たった。
「最近、安定した数の精霊草を仕入れられるようだな」
だから呼び止められたのだと、レオは不安に喉を鳴らす。代表の魔法使いが意味ありげにレオを見た。
「見たこともない草っぱの魔法は、精霊草を見つけやすくなる魔法のようだ」
レオの鼓動が高まる。
「そんな魔法では……」
「そこでだ!」
魔法使いは発言を許す気はないとレオの言葉を遮った。村長だけを見て彼は言い放つ。
「採取量を増やすようにと、陛下のお達しだ」
相談役さえ反論の言葉を失った。
レオの魔法が、そうであるかどうかは関係ないのだ。
しかし、話はそれで終わらない。
「この森には、多くの資源が眠っているのは間違いない」
「それは、一体どういう……」
村長は唇を震わせながら意図を確かめようとするも、最後まで言葉にならなかった。
魔法使いは厳めしい顔付きに切り替える。
「彼の精霊は、子々孫々まで我らと共に歩み生きると誓った。そう城の契りの石碑にはある。未だ効力を失わず煌いていることが、その証だ。我らの危機に、わずかな土地を分け与えることを厭うことはあるまい」
ただ、村長たちを説き伏せるためだけの言葉だ。
レオは、凍った湖に落ちたように体が冷えるのを感じていた。
長く精霊の力に触れたものは、自ずと精霊力を帯びる。
だから始原の森にあるものは、石ころでさえも、どこか不思議な存在感を帯びているのは確かだ。
しかし季節ごとに生え変わる草などは、その期間が限られる。全てを毟り取れば、次の採取が危うい。
精霊次第で自然が生み出す奇跡を、作物のように扱おうというのだ――魔法使いが。
隠し切れない震えが、レオを襲った。
わずかでもなんでもない。
困っていると請われれば、精霊は分け与えるだろう。
だが、それで済むのか?
そのわずかの量が、一体どれだけの月日を重ねて力を帯びたか考えもしない。
精霊は、人を咎めはしない。
それで味を締めた人間は、完全に消し去るまで、都合よく奪いに来るだろう。
精霊は人を罰することなどない。
その果てに待つのは、この世から完全に精霊が消えた世界だ。
そうなってからでは遅いのに。
この場の誰よりも、どういう未来を呼び込むか、レオには感じられていた。
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