貧民魔法の守護精霊

 森の浅い場所で採取した精霊草を村長に渡して戻ってくるだけのことに、えらく時間を食ってしまった。詰めていた息を吐き、レオは足を止めた。

 村はずれにある、みすぼらしい小屋。荒地に放置されたようなこの一軒が、レオと両親の家だ。

 この先にも、変わる見通しはない。


 がたつく引き戸を開けると、そこが居間だ。

 土間に干し藁を編んだ敷物を置いただけの場所に座り込んだ、やつれた顔付きの両親は、戻った僕を見上げて微笑んだ。

 こんな僕でも、二人にとっては宝なのだと、両親の影からたまに精霊が伝えてくる。大した魔法を持たない両親の精霊が、絆を持つ子供へとはいえ、他者へとそうした感情を伝えられるのは、よっぽど強い想いという依り代があるからなのだ。

 だからこそ余計に、レオは惨めで、心を抉られるようで居たたまれない気持ちになる。


「精霊草は見つかったかい?」


 父親は息子に問いながらも、広げた竹の網目をなぞるように、手をぺたぺたと乗せていく。

 父が持つのは――番傘張りの魔法だ。


「うん。少しだけど」


 レオは頷きながら、小銭を食卓代わりの木箱の上に置いた。


「さすがはレオだ。ありがとう。レオのお陰で、今年も冬を温かく越せるよ」


 レオが仕事を始めるまでは、薪を手に入れるのも一苦労だった。父親は心の底から感謝の気持ちを滲ませる。どうにも据わりが悪くてレオは曖昧に頷いて目を逸らすが、そこには母親がいる。


「本当にレオは自慢の息子よ」


 母親も疲れたような笑顔をレオに向けると、手元に魔法を込め直した。

 紙片を固めて作った花に、蕩けた蝋をまぶしていく――造花の魔法だ。


 融通の利かない二人の魔法でも、レオには眩しくて仕方がない。

 しかし目を逸らしたくとも、小さな小屋でしかない家は一間しかなく、どこにも逃げ込む場所はなかった。自分に割り当てられた木箱に、荷物を置くふりで顔をそむける。

 いつしか感情を見せないようになってどれほど経つだろうか。

 それでも、特に母親は何かを機敏に感じ取る。一般的にも言われている、母子の精霊の繋がりが強いというのは本当なのだろう。今もまた心配そうにレオを振り返ったのが分かるのだが、そうしただけでまた俯いたのを横目にする。なんでもないとしか返さなくなったレオに、母はもう問い詰めることはない。

 荷物を置くと、内職で手一杯の両親に代わって食事の支度をするのがレオの役割だ。


 逃げ出すように裏手の川へ水汲みに出てから、ようやくレオは暗い気持ちを震える溜息に乗せて吐き出した。川の精霊が水音で隠してくれるから、張り詰めた気を緩めることのできる唯一の時だった。


 手のひらに生み出した花を川に流すと、水面の煌きが増す。こんな貢物でも精霊たちは喜んでくれる。


 虚しい過去の行動が甦った。


 この祝福が現れて以来、かつての精霊にレオは救いを求め続けた。精霊の存在が、自らの立つ場所さえ判別し辛くする森だ。そんな森の道筋さえ覚えてしまうほどに、レオは足繁く通った。もう一度、直に真意を聞きたいと渇望していた。


 そして救われることなどないと知った。

 いい加減、うとましく思ったのだろう。ある日そこらの小さな小さな精霊たちが集って、一斉に喚きたてたのだ。拙い言葉を必死に掻き集めて紡いだのは、レオの魔法が変わることなどない、変える必要などないということだった。

 大精霊はレオのような者になど小さな精霊から伝えるだけで十分と考えたのだ。


 その日、森の中でレオは泣き叫んだ。できれば、かの偉大な精霊には、祝福の言葉で恩に報いたかった。幸福の言葉を贈りたかった。

 けれど、レオに贈ることのできる最も強い感情は、絶望の慟哭だった。まるで応えるように、大粒の雨が降った。そうして再び森から追い出されたレオは、もう森深くへ出向くことはない。


 あの精霊はレオに顕れる祝福を知っていたはずだ。

 なのに、子供のレオに夢を見せるようなことを言った。精霊流のからかいにしても残酷で、罰であることを認めない訳にいかなかった。




 いつまで経っても、不意に思い出される悲しい記憶から逃げることはできない。

 外で調理した小さな鍋を持って室内へ戻る。


「本当は母さんの仕事なのに、いつも苦労をかけるわね」

「大した手間じゃないよ」

「それを言うなら、父さんが稼いでこれないからだよ。すまないな」

「もうすぐ僕も、自分の食費くらいは稼ぐから、気にしないで」


 お決まりの両親の労りの言葉にレオは淡々と返す。

 いつもこれだ。

 レオは小さな木椀に、気持ちを押し隠して黙々と粥をよそう。


 使い勝手の悪い魔法しか持たない者は、珍しいわけではない。特に目立つ魔法を持つ者は、相当な祝福を受けた存在であり、その方が珍しいくらいだ。

 それで世の中が回っているのだから、そこまで卑屈になる必要はない。

 だから例えば、大店の跡継ぎでもないなら、婚姻に際して魔法の良さが一番の判断基準になるほどではない。


 しかし、この何もない村の中でさえ、最も地味な魔法しか持たない二人が何を思ったのか夫婦となってしまった。そのせいで貧窮している。大自然の中にある村だが、周囲はそこらの荒野とは違い、人類の祖と言われる始原の力に守られている。そのお陰で、勝手に開墾して畑を広げることもできないのだ。

 精霊のせいではないのに、ときに、ごめんねと風に呟きが混ざる。




 人類は遠い過去に、この森から羽ばたき、人のためだけの大きな国を作った。

 それから日々、世から精霊は薄れ行き、魔法の力が届きづらくなっているとの話だ。この村の者には、想像がつき辛い話だった。

 とにかく、始原村が属していることになっている国の都は、ここからさほど遠くはない。我らこそが、この始原の地より生じた正当な精霊の末裔だと言い張るために、この地を守っているからだ。


 精霊どころか、その源であるものを、なにかの道具のように考えている風の彼らの感覚は、魔法に失望したレオでさえ不愉快に思えた。

 それは稀に訪れる、国の定めた始原の祖を讃える魔法使いたちの態度から感じているものだ。

 彼らは崇める祖のためといいつつ人心を惑わし、国のために従わせる使い魔だ。

 本物の魔法や精霊の力を忘れ、その存在を顧みず、力のみ行使しておきながら、よくも祖のためだと嘯ける。


 長いこと王家を守ってきた精霊の嘆きはいかほどだろうか。

 もしくはレオと同じく、希望を示して寄り添うことを諦めたのかもしれない。

 ただ存在を維持し続けてくれる限り、口を出すことも諦め、ただ人類が滅びゆく末を見守ることにしたのだろうか。


 教会とやらでは民を集めて、魔法使いが有り難い教えとやらを唱える。正しい行いをするよう、民へは当たり前のことを言いつつ、国に還元せよとの命令のようなものだ。


 まるで惑いの魔法を受けたように、一部の大人は感激する。その魔法を授けたのは、彼らが従えという人の王ではなく、始原の祖だろうに。賞賛を聞くべき祖は力を分けた精霊たちを残し、いつからか姿を消したというが、人々に呆れたのではないかとレオは感じていた。


 その説法の後、果実酒と草花を一口ずつ分け与えられる。果実酒は祖へ捧げる誓いの杯であり、草花は祖の力そのものだなどと偽って。


 しかし事実は違う。親指の先ほどの小さな黄色い真円。その草花は、どこにでも生えている邪魔な雑草の中で、人には毒性のないことだけが良い点のものだ。それを祖が与え給うた恵だと言って配っている。湯水のように金を使うという魔法使いが、ケチりたいために考えたものだと専らの噂だった。

 その草花に用いられるのは、もちろん――そこらに生えたタンポポだ。



 忌々しいことを思い出し顔を顰めそうになったところを、母の声が遮った。


「ありがとう。大した食材を用意できないけれど、レオの魔法のお陰でとっても華やかになって嬉しいわ」


 父も微笑んで頷きながら、椀を啜った。


 椀の中身は、柔らかくなるまで煮込んでさえ筋張った木の根や草が、絡まり合うように盛られているだけ。粗末な食事だ。


 その上に一つだけ、鮮やかな彩がある。小さな黄色い、草花。今しがた思い出していた魔法使いが配る花だ。

 鳥の羽が折り重なって円を描いたように、何重も花びらが重なっている。


 レオは指先に祈りを込めて、自分の椀に翳した。


「祖の祝福を」


 椀の上に、同じ花が乗っていた。

 寸分違わず出てくるタンポポ。

 世の精霊に失望してさえ、レオの魔法が消えることはなく、以前と変わらず精霊の存在も感じ取れるままだ。


 精霊に問いかけ顕現させる力を得る。

 魔法を行使するには周囲の精霊とは別に、特定の守護精霊が側に在る。祝福が決まるというのは、守護精霊が人を選ぶ儀式というわけだ。


 なのに、それだけがレオにはわからない。


 確実に何かの力を借りているのは確かなのに、自分自身の使う魔法を与える守護精霊さえ見えないほどの弱い存在、弱すぎる魔法――。


 黄色い花を口に入れると、舌の上に、やや苦みが広がる。花粉だろう苦みで胸の内に広がる痛みをかき消すように、花びらを噛みしめ、その苦みとともに飲み込んだ。


 僕の魔法は、これだけ。

 たった、これだけ。


 貧民魔法と呼ばれる両親の魔法でさえ、内職で小金が入る程度の価値はあるというのに。

 僕に顕れたのは、椀にタンポポを乗せるだけの魔法だった。


 レオは、食事の間中、胸中で絶望の言葉を紡ぎ続けた。

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