言の葉
レオと同じ年頃の少年が数人、前を遮ろうとして立ち止まる。
無視して通り過ぎようとするも、意地の悪い笑みを顔に張り付け、わざとらしく視界に入る。
偶然居合わせたときだけの彼らの遊びだ。
目障りなだけではある。
だが残念なことに、こんな狭い村にある道は少なく、稀というには出会う機会が多すぎる。
少年たちの一人が僅かに前に出て口を開いた。村一番の祝福持ちを両親に持つ者だ。
「まだ森のあれに頭をやられてるのか?」
彼だけは嘲笑うでも嫌がらせでもなく、素で問いかけてくる。それがますますレオに居心地の悪い思いをさせる。
森の精霊に魅入られてしまったと、彼は信じている。
森からの道なのだし、レオが他に行く場所などない。
村長からの依頼であることは知っているはずだが、それでさえ彼は、レオが口実に使っていると考えている節があった。
レオは説得する気はすっかり萎えていた。言い訳としか思われないなら、真面目に取り合ってなんになると思ってだ。
そもそも、レオが森に迷い込んだのは彼とのやり取りが元だ。
「弱虫じゃないなら、
「精霊に守られてる僕たちが森が怖いはずないじゃないか」
「だったら暗いから怖いのか? 一人で便所にも行けないんだよな?」
「そんなわけないだろ!」
幼い頃、どこにでもある子供の喧嘩だ。
精霊草は、普通の草が精霊の力の影響で不思議な力を持ったものを指す。黄金の輝きを放つほどとなれば最上級であり、例え精霊の力濃い始原の森であろうと浅い場所にはあり得ない。それを探すということは、元素の滝に近付くということ。
大人達が言い聞かせる恐ろしい話を、子供はしばしば肝試しに利用する。
あの後、自然と一緒に遊ぶこともなくなったのは、レオが森を徘徊していたからなのは事実だ。そしてレオが全く使えない魔法を得てからは、ただからかいの対象となった。
全てが面倒になっていたレオだが、無駄と思いつつも、一度だけ意図を確かめたことはある。解決できるなら、その方が面倒は減る。
「僕が精霊草を持ってこれなかったのを、有耶無耶にしたのが気にくわないんだろうけど、滝の近くまで近付いたのは本当だ。証拠がないから嘘だと言われてもしょうがないけど」
それに返ってきたのは驚いたことに、真面目な顔付きだ。
「奥まで行ったのは認める。だって、あれからレオはおかしくなったんだ」
ある意味、つまらない嫌がらせよりも衝撃を受けた。やはり僕は深入りした罰で気が触れてしまっただのだと、突きつけられたようだった。
一緒に遊んでいた子供たちとの間に、決定的な溝ができたのを知り、それは他の村人たちも同じなのだと悟った。
だから、口を結んでやり過ごすことにする。いつものように。
そして、いつものように、別の面倒ごとが交差するのも珍しいことではない。
レオは、ある影の動きを見つけて諦めの溜息をついた。
「こらーあんたらー!」
耳に障る甲高い声に、レオに遅れて苦い顔や舌打ちが少年らの間に出た。
声の主に対する面倒ごとだといった意見だけは、レオと少年らの間で共通のようだ。
「だから、彼を苛めるのはやめなさいよ!」
彼女は幼い正義感を燃やして、いじめっ子と、その対象と決めつけた者の間にずかずかと割って入る。いつもの行動を冷めた目で見ると、後のことを確かめることすらせず、レオは口を閉じて踵を返した。
「あ、ちょ、ちょっと、あんたもたまには言い返しなさいって!」
背中を追う言葉からなるべく距離を取るように急いだ。
魔法に満ちた世界だ。
人間が言葉というものを覚えたのは、精霊からの贈物であり、魔法を使う契約のための術でもあったからだ。
なんでも軽々しく口にしてよいものではない。
だというのに、彼女は考えなしで、無神経になんでも言葉を紡ぐ。
まだ、彼らとレオとの間に子供ならではの悪戯心でのやりとりだった微妙な雰囲気に、彼女は言霊を与えた。
苛める――そんな風に言葉として事実へと現出させてしまったのが、自分自身だと気が付いていない。子供だった彼らやレオの中に、これが他者を一方的に苛む排他的行為なのだと思い込ませたことを彼女は気にもかけていない。あれから何年も経った未だに。
おかげで、たまに聞こえる彼女にまとわりつく精霊の声には、レオへの同情のようなものが混じる。都度、気にしなくていい、あれは彼女の思い込みだと返すのにもうんざりしていた。
無神経に精霊たちの無垢な感情を刺激する彼女だが、それでもレオより村での地位は遥かに高い。
彼女に感謝しなくもないことといえば、文句を言うために彼らを足止めしてくれることだ。彼女の父親は、村の相談役でもある魔法使いだ。この村の者ならば、大なり小なり世話になる人で、彼らもその愛娘に強い態度は取れない。だから、その間に移動する。もちろん、だからといって常に逃げ切れるわけではない。
「もー待ってよー」
たまに彼女は、こうして追ってくる。
「まぁた、森へ深入りしてるって聞いてるよ? 散々叱られてるのに、懲りないよね。今度は、わたしを連れて行きなさい。あんただけじゃ頼りなくて心配だもの」
怪訝に横目で見てしまったのを、何をどう勘違いしたのか言い訳が続いた。
「あっ、別にあんたが心配なんじゃなくて、周りの大人たちがうるさいからよ。そうなんだから!」
彼女の善意の押し付けにレオは、既に腹立たしく思わなくなっている。
レオが彼女から受け取る印象への感想は、僕を気にかけているような振りで実際はなんにも見えていない子だ、という乾いたものだ。
彼女は自分が正しいことを言ってるから、彼らを止めることが出来ていると信じ切っていた。もう子供とは言い切れない、大人の役割を任されていく時期で、親から家業について伝えられる機会も増える。なぜ彼らが彼女に一歩引くのか、自然と、父親の人徳と功績のおかげということに考えは至りそうなものだ。そうでなくとも、子供の頃から側で見ているだろうに。
ある意味、彼女の精神は頑丈なんだろうと思えば羨ましくもあった。周囲に知らず傷ついているものがいても、当人が気付くことなどないのだろう。今、彼女の影で慌てている精霊に対してもそうだ。
――そんなこと言っちゃだめ!
そんな風に精霊は彼女を窘めるのだが、彼女に届いたためしはない。それで影はレオに伝えてくる。
――でも悪気はないの。
レオが不思議なのは、それでも多くの精霊たちは彼女を慕っていることだ。陽射しの下を歩くように堂々とした強い性格が、精霊たちには日向のように眩く映るらしい。
普段から、日差しの強い日には木漏れ日の存在が増すから、そういったものを好むのだろう。
精霊たちは寛容だ。
人々も精霊から分かれた存在だからと、寄り添おうとしてくれる。当の人間は忘れつつあるというのに健気に。
かなしい話だ。
レオがそう思うのには、多分に皮肉を含んでいる。
それでいつもは口を噤み続けるレオだが、一言返す気になっていた。
「もう何年も、森に深入りなんかしてないよ。聞いてないの?」
「え? 聞くって、なにを?」
面食らって立ち止まった彼女に、これ幸いと背を向けるとさらに足を早めた。
下手に掴まると、自分の事ばかり話すのを黙って聞いて頷いていなければならず、疲労は途方もない。話を途中で遮ろうものなら頬を膨らませて責め立て、レオが悪者にされる。なるべく暇そうな様子を見せず、関わらないのが一番の相手だと学んでいた。
「あー! なによ、また逃げるための言い訳なんでしょ!」
レオが何をしているのかも彼女が知らないのは、人の話を聞かないのだから驚きはしない。
だがレオは、彼女の父である相談役から度々薬草採取を頼まれてそこそこの月日が経っていた。忙しい身だろうが、相談役は家族を大切に想っているのは伝わるから、その日の出来事を家族との話題にしないというのは考え辛い。ときに母親らが道端でお喋りに興じているのを耳にする限りでは、食事中も弟たちと騒がしいというから、聞き逃しているのだろう。
始まりは、一年は前だろうか。
風邪を拗らせた彼女の母が、寝込んですっかり体力を失っていた。放っておいても元気になったかもしれないが、家の中でもやらなければならない仕事はたくさんある。長女の彼女はあの通りに大ざっぱだし、下の兄弟も歳が離れすぎて面倒のかかる時期で、長引くのは簡単に想像のつくことだった。そして長く臥せれば悪しきものを引き寄せやすくなる。
そんな事情があるから、相談役は止むを得ず誰かを頼ることにした。相談される側なのにと抵抗はあったようだが、少しでも回復を早め妻の気分を楽にしてやりたいと考えた相談役は、滋養強壮の効能を持つ精霊草を融通してほしいと村長に願っていた。
効能の高い精霊草は、採取に手間がかかり滅多なことでは出せない。質の良いほとんどは城へと献上する決まりになっている。もちろん相談役は、そこそこのものでよいから出せないかと相談していたのだが、幾ら恩があれど村長も手持ちの数を考えて悩んでいるようだった。
人の手で栽培できるものではないため、入手できる数が一定ではないからだ。
そんなところにレオは出くわしてしまった。
両親の代わりに都へ卸す民芸品を納品に訪れたレオは、少量で良ければ森の比較的浅い場所にあると口を出していた。
下手をすれば命にかかわるかもしれないことを目の前で聞いてしまっては、知らないふりは躊躇われた。それに、何事かに勘づいたらしい相談役の精霊が、雨に打たれる緑葉のように跳ねたのだ。さすが魔法使いである相談役は、他の人間ほど精霊の言葉に鈍感でも無頓着でもない。黙っていても、すぐに何かあると気付かれ問い詰められていただろう。後手に回れば面倒な言い訳をしなければならないのだから、先に言うしかない。
いつもそうだ。
僕に選択肢はない。
レオは品物を渡すとすぐに走り出した。歯噛みする顔を見られたくなかったからだ。本当のところは、もう二度と森に行きたいとは思わないでいた。こんなことでもなければ近付くことすらなかったはずだ。
そんなことを思い出したレオは、つい気分の悪さに俯いた。
あれから相談役はレオに深く感謝していると言った。その礼が、村長に掛け合って精霊草採取をレオの仕事にすることだった。
その理由を、レオは知っている。
大した魔法を持たない両親も、仕事は民芸品を作るくらいなのだ。それ以下の役立たずな魔法持ちのレオに、他に働き口の当てはない。
街の雑多な仕事からお零れを貰う未来しかなかった。
恐らくそれを憐れんでいた相談役は、これを機に村長に口添えをし、せめて精霊草採取の仕事を融通してくれたのだ。
感謝すべきなんだろう。
けれどレオは痛む胸を押さえる。
それは、一生が決められたようなものだった。
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