レオの精霊魔法

 あれは、なんだったんだろう。

 村に戻ってからは、夢だったのだろうかと思い、森に足繁く通った。また迷って心配をかけないように深く入り込むことはしないが、あの夢が現れてくれるのではないかという淡い期待からだ。


 あれは、なんだったんだ。

 その問いは、日に日にわだかまりとなっていった。


 あれは、なんのつもりだったんだ。

 そして今では、忌々しくそう吐き捨てる。




 あれから、早三年。

 魔法を授かる準成人の歳を迎えて一年が経った。

 大人の仲間入りをする準備期間だ。通常は親の仕事を引き継ぐために手伝いながら、授かった魔法の修練に励む。魔法が家の仕事に役立つか、別の職が向いているのかと探り、未来を保留された期間でもある。

 しかしほとんどの者は悩まない。大抵は、両親の魔法力に見合った力を持ち合わせて生まれてくるものだ。魔法力で立場が定められる世の中で、わざわざ楽に受け継ぐことのできる家の財産を放り出す愚か者も、そうそういない。


 家を出るとすれば、同等の魔法力であろうと親とは真逆の方向性だった場合だろう。それでも当人の希望があって初めて、役立つ職に移るか考えるくらいで、実際に移ることはほぼない。次の世代が祖父母と同系統に戻ることも多いためだ。


 レオが世の中の、続いてきたから続けるという決まり事に反吐が出る思いをするのは、その恩恵を受けないからという、みっともない理由でしかない。




 レオが元素の滝から戻ったとき、魔法使いが災厄と勘違いしたのは、あの時の精霊の魔法力が原因だった。あれほど壮大な存在だ。ただ迷い子を追い返すために現れただけで、森全体を覆うほどのものだったようで、それは王都にまで届いたらしい。

 それほどの突然に迸った奔流を、知らずに感ずれば不吉なものと捉えるのも仕方がない。


 まさしく、レオにとっては災厄そのものだった。


 それから二年後、魔法使いの家に、その年に準成人を迎える子供たちが集められた。レオが最も楽しみにしていた、魔法を授かる儀式だ。

 皆が期待と興奮に顔を紅潮させている。


 最後にレオの番がきた。

 魔法使いが精霊の祖を奉る祭壇を向き、壁に掛けられた飾りの中心を、真剣な眼差しで見つめる。人間に魔法を与える精霊の祖は、タンポポによく似た図案で表されるが、倍は花弁が多く大げさなものだ。


 その飾りに魔法使いが問いかける呪文を紡ぐと、側に立ってレオが差し出した手が淡い光に包まれた。じわりと体内で変化を感じる。これまで使われていなかった未熟な器官が開かれたのだ。

 目を開いて、魔法使いに促されるままに念じる。


「僕だけの魔法よ、その力を知らしめよ」


 唱えた途端に、手の中に小さな物体が収まっていた。

 現れた、祖を思わせる黄色い意匠に、周囲から感嘆の声が上がる。

 レオの高揚は困惑へと変わる。


 聞いた話と違う感覚だった。

 魔法を顕現させるには、それなりの労力を払う。大したことのない魔法なら、ちょっとした駆けっこの後のように胸が弾み、大きな魔法ならまるで重い荷物を担いで山を歩くような疲労感を伴う。


 なのに、全く、なんの抵抗もなく、それは形になっていた。

 横から急かすように声がかけられる。


「そ、それで? そいつはどうなるんだ?」


 それは僕が聞きたいと、レオは言いかけて止める。

 偉大な精霊に認められたなら、すごい魔法が与えられると思い込んでいた。

 喉に重しが詰められたように苦しくなるレオだが、どうにか呟く。


「……なにも」


 それは、そこにあるだけだ。

 手のひらに乗るのは、たんぽぽの花部分だけ。


 なんの効能もなく、ただ、生まれただけ。

 それ以上のことは何もないのだと、詠唱者であるレオには痛いほどに突きつけられた事実だった。


 レオは理解した。

 精霊たちの大切な場所を侵した僕を、彼らが許すはずはなかったんだ――と。



 ***



 鬱蒼とした枝葉に覆われた森の中だというのに、そこは鮮やかで瑞々しい緑に輝いている。精霊の生命力が強い場所に起こる現象だ。

 始原の森と呼ばれる、人には不可侵の領域。

 普段、森に入ることを許されているのは、その森を見守るために置かれた始原村の住人だけだ。


 その森に探し物をしているらしき人影がある。始原村に暮らす少年レオだ。子供

は森に入るなと咎められるが、成人を間近に控えたレオは、その仕事内容により許されている。


 レオは狩人よりも森に詳しくなっていた。もちろん彼らの追う獲物と、レオが追い求めていたものは別だから、視点が違うだけではある。

 それに、ある程度は移動範囲の決まった動物ではなく、レオは森の際全体を精霊を求めて彷徨った。そのせいで、たまに精霊草の採取を村長や相談役に頼まれるようになっていたのだ。


 皮肉なことだと思いながらレオは、ふと足元を見た。

 特に何があるわけではない。地を這うように生えているのは、どこにでもある雑草だ。気が付けば至る所に姿を現すので、邪魔だと毟られる筆頭だろう。人々、特に畑を持つ者にとっては厄介に思うものの一つに過ぎない。


 しかしレオは、その地を這うような草が黄色い花をつけているのを目にし、忌々しげに顔を歪めた。まるで憎んでさえいるようで、今にも唾棄するのではという強い感情をにじませる。

 

 だが、ふいと目を逸らすと、今しがた見せた感情が嘘だったかのように穏やかさを取り戻していた。穏やかというには、平坦すぎるだろうか。

 ときにこうして見せる以外に、レオは感情を隠して過ごすようになっていた。


 目的の植物を見つけたレオは、幾つかを選んで摘むとボロ袋にしまい足早に立ち去る。

 耳を塞ぐように、進む先以外へは決して目を向けないように、頑なな態度で。



 レオは、森に入るのが嫌いになっていた。

 あまりに精霊の力が強い場所だ。木々や風や木漏れ日が、強くざわつく。過敏になったレオの神経を逆なでし苛む。


 ――どうしたの? どうしてそんな顔をするの?


 そんな言葉を周囲の葉擦れが紡ぐ。耳を塞ごうが精霊の放つ魔法の声を振り切ることなどできはしない。騒々しさを振り切ってレオは急ぐ。

 思い出したくもない過去の出来事が嫌でも頭に浮かび、胸が締め付けられるように苦しくなるからだ。

 それは余りに美しく、残酷な夢となってしまっていた。


 なんの役にも立たない魔法しか持たないレオだが、なぜか魔法使い並みに精霊の声を聞く力が備わっていたからだ。


 自然とそこにある、普段は意識することなどないもののはずが、ときに声が聞こえすぎるのが息苦しくてたまらない。いつか偉大な精霊が助けてくれると信じていた幼いころは幸福に包まれていたが、今は違う。他の人間のように、精霊と存在を隔てられれば、どんなに楽だろう。これも魔法と合わせて、憧れは悪い感情ではないのだからと森に深入りした僕への罰なんだ――そんな風にレオは、失意で自らの内に籠ってしまっていた。

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