阿呆焼き

夏空蝉丸

第1話

(三セットで良いから予約して)

 彼女からこんなラインが来たのは、二月二十八日二十三時になろうかというタイミングだった。

 イケメンである俺としては、三セットと言わずに、好きなだけ予約してかまわないぜ。とでも返信をしたいところであるが、目を閉じて読まなかったことにする。スマホをベッドに放り投げ、今日も冷えるな。とか六畳一間のアパートの中で独り言を呟きながらエアコンのリモコンを探す。

 明日も早い。大した仕事じゃないが、給料を貰っている身。金額分の働きをするために夜更かしは厳禁だ。早々と寝床について英気を養わなければ。

 枕元にリモコンを置く。先ほど投げたスマホを取り、アラームをセットしながらベッドに潜り込んで、灯りを消そうとライトのスイッチの紐に手を伸ばす。

(お願いっ! 助けると思って)

 顔文字も無いやる気がなさそうな切羽詰まったラインが画面に表示された。

 今度は、既読マークをつけることもなく眠ろうとした。設定を開き、着信音が鳴らなくなるおやすみモードにしようとした。

 まさにその時、こちらの行動が見透かされていたかのように着信音が鳴り響いた。気付かないを振りして設定の変更をすることもできたかもしれない。それなのに、長年の習慣からなのか、指は勝手に動いて通話を受信する。

「なんで、既読無視するのっ!!」

 彼女の第一声に、反論したくなる怒りを抑えて冷静に諭すように声を絞り出す。

「お客様のおかけになった電話番号は……」

「今時、そんなネタ流行らんわっ、私が言ってるのは、どうして、既読無視したかってこと。き、ど、く、む、しっ」

「あんな、」

「何よ」

「奈落の底のダンジョンで見つけた幸運の壺、一万円で購入しないか?」

「はっ? 何言ってんの。どうして私がそんな胡散臭いもの買わなきゃいけないの。ありえない」

「だろ。こんなの俺が買えってラインしてきたら無視するだろ」

「あー、わかるぅ」

「騙されて買う奴って、阿呆だなって思ったりするだろ」

「あー、まぁ、そうだね」

「で、ここで質問。今の話の幸運の壺を阿呆焼きに置き換えてみたらどうなるでしょうか?」

「簡単ジャン。こんなの騙されてって……。って、阿呆焼きと幸運の壺は全然違うって、違うものを同じものとして代入したら絶対にダメだって。テストだったら0点だからね」

 スマホから聞こえてくる必死な声に多少同情をしなくもないが、同情だけでは生活できない。話をさっさと切り上げようと作戦を練っていると、

「ほら、壺って食べれないけど、阿呆焼きは食べられるじゃん? 三日くらい食べれるだけの量があるから」

 阿呆焼きとは、二月二十九日、うるう年ではない年は、三月一日の日付が変わる時間に三つずつまとめて踊り食いをすると縁起が良いとされるアホウドリの形をした和菓子、およびその風習のことだ。大きさは掌に乗る程度。小麦粉で作られた皮の中に白餡が入っている。細かい部分を省略して簡単に説明するならば、アホウドリの形をしたたい焼きだ。元来、鎌倉時代から平家の隠れ里に伝わっている由緒正しい行事で、阿呆焼きを行わなければ家系が滅びる伝説があるとか、無いとか。二千年には誰も知らなかった行事のはずだが、とある民俗学者が歴史的発見したことにより広まったとか、広められたとか、所謂、ビジネス的陰謀。

「そもそも、阿呆焼きって高すぎじゃね?」

「なに言ってんの。縁起が良いんだよ。多少高くてもいいじゃん」

 言い返されて頭がくらくらしてくる。金銭感覚が全くないのだろうか? 思わず反射的に問いただしてしまう。

「あのさ、たい焼きの値段知ってんの?」

「当たり前じゃん。売ってんだからさ」

「で?」

「二個で税込百二十八円」

「で、阿呆焼きは?」

 俺の矢継ぎ早の攻撃に彼女は口を閉ざす。いつもなら反射的に言い返してくる癖に、今回は珍しいくらいの沈黙に陥る。

「な、高いだろ。だから……」

「待ちなって。値段じゃないんだって。家系が滅びちゃうんだよ。お金の問題じゃないじゃない。それに、こうとも言うじゃん。食わぬ阿呆と食う阿呆、どうせ阿呆なら食わなきゃ損損♪」

 ノリで誤魔化そうとするが、騙されない。もう、絶対に騙されない。

「ま、食べるのは構わないけどさ、高いから無理。つか、一セットいくらでいくつ入ってんのよ」

「えー知りたい?」

「知らないで買えるかっ!」

「買ってくれるの?」

「買わないけどさ」

 なら、教えない。などと言ってくるかと思ったが、彼女は、素直に一セット二十一個入りで一万円だと白状した。

 単純計算で、一個が約四百七十六円。同じコンビニエンスストアーで売っているたい焼きが一個六十一円位とすると、七倍以上の価格だ。どう考えてもぼったくり。小学生だって、どっちを買うべきか迷うことのないほどの差。脳みその糖分を消費するまでもなく結論は決まっている。

「助けてよ。お願いだから……」

 さっさと電話を切って寝ようと思っていた。だが、泣き落としをされて無視ができるほど薄情ではない。自分でも愚かしいと思うが、あと少しだけ話に付き合うことにする。

「あのさ、この間、買ってあげただろ。冬なのにびっくり冷やし中華セット、限定売れ残り三十セット。どんな目にあったか想像できるだろ。ホント、名前に負けないほどびっくりだよ。こんな寒いのに冷やし中華を食べなきゃいけない罰ゲーム。」

「ええ、もちろん。想像できるに決まってる」

 殊勝な声で応えてくる。俺が体を震わせながら冷やし中華を一カ月間食べ続けたことを理解はしている。

「でもね、その結果、私がどうなったかは想像できないでしょ?」

「はっ?」

「ね、想像できないよね。とんでもない目にあったこと。あれだけ苦労して、それこそ友達に三十セット無理やり買わせて手に入れたものが、何だったと思う?」

 いろいろと引っかかる部分があるけど気にしないことにする。

「なんと、ね、表彰されたのよ」

「良かったじゃん」

「何も良くないぃぃぃ!」

 スマホの向こうから絶叫が聞こえてくる。

「本部の馬鹿、ちっともわかってない。あいつら、表彰状と楯を送ってきたの。お店に。そんなもの貰って嬉しいと思っているところが、常識を知らないって言うか、頭が悪いっていうか、せめて食べられるものでも送ってくるならば、まだ、許容範囲だってところだけどさ、現金が一番良いに決まってんじゃん。こっちがどれだけ自腹って、売り上げ達成させたと思ってんだ。あの屑ども」

「じゃあさ、もう協力しなきゃいいのでは? 営業の手間も省けるだろ」

「わかってない。ちっともわかってない。コンビニが営業しないってのは、オセロとかはさみ将棋ってこと」

 どうやら、売り上げが良くないと本部からの指導が入り、それでも業績が改善されないと、嫌がらせのように自店のすぐ傍に直営店を作られて潰されてしまうそうだ。

 切々とコンビニ業界の苦労を並べながらこちらの同情を得ようと手を変え品を変え説得をしてくる。ほだされてしまいそうになる。だが、俺の意思も強固だ。情だけでは生きていけない。さんざん今まで協力しているのに見返りがないことを忘れていない。

「今から、私がアパートに行くよ」

「申込用紙を持って、だろ。で、すぐに帰ると」

「帰らない。一緒に、阿呆焼き、食べてあげる」

「いや、別に一緒に食べたくないから」

 阿呆焼きを食べるときにはルールがある。俺が子供の頃には、一切知られていなかったのだが、今では日曜日の大家族アニメや未来のロボットが秘密道具であるスーパー阿呆焼きなど使用して世間に周知徹底されている。

「なんで~? 私に来てほしくないの?」

「そーゆー問題じゃなくってだな。踊り食いなんかしたくないってこと」

 阿呆焼きを発見した民俗学者曰く、阿呆焼きの正しい食べ方は、阿呆焼きを三つ口に突っ込み、両手を折り曲げて鳥の真似をしながら「あほ、あほ、あっほー」と叫びながら食べる必要があるとのこと。

 いや、ちょっと待て。阿呆焼きを口に入れながらどうやって叫ぶことができる? つか、阿呆焼きを三つも同時に突っ込むこと自体が無理だし、手を使わずに飲み込むことなど無理だろ。そのことを考えるたびに別の意味で叫びたくなる。ちなみに、スーパー阿呆焼きは、その無理難題を何とかする秘密道具である。

「どうしても嫌なの?」

「三万は無理だろ。常識的に考えて」

「ならさ、売れ残り予約を三セット一万五千でいいよ」

 売れ残り予約とは、売れ残ることを想定した三月二日の価格で予約することである。三月一日以前に食べないと縁起が悪いとされるため、かなりの割引で販売されるが、

「半額か?」

「半額だよ」

「メチャ、ぼったくりだな」

「本部が、ね」

 もう、彼女は商売っ気を隠す気もないらしい。必死さが漂ってくる。協力してあげたい。助けてあげたい。湧き上がってくる感情をこたつの上に置かれた財布が絶対に無理っと叫んで打ち消していく。


「悪いけど無理だな。じゃあね」

 呟くように言ってから電話を切る。

 いろいろと考えてみた。感情面、理性面、人間関係、恋愛力学、物理学、エネルギー保存の法則、アイドル総選挙。何処をどうとってみても、購入するべきとなる結論に達しない。彼女に悪印象を与えるかもしれないとしても、耐えることなどできない。「あほ、あほ、あっほー」などと言いながら、たい焼きの紛い物を食べるなど、誰も見ていないとしても恥ずかしすぎてできるはずがないじゃないか。

 そもそも、どんな巨大な力が働いたとしても、コマーシャルやネットで現実世界を捻じ曲げようと情報操作・ステルスマーケティングをしたとしても、みんな馬鹿じゃない。阿呆焼きを踊り食いなどするはずがない。

 そうだ。創られた情報に踊らされる必要などどこにもないのだ。俺は、俺らしく生きていればいいのだ。

 大きく深呼吸をする。

 余計なことを考えるのは無し。

 瞼に浮かびそうになるコンビニの風景を意識的に無視をして無の境地にいたろうとする。


 その時、部屋のチャイムが鳴った。ちょうど日付が変わった時刻。居留守をしようとすると二回目が鳴らされる。絶対に出てこい。そんな強い意志が感じられる。こんな真夜中にチャイムを鳴らされたら、俺はまだしも隣人に迷惑がかかる。仕方がなくベッドから出て、カーテンレールにひっかけてあったハンガーからコートを取り、トレーナーの上に羽織る。

 誰が来たかは想像がついている。チェーンでロックもせずにドアを開く。すると、予想通り彼女がコンビニの袋を二つ持って立っていた。

「や、」

 はにかんだ笑顔を作りながら当然の権利のように部屋に入ってくる。もちろん、俺が止められるはずもないし、止めるはずもない。

「とりあえず、テレビつけて」

 彼女は言いながら、テレビをつける。

「阿呆焼きなんて誰も食べているはずない。そう思ってるんじゃない?」

「そりゃそうだろ。こんなの創られたブームなんだよ」

「だったら、どうしてこんなに食べてるの?」

 テレビのチャンネルを変えてみるが、いくつかの番組で芸能人があほあほ言いながら阿呆焼きを食べている。

「こんなのやらせに決まってんじゃん。阿呆焼きを売るためのやらせ、マーケティングだよ。引っかかるのは情弱だけだって相場が決まっているのさ」

 俺がドヤ顔で言い返すと、彼女はスマホを突きつけてくる。そこには、インターネットの生放送が表示されている。とある超有名ユーチューバーが阿呆焼きを踊り食いをしている。

「ま、そんなネタやるユーチューバーもいるよね」

 反論すると、言い返す代わりに他の生放送でも同じ光景が見られることを見せてくる。さすがに、返答に困っていると唐突に部屋の窓ガラスを開く。


『あほ、あほ、あっほー』

 何処からともなく聞こえてきた。一回だけではない、何回もあらゆるところから聞こえてくる。幻聴が聞こえているんじゃないかと疑いたくなるほど合唱のような声が部屋の中に飛び込んでくる。

「じゃ、私たちも」

 彼女は阿呆焼きを三つ右手に持つと、左手で阿呆焼きが入ったコンビニ袋を押し付けてくる。どうしてこんなことになる? この世界、おかしくないか? 文句を並べたくなる。が、彼女の微笑みを見て、

「たまにはこんな日があってもいいかもしれない」

 俺は阿呆焼きを口にくわえる。


 彼女は日が昇る時刻にしっかり三万円徴収してから帰って行った。


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