第二十話 「勇者の相手は」
「てめぇ、なんでここに……っ」
唸るような声で、リュースはノアへと強く問いかける。そう遅くないうちに、森を抜けてくるだろうとは思っていたが。しかし、城の入り口からこの部屋に来るまでの間に、侵入者が来たと騒ぎが起きないのはおかしな話だった。
ノアは笑いもせず、銀色の瞳を冷たく凍らせたまま「手助けがあったからな」と警護長を見た。
「内部の者の手引きがあるとないとでは、多少労力が違うものだ」
ノアの言葉に、警護長は黙って項垂れたまま立ち尽くしている。ちらりとアレフィオスを見ると、戸惑った様子でやはり警護長を見つめていた。
(エリシアが、人質にとられてるから……か?)
人間に対し良い感情がないとは言え、魔王の客人を怪我させるわけにもいかなかったのか。ともあれ、今は警護長を問いただすよりも、差し迫った危機をどうするかが先決だ。
「あの……」
リュースが啖呵を切るよりも早く、アレフィオスが口を開いた。
「その女性を解放してください。彼女は、関係ありません」
ノアはアレフィオスをじろじろと眺めると、「ほう」と息をつくような音を出した。
「貴方が魔王か」
「そうです……。あの、その女性は普通の人間の方で」
言い募るアレフィオスの言葉を、ノアは空いている手のひらを向けて制した。小さく首を振ると、結われた髪がさらりと揺れて、光に煌めく。
「申し訳ないが、そちらの男に拐われたこちらの連れ二人を帰していただきたい。もし無事が確認できなければ……こちらとて考えはある」
「待ってください」
慌てて、アレフィオスは両手を振った。
「リュースさんはなにも、危害を加えるためにお二人を連れてきたわけじゃ……むしろ、逆で」
「別にそれはどうでも良いだろ」
面倒になり、今度はリュースがアレフィオスを遮った。じろりとノアを見やると、彼女はエリシアに向けていた剣を構え直した。
「……あんたんとこの王子様たちは無事だ。どうもあんたら、魔王が不老不死だと思い込んで、その秘密を探るためにここまで来たんだってな?」
それを聞いた途端、アレフィオスの表情が驚きに変わる。ノアは驚きこそしなかったものの、剣を握る手に力がこもったように見えた。
「貴様。殿下を尋問したのか」
「尋問……ってわけじゃねぇけどよ。あの王子さん、割りとべらべらいろいろ喋ってたぞ。あんたの、〈剣聖〉の血についてとかもな」
瞬間。
ノアの剣先が目の前に現れ、リュースは慌てて身を退いた。鼻先に鋭い痛みが走り、たらりと血が垂れる。幸い、傷は浅い。
「王家の秘密まで尋問したからには……貴様を放置しておくわけにはいかない」
「だからっ! あの野郎がぺらぺら勝手に喋りやがったんだってーのっ」
「殿下を野郎呼ばわりとは、どこまでも不敬なッ」
聞く耳もなく、ノアが次々と剣撃を放ってくるのを、リュースは慌ててかわし続けた。
「まじ……クソッ」
普通にやりあって勝てる相手ではない。しかも、気づけば剣も持っていない。どこに置いてきたのか――そもそも、いつから持っていなかっただろうか。
そんなことを考えている間に、背中と壁との距離が近くなる。追い詰められている――。
「ま、待ってくださいッ」
再びの言葉を、先程よりも大きな声でアレフィオスが怒鳴った。ぴたりと動きを止めた〈剣聖〉の剣先が、文字通りリュースの眼前で止まる。
声を震わせながら、それでも精一杯胸を張り、アレフィオスが宣言する。
「ど、どうしてもやるというなら……私が相手です……ッ」
冷たい色をした瞳をじろりと向けられ、アレフィオスの身体が震える。
「おまえ……無茶すんなよ……」
どうしても呆れた口調になってしまうリュースに、アレフィオスはいやいやをするように首を振った。
「無茶なんかじゃ、ないです……っ。かっ、可愛い甥っ子を、人身御供になんて……で、できるわけないじゃないですか……ッ」
おそらく、アレフィオスなりの精一杯の冗談であるのだろうが――「こんなとこで甥とか言い出すよ」とリュースは冷たくあしらった。案の定、訝しんでいるのかノアの剣を持つ手が少し緩む。
だが、その隙を突き、リュースはさっと壁と剣先の間を抜け出た。気がついたノアの剣が届かない位置まで、素早く移動する。
「……そこまで言うんじゃ、任せて良いんだろうな?」
「はい……勇者の相手は、昔から魔王って、相場が決まってるんです……っ」
震えながらも言いきるアレフィオスに、リュースはにやりと笑みを返した。
「そんじゃ……頼むぜ、魔王様よぉ!」
出口へ走り出すリュースを、ノアが追おうと身体を向ける――が。
そこに、一陣の鋭い風が吹き、行く手を阻んだ。
「なに……ッ」
「貴女の相手は……私です。勇者殿……!」
アレフィオスのその瞳が、黄金に光るのを見て――リュースは、玉座の間を後にした。
リュースが向かったのは、医務室だった。とにかく、あの王子と従者の二人が無事なのを見れば、少しはあの〈剣聖〉も落ち着くだろうと、階段を駆け降りる。
エリシアを置いてきたことに多少の不安はあったが、少なくともアレフィオスがノアを引きつけている間は無事だろう。
(へたれのくせに……かっこつけやがって)
笑えてしまう――震えながらアレフィオスが放った風弾は、リュースのものより格段に威力と精度が高いと、見ただけで知れた。本当に笑える。
医務室の扉が見えた。勢いよくリュースが開けると、エネトとシオン、そしてドクターのキョトンとした顔に迎え入れられた。「ちょっと」とドクターが怪訝な表情をする。
「そんなに息を切らして……なにかあったの?」
「ちょっと……な。――おい、おまえら。迎えが来たぞ」
「おお、そうか」
リュースの言葉に、エネトが鷹揚に頷く。その仕草は正直似合ってはいたが、その場違いにのんびりした様子に苛立ちが増す。
「さっさと帰る準備しろ」
エネトは、上半身を起こせるほどには回復したらしい。先程までよりは良い顔色をしながら、手に持った湯気を吐くカップを静かに――必要以上に優雅に――すすり、ふぅと息をつく。
「歩くのが面倒だ。庶民、ボクの身体に触れる栄誉を与えてやる。背負っていけ」
「い・や・な・こっ・た!」
一音一音きっぱりと言ってやると、エネトは小さく首を傾げた。実に、不思議そうに。シオンが質問を付け加えてくる。
「背負うより、抱き運ぶ方が好みですか?」
「なおさらお断りだッ」
リュースが地団駄を踏むと、「医務室では静かにしなさいよぉ」とドクターが嗜めてきた。
「なんにせよ、お迎えがいらっしゃったのよね? お帰りなのよね?」
そう確かめる声は、妙に嬉しそうだ。おそらく、マイペースな人間二人に参っていたのだろう。
「ここに、俺の剣はあるか?」
「え? あぁ……えーと、さっき見かけたから端っこに置いておいたんだけどぉ……」
キョロキョロと探し出すドクターの姿に、一先ずほっとする。のたのたとベッドの上で服を整えているエネトが、ふと声をかけてきた。
「おい、不死の件はどうなった?」
「あぁ? 今、それどころじゃ――」
ふと。壁際にいたアーティエと目が合う。アーティエはにこりとリュースに笑いかけてきた。その両手には、リュースの剣を抱えている。
「なんだ。おまえが持ってたのか」
言いながら手を伸ばすと、アーティエはすっとそれを避けた。
「まだ、返さないよ」
「あ?」
意味が分からず、思わず訊き返すと、アーティエはくすくすと笑い声を上げた。
「上に、〈剣聖〉が来ているんだろう? 魔王殿は、なんとか善戦しているようだけれどね。まぁ――歴戦の剣士と、実践経験皆無の出来損ない魔王とじゃ、勝負は見えてるようなものかな。賭けないかい? あと、どれだけ保つか」
「おい。おまえなに言って」
じっと。薄い水色の瞳に見据えられ、リュースはぴたりと固まった。それだけで冷や汗が身体から噴き出し、頭まで動かなくなる。
湖面のような目。透明なのに底が見えない不気味さに、リュースは目をそらしたくて堪らなくなる。だがそれを許さない強制力が、リュースの身体を支配する。指一本、唇を動かそうとするのさえ、強い意思の力を必要とする。
「ふぅん……どうやら、僕のことは聞き損ねたみたいだね?」
「な……にを」
訊ねながら――リュースは、頭のどこかで理解し始めていた。理性よりも、もっと動物的な本能の部分が、警鐘を鳴らしてくる。
目の前のモノの、異質さを。
「おまえ……なんなん、だ?」
「わざわざ訊かなくても、もう分かっているんだろう?」
そう言って笑う声がうるさい。大きな声でもないのに、頭の中にがんがんと響く。無遠慮に、リュースの中へと侵入してくる。
アレフィオスは、なんと言っていたか。
リュースは、操られていた。
だとしたら、いつから操られていたのか。
「おまえが……〈調停者〉なのか。アーティエ……っ!」
にっこりと、アーティエが笑みを深くする。
「ご明察。……と言うには、少し鈍いかな? 頭の中をこれだけ弄られたあとじゃあ、ねぇ?」
その言葉に、一瞬で頭に血が昇る。
「いつから……ッ」
「ほんの数日前だよ。君が、魔王城に乗り込むことを決意したその日――その足で、養父母の待つ家に帰ることになった、ちょっと前だね」
そう言って、アーティエはまたくすりと笑んだ。
「申し訳ないけど、それまでは顔を合わせたこともなかった。つまり……君と僕との出会いの思い出は、全くの嘘っぱちさ」
あっけらかんと明かされた事実に、リュースは頭のどこかでブチリという音が聞こえたような気がした。
「ヒトの頭をさんざん弄くって、遊びやがって――ッ」
真空の刃が、アーティエへと向かう。アーティエはきょとんとした顔でそれを一瞥すると、さっと手を振った。
「な……っ!?」
声を上げたのはリュースだった。アーティエの前に、一瞬にして水の柱が生まれ、刃を弾き跳ばす。
「人間のフリをしようとしなければね。これくらいは、詠唱なくてもできるんだよ。僕にだってね。――見てごらん」
アーティエの視線を追い、はっと気がつく。まるでそこに壁でもあるように、ドクターやシオンが、ぺたぺたとなにもない空間を触りながら、こちらになにかを呼びかけている。しかし、音は遮断され一切聞こえない。ちらりと視界の端に映ったエネトは、まだベッドの上でうだうだしているがどうでもいい。――アーティエとリュースのいる空間は、見えない壁によって隔絶されていた。
「こんなふうにね。本来、僕はなんだってできるのさ」
それが〈調停者〉だからね、と。
アーティエはにっこりと、嬉しそうに微笑んだ。
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