第三話 国王の憂鬱

「余はなぁ、永遠の命が欲しい」


 賢明なる君主の思いがけない発言に、ノア・エヴァンスはほんの少し口許を引き締めた。しばし考え、「そうですか」とだけ答える。


 〈剣の国〉ソーディア王国は、大陸の東に位置する大国である。長い歴史を有しているが、それは同時に隣接する〈東の魔王〉の領地よりやってくる魔物たちとの戦いの歴史でもある。そのため、冒険者の中から特に魔物と戦うことを専任する「勇者」を国が認定することで、被害を最小限に抑えようとしてきた。


 ノアもまた、その「勇者」の一人である。ただし、他の勇者たちとの違いが二つ。

 一つ目は、王国の中でも有力な貴族エヴァンス家の出身であるということだ。建国の際、その剣技で王室の祖たるニデル・サイ・ファル・ソーディアを支えた名家とされている。王室とは外戚関係であり、他の貴族と比べても気安い関係を結んでいる。

 そして二つ目は、王室直々に任命された勇者であるということだ。一定の条件さえ満たせば認定される一般勇者とは異なり、王室派遣の勇者は歴史を紐解いても数少ない、極めて異例のものである。それだけに、与えられた権限は大きく、有事の際には民衆から物品を徴発することさえ可能だ。


 ノアの胸には、剣が角の生えた獣を貫く記章が輝いている。これもまた、王室派遣勇者の証であった。それを親指でそっと撫で、ノアは国王に向き直った。


「なにかお悩みごとでも?」

「悩みごとなど尽きないさ」


 玉座に深々と寄りかかり、国王は溜め息をついた。


「あのバカ息子。今度は魔物を飼いたいなどとふざけたことを言っているらしい。自分の尻さえろくに拭けぬくせに」


 ノアはなるほど、と頷いた。壮年も後半になる国王には、十六歳になる第一王子と十歳の第二王子、そして同じく十歳の王女がいる。その中でも、まだ国王が若い頃に生まれた第一王子には、なにかと騒ぎを起こす天賦の才があった。


「お世継ぎに関して、悩んでおいででしたか」

「まったく。お世継ぎ、だと? ヤツが国を潤す国王になれば良いがな。今の国力を保てるか、それさえ分からぬ」


 そう語る国王の顔には悲愴感などなく、ただぼやくような気軽さだ。ノアはもう一度頷いてみせた。


「確かに、陛下の御代が万年と続けば、この国の繁栄は益々約束されることでしょう」

「まあな」


 ノアの言葉に、国王は気負うこともなく軽い調子で応じた。現国王ナディ・エト・ガルム・ソーディアは二十歳のときに即位して以来、マンネリ化していたこの国の構造を改革し、国力を増強した実績がある。その自負があるのだろう。


 しかし、と国王は呆れたように笑った。


「真顔でそんなこと言いおって。おまえの言葉は、冗談なのか本気なのか、今一つ分からん。まさか、太鼓持ちというわけでもあるまいに」

「私はいつでも本気ですが」


 ノアの言葉を、国王は片手を振って制した。


「もういい。下がれ」

「はっ」


 機嫌でも損ねたのか。しかし、下がれと言われて引き下がる理由もなく、ノアは素直に後ろを向いた。そのままの体勢で、一言だけ付け加える。


「殿下の元でも、私は代わらず王室の剣となりますよ」


 国王は特に答えず、代わりに「ふん」と軽いため息とも、笑いともとれる音だけが返ってきた。



※※※



 今朝の寝起きは最悪だった。酷使した身体はあちこちが痛む。それ以上に厳しいのは頭痛だ。頭の中で鉢鐘でも鳴らされているような、脈打つ痛みが鈍く響いている。おまけに顔は浮腫み、気だるさと胃のむかつきで、ベッドから這い出るのさえ億劫だった。


「二日酔いかい?」


 しれっとした顔で訊ねてきたのは、アーティエだった。自分と同じだけの量の酒を飲んでいたはずだが、完全に他人事な顔をしているのに、リュースは納得がいかなかった。


 それが、表情に出ていたのだろう。アーティエはふっと微笑み、「君とは造りが違うんだよ」などとのたまわった。


「ふざけろ……ったく、気持ちわりぃ」

「飲んだのは自分自身だろ。顔洗って、水でも飲んだらどうだい?」


 返事の代わりに片手だけ上げ、のろのろと部屋の角にある水桶に向かう。水桶は二回りほど大きな桶の中に入っており、水がこぼれても床が直接濡れないようになっている。


 リュースが水桶に手を入れると、深夜の空気に冷やされた水が、皮膚をちりちりと刺激した。それを両手ですくい顔に浴びると、気休めだろうが少しばかり気分が楽になる。


(しっかし……昨日はなんでそんなに飲んだんだったかな)


 そもそも、リュースはたいして酒に強くない。そのため、飲酒する際は自分の中で上限を決めていた。こんな、次の朝まで引きずるほどの深酒をしたのは、かなり久しぶりのことだ。


(なんか、ろくな理由じゃなかった気がするんだが……)


 両手で顔の水気を拭い、更に手を振って水滴を飛ばす。目元に残った水分と眠気を払うように目を擦りながらテーブルの方へ歩いていくと、「はい」という声と共に、何かを差し出される気配を感じた。


「お水、どうぞ」

「ん。わりぃ……な」


 反射的に受け取り、答えてから――はっと気づく。目を開けると、見覚えのある男がへらりと笑いかけてきた。どこか卑屈さを感じさせるその笑みに、リュースは急速に昨晩の記憶を甦らせた。


「おまえ」


 自然、苦虫を噛み潰したような顔になるリュースに、自称魔王ことアレフィオスがびくりと震える。


「は、はい。おはようございます……リュースさん」


 その、へらりと力の抜けた笑顔に、リュースは昨夜のことを思い出した。

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