へたれ魔王は倒せない!

綾坂キョウ

序 魔王の手紙

 リュース・ディソルダーは駆けていた。息を切らし、紅く毛足の長い絨毯を蹴り、どこまでも続く廊下を走っていた。


 黒髪黒目という、大陸において大多数を占める外見は、さほど特徴があるわけでもない。体格も中背中肉といったところか。だが前を見据えるその眼光は、やたらと鋭く尖っている。

 肩まで伸ばされた黒髪は、後頭部で一つにまとめられている。暗緑色の長袖と茶色のズボン以外に身につけているのは、履きふるした皮のブーツに、主要な関節部のみを守る軽鎧ライトアーマー、そしてそれとは不釣り合いな巨大な剣のみだ。剣の刃は鈍く潰れ、刃物というよりは鈍器に近い。滑り止めの布が撒かれた柄を両手でぎゅっと握りしめ、床をぎりぎり引きずらない絶妙な位置に刃先を留めている。


 リュースが走っているのは城だった。もちろん、平民であるリュースの住居であるはずもない。だが彼は、豪奢な絨毯に泥がつくのも構わずに走り続けていた。


 昼間にリュースが城に入ってから、かなりの時間が立つ。廊下の壁に、時折り設けられている明かりとりの窓からは、今やオレンジ色の光が差し込んでいた。


 もちろん、その間ひたすらにずっと走っていたわけではない。そのことは、衣服と剣先の汚れが物語っている。


 汗がしたたり、顎を伝って落ちると同時に、リュースはその場から大きく後ろに飛び退いた。

 途端、一瞬前までいた場所に、無数の槍が突き刺さった。その一つ一つの穂先が、リュースの腕が一回りするほど、規格外の大きさだ。


「避けたか。運の良い……と言いたいところだが、ここまで来たことを考えれば、あながち強運の持ち主というだけでもあるまい」


 声は足元から聞こえた。前に跳ぶように前転し、直ぐさま体勢を整える。


 床から生えた、とでも言うべきか。リュースが振り返った先には、赤銅色の全身鎧フルアーマーが、巨大な槍にしなだれかかるようにして立っていた。兜から覗く目が、紅く輝いている。


「ったく……次から次へと雑魚がわいてきやがる」

「小僧、言いよるなぁ。雑魚かどうか、試してみるが良い」


 言うなり、全身鎧はただ腕を振るようにして、自分の背丈よりも大きな槍をリュースに向け振るった。正面から迫るそれを、リュースは剣で受け、その圧にのって後方に退く。


「さてさて。なかなかに反射神経は良い」


 笑いながら、全身鎧は槍を無造作に振るい続けてくる。予備動作もなく、流れるように自分へと向かってくる穂先を、リュースは寸でかわし、また後ろ、あるいは左右へ跳び退く。


「どうした。勇ましい口ぶりのわりに、防戦一方ではないか。そうぴょんぴょん跳び回っていては、か弱い野兎のようだ」

「その台詞、負ける雑魚がいかにも言いそうなヤツだな」


 鼻で笑いながらも、やはり後ろへと跳ぶリュースに、全身鎧がふん、と鼻を鳴らす。


「跳んでる兎ほど、狙い撃ちやすいものはないのだよ」


 同時に、右手をさっと振ると、リュースの背後――何もないはずの空間から突如、巨大な槍が突き出てきた。それは、狙い違わず無防備なリュースの背を狙い突く。

 だが。


「――っな!?」


 穂先が狙っていたリュースの背はくるりと上を向き、代わりにブーツの底が、トンと軽い音を立てて穂先を蹴った。そのまま自重も、その手に構える剣の重さすら無視して、リュースの身体は宙に浮かんだまま、一直線に全身鎧へと向かっていく。


「くっ」


 全身鎧が手に持つ槍を振るう。しかし、リュースはそれが届く直前でぴたりと動きを止めた。穂先が鼻先を掠め、ぴりっとした感覚を覚える――が、それまでだ。地に足をつき、剣を下段に構え、そしてにやりと全身鎧を見据える。


「俺にとっちゃ、魔王以外は全員そろって雑魚みたいなもんだよ」


 言うと同時に、思いきり剣を振り上げる。それは全身鎧の首元をとらえ、鈍くも大きな金属音が廊下にこだました。


 顎が大きく凹んだ全身鎧は、そのままの勢いで床に倒れ込んだ。


「ぐ……っ」


 仰向けのまま、全身鎧が呻き声を上げる。喘ぐように、リュースに手を伸ばし。


「やる、な……だが、陛下は……もう……ふっ……貴様に、あのお方を、倒すことなど……でき、ぬ……」

「ごちゃごちゃうっせ」


 リュースが思いきり頭部を蹴ると、「げふっ」と声を上げて、今度こそ全身鎧は動かなくなった。


「ふぅ」


 息をつき、額の汗を袖で拭うとリュースは再び走り始めた。


 ここに来るまでに倒した魔物の数は、両手両足の指を足してもなお余る。


(いい加減、親玉出てこいってーの)


 《フィアヴェルト》と呼ばれるこの世界には、四柱の神と四柱の魔王が君臨している。その中でも〈東の魔王〉と呼ばれる存在は、瘴気の森に囲まれた居城に住み、近隣の国が軍を送ったところで、魔王当人はおろか城にさえ近づけないという。


(おかげで、その首にかかった懸賞金は莫大、ってわけだ)


 もちろん、リュースのように懸賞金に惹かれ、挑む者も後を立たないという。それら全てを退け、遥か長い時に渡り東部の魔物を支配し続け、人間を脅かす存在である。いくらリュースが腕に覚えがあるとは言え、気を引き締めてかからねばなるまい。


「……!」


 長い廊下の終わりが見えた。これまでの部屋とは異質な、巨大な石造りの扉。


「ここ、か」


 扉には、太さの違う無数の線が、放物線を描きながら流れるように彫刻されていた。それにそっと手を触れ、目をつぶる。


(大丈夫だ、体力はまだ充分残っている。ここまで来たんだ……残るは魔王一人、相手にできなくてどうする)


 ふっ、と強く息を吐き、目を開く。扉に触れる手に力を込め、思いきり扉を押した。ぎぃ、と重い音が廊下に響く。


 リュースは、今度は肺いっぱいに息を吸い、声を張り上げた。剣を握る手に、力を込めて、部屋の中に一歩踏み出す。


「勇者登録ナンバー二九五、リュース・ディソルダーだ! 東の魔王、覚悟っ」


 リュースの言葉に、だが応える者はない。

 扉が開いた先には、真っ白な床が広がっていた。眉を寄せ、剣の柄を握る手の力は弛めないまま歩を進める。カツン、と高い音が、その度に部屋中にこだまする。


 部屋の中は、つるりと磨かれた床だけでなく、壁も天井も、全てが真っ白な石造りだった。壁には燭台が幾つもかけられているが、今は一つも点いておらず、天井にぽかりと円を描くようにはめられた窓から、傾いた夕日の朱のみが射し込み、明かりとなっている。


 薄暗い部屋を、リュースは慎重に進んだ。目指すは、正面。そこには段差が何段もあり、小高くなった最奥には豪奢な椅子が置いてあった。

 おそらく、玉座であろう。この城の主である、〈東の魔王〉の。


 だがそこは今、空席となっている。


(いない……どこだ?)


 ふと思い出すのは、先程の全身鎧の言葉だ。


(なんか意味ありげなことぬかしてやがったな……なんだ。なにか企んでるってのか? なにをするつもりだ魔王)


 剣を握る手がじっとりと湿っている。不快感に舌打ちしながら、リュースは玉座にたどり着いた。念のため周囲の気配を探るが、やはり誰もいない。


「くそ……ここでもないなら、どこへ行きやがった…………ん?」


 ふと、玉座の上に紙が置いてあるのに気がついた。なにやら文字が書かれている。


「なんだ……?」


 慎重に手に取り、文章に目を遣る。急いで書かれたものなのか、かなり乱雑な字だ。

 文全体を追うのに時間はかからなかった。あまりにも内容が簡潔だったためだ。だが、リュースは何度もそれを読み返さずにはいられなかった。そうしなければ、書かれている言葉が理解ができそうになかった。


『ごめんなさい。

 逃げます。

 探さないでください。

      東の魔王』


 リュースは黙ってそれを四度ほど読み返してから、もしやと思い、天井から射し込む光に透かした。だが、リュースの希望もむなしく、薄っぺらいただの紙に特に仕掛けなどなさそうだった。


「どぉいうことだ……あ?」


 ずるりと剣が手から落ち、ぐわんと大きな音が立つ。両手で文字通り頭をかかえると、ここまでの道のりが頭を次々と過るような気さえする。

 そうだ。ここまでくるのに、苦労がなかったと言えばそれは嘘だ。双頭の獣に、竜、うじゃうじゃと湧く魔物の群れ、もちろん先程の全身鎧のような、知恵の回る魔物達。それらに一人で立ち向かい、ようやくここに辿りついたのに。


「っどおいうことだよーっ!?」


 主のいない城には、リュースの悲鳴じみた声が響き渡り。そのリュースの手からは、魔王の置き手紙が、へらりと軽薄に舞い落ちた。

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