儀式

 広場は日が昇る前から、多くの人がでていた。空はよく晴れて青い。

 ミズヲは急ぎ足で人のあいだをぬっていく。ホバックは混濁する頭を抱えながら、ゆらゆらと彼を追う。ミズヲはときおりあたりをきょろきょろ見回しながら、しかし思いめざすところに、迷わず進んでいるようである。

 祭壇を中央に、地面に模様が描かれている。曲線と直線が描く文様は、魔法使いたちが数日をかけて描いていたものだ。もし空から見たら、広場をはみ出して街全体に広がっているのが見えるだろう。街にもとからあるほこらや、祭りのあいだだけおかれる祭壇をつなぐ。儀式は数日前から、大小のさまざまが行われていた。見物人がいて楽しむ曲芸のようなまじないや、まるで通りすがりに、ついでにあっという間に行われるような短いものまで、数えきれないほどである。はたして魔法使いでも、祭りを取り仕切る者でも、すべてをを理解している者はいないだろう。ミズヲは人に声をかけて尋ねていた。ホバックにはそれが手当たり次第にてきとうに尋ねているようにみえたが、魔法使いをつかまえていることに、途中で気づいた。

 広場の中央の天幕に来た。ちょうどなかに入ろうとする、一見したところ大工のような男に、レンラがいるかどうか尋ねた。男はにやりと笑った。

「祭りの長のことか。今日の儀式の中心を司る」

「なぜ、レンラがそんな重要そうな立場なのか?」

「そりゃあ、いちばん、儲かったからだよ」

 彼はあっけらかんと応えた。

「もうけ?」

「この祭のあいだに、いちばん儲けがあった者が、やるしきたりになっているんだよ」

 驚きを隠そうとして、ミズヲは変な顔になる。

「金額を競いあうのか」

「そういう建前だ。金持ちのところの娘の婚約者との仲をとりもったとかで、びっくりするような謝礼金がでて、いっきに彼女が先頭におどりでた。準備で気が立っている。私が呼んできてあげよう」

「頼む」

 あてにならなさそうだが、ミズヲは頼んだ。

 しばらくまったが、レンラはこない、男も帰ってこない。隙間をあけてなかをのぞいた。

「おいおい、かってに、いいの?」

 うろたえるホバックがとめるのもきかず、ミズヲは幕をかき分けて中へ入る

 卓を囲んで数人と話をしていたレンラは、彼らの姿に気づいたが、そのまま話をやめなかった。ミズヲはじっと待った。話の切れ目に、レンラは彼らのもとへきた。

「酒臭いな」

 鼻をついたにおいに、レンラは思わずホバックをみてわらった。ホバックもつられて苦笑いしたが、ミズヲはまじめな顔のままである。

「儀式の長を、するそうだな」

「ああ、そうだよ。じっさい、誰がやってもいいんだ。少々景気がよさそうだからって押し付けられる。やっかみだよ」

「アレッセの伝言を教えてくれ」

 唐突なことばに、レンラは目をむいたが、罵倒するのはこらえた。

「この忙しいときによくもまあ、ぬけぬけと。ちゃんと伝えるよ、時間があるときに、あとで」

「ここのところ、俺をさけていただろう、ずっとお前を探していたのに」

 ミズヲはすこし感情をむきだしにした。こそばゆい感覚をだましながら、レンラは肩をすくめる。

「会ったじゃないか。あちこちの宴会で」

 ミズヲは、イルキとベニエや、その縁者に請われ、様々な場所でひらかれた大小の宴会、祝いの場に呼ばれていた。お祝いごとだといわれると断りにくい。行く先々で、レンラを見かけたりすれ違った。魔法使いとして招かれていたようだった。たとえ近くにいても、レンラは挨拶をうけ、話しかけられ続け、話をする隙はなかった。

「もう祭りもおわりだ。いまさら急がなくてもよいだろう」

「いまでなければだめだ。いまから、祈りの儀式で、死者たちの魂は全部いなくなるときいた。だから、いますぐだ」

 彼が亡くなったのは遠い土地だ。もうだいぶ時間が過ぎていた。彼はこの世に未練や思いを残すことはなかった。彼はもういまここで、おくるようなことはない。レンラはそれをわざわざ言わなかった。ミズヲもそれはわかっているようにみえた。だが、頑として動かぬ子どもののようである。

 レンラは半分だけふりかえって、

「すぐに戻る」

 近くの仲間に断りをいれると、身をひるがえす。不必要に美しい男のせいで、周囲からのひやかしにあう。ぞんざいにあしらう。ミズヲは、ホバックは後をおった。つるされた布で仕切られた、近くの部屋にはいった。荷物が雑然と置かれ、つい、いましがたまで誰かが寝ていたような、簡素な寝床もある。外からの光は半分ほどさえぎられている。ホバックはのぞきこんだが、外でまつことにした。事情はさっぱりだが、そうしなければならないと判断はできる。

 レンラは、ミズヲを座らせた。

「ひっくり返りでもしたら、困るからな」

 レンラも目のまえに座った。両手でミズヲの頭をぐいとつかんだ。顔が近づいてきて、ミズヲは反射的に目を閉じた。



 ——アレッセが、すぐ近くにいる。明るい陽射しが満ちた部屋にいる。明るすぎて、顔がはっきりみえないくらいだ。少し病気でやつれただろうか。

 アレッセは、きらきらと光るような目で、こちらをのぞき込んでいる。好奇心をむき出しにしている。

 視線をかりている、視線の持ち主が、軽く手でうながすような仕草をした。アレッセはうなずき、またまっすぐに視線を向ける。

『ありがとう』

 しっかりとした声が、聞こえてきた。

『ありがとう、ミズヲ』

 アレッセはもういちど言って、まるで、もうこれ以上は我慢できないというように、笑顔を大きく開いた——



 ふたりのひたいが離れて、景色が元の薄暗い部屋に戻ってきた。ミズヲはぽつりといった。

「これだけなのか」

「これだけだ。これだけでいいのかと何度も念を押した。アレッセは、あとはわたしにまかせると言った」

 ミズヲは露骨に恨みがましい顔つきになる。ふだんは常に平静を装って、なにごとにも動じないようなふりをしながら、ここぞというときには、平気で感情をあらわにするのが、レンラが気に触るところであり、曰く言い表し難い快感を覚えるところでもあった。だがレンラは淡々と続ける。

「お前がアレッセと最後に別れるとき、どんな顔をしていたかはしらない。わたしはみていない。お前はうまく笑えていたかもしれないし、うまくできずに、悲しみと恐怖でひどい顔をしていたかもしれない」

「もういちど、見せてくれ」

「だめだ。すくなくとも、いまは絶対だめだ。わたしはいま、ものすごく忙しい」

 レンラは立ち上がると、部屋をでていくとき、ホバックになにか声をかけていった。ホバックはよろよろとした足どりで中へ入ると、ミズヲの近くに倒れ込むように腰を下ろす。

「もうすぐ、はじまるそうだ。誰か、親しい人が亡くなったのか」

 ホバックのことばに、ミズヲは不思議そうな顔をする。

「どうして?」

「いまからはじまるのは、死者を弔う祈りだ」

「そうか……。亡くなったのは友人だ」

「まだ若かったのか」

「若い、役人だった」

「どんな人だった」

「聡明でやさしい、……役人にしては面白い男だった」

「それは大変、珍しいな」

 ホバックは立ち上がる。

「からだが楽になってきたぞ。さっきの魔法使いがなにかまじないをしてくれたかな。さあ、行こう、儀式がはじまる」



 魔法使いは街中に散らばって、受け持つ場所に立っていた。壮大な円の中央には広場があり、その中心にはレンラが立っている。唇に紅をさし、目尻に鮮やかな色をさしている。周囲にいる魔法使いも顔に彩色を施しているが、彼女はひときわ目立つ。腕輪に耳飾り、頭から数色の長い布をひらひらと流している。自分の背よりも長い杖は、磨き上げられ凛と光る。人々から美しさを賞賛する声があがると、ほほ笑みをふりまいている。

 ホバックはいった。

「すごい美人だ」

「美人?」

 ミズヲは露骨に怪訝そうな顔で問い返し、ホバックはうんざりしてみせる。

「お前は、自分が美人だってことしかわからないのか」

 ミズヲは神妙な顔をつくって口をつぐむ。彼女は確かに美人かもしれないが、それ以上に意地が悪いことばかりを言われている気がしている。

 人々のざわめきは続いている。軽快な楽の音、拍手や歓声もきこえてくる。その合間をぬうように、鐘の音が鳴り始めた。魔法使いが手元に小さい鐘を持ち、鐘から鐘へ響きが継がれて行く。すべての喧噪が止むのを待たずに、彼らは呪文を唱え始める。円陣の中央に近くに集まる人たちは、心持ち姿勢を正した。声の響きは、完全に一致はしていない。時折、音が増幅する。司祭はゆっくりと身体をゆらして、歩き始め、長い杖を優雅に振り上げた。弦をはじく音、太鼓の音、笛の音も流れてくる。中央から波紋が広がるように、魔法使いが動く。

 なにかを合図に、人々が、いっせいにかけ声をあげた。ミズヲはぎょっと周囲をみたが、ホバックも声をだしていた。驚きを見てにやりと笑う。驚いたのはミズヲだけではなく、外から訪れている人はみな同じだ。

 まじないの声は、楽の音にあわせるように、次第に調子をあわせていた。ときに調和し、反発し、深く安定したり、硬くぶつかりあう。音が身体中に響き、張り詰めていた胸やからだのこわばりがほどけ、暖かさが満ちていく。イルキとベニエも広場のどこかで、寄りそいながら祈りを唱和しているのだろう。亡くなった人たちに思いをよせつつ。これから互いの手は離さぬよう、同じ方向をみて歩むことを願いながら。石を売りに来たものたちは、まだここに止まって、祈りの儀式に参加しているだろうか。盗みを働いたものたちは、どこの空を駆けているだろう。旅の芸人たちは、儀式などそっちのけで、浮かれ騒ぐ人たちを相手に、商売に精をだしているかもしれない。宿代は彼らの懐とやる気に彩りをそえていればいい。マニュはもうじき自分はあちら側だと笑っていたが、まだまだ彼には教わることがある。祭が終わって気を抜いている頃かも知れないが、石の話を聞くならこれからだ。傍らにいるホバックのベニエへ愛は、どれくらい誠実だったかはわからない。だが友人の背中を押すための芝居だとしたら、大げさすぎる。

 ミズヲは舞い踊るレンラに見入った。美しく陶然と手をかざし、まじないを唱えるとき、愛をささやいているようにもみえる。魔法使いたちは、大勢の生きる人と魂のために祈る。人々の想いを託されている。彼女自身の想いはどうするのだろう。アレッセの死を悼むひまはあったのだろうか。彼を失った悲しみを、どうしているのだろう。

 魔法使いたちの杖が大きく旋回しはじめる。杖を持たない者は、両手をかかげる。天を仰ぐ。空の一点が差し示される。自然と人々の視線もそこに集まる。

 雲の少ない青い空の、なにもないところに見えない入り口が開いたようだった。

 壁が動くように、大きな風が動いた。周囲にいる人や建物やみえるものすべてが、白い抜け殻になった。次の瞬間には、色も質感も熱気も戻っていた。ミズヲは我に返った。

 まぶしいね、まぶしい。

 笑うような子どもの声が聞こえ、人々は緊張からほどかれてざわめき出す。太鼓は軽快なリズムにかわり、笛も弦も速い音楽を奏ではじめる。手拍子がはじまる。魔法使いたちはいままも自分たちが主役でなかったかのように、さっと退場し、美しく着飾った踊り手が次々と登場する。笑顔を振りまきながら、華やかに舞い始める。真昼の空に白い尾をひいて花火が打ち上げられ、あちこちで杯をぶつける音がはじめる。

 ホバックは大きく体をのばした。

「よおし、探しにいくか」

「何を?」

「宴会といえばごちそうだよ。そこらへんの宴会に適当に混ざる。お前がいたら、きっと人気者になれるぞ」

「いや、俺は」

 ミズヲは戸惑いながら辺りを見回した。さっきまでの重厚な空気は跡形もない。

「彼女ならあの天幕に入っていったよ」

 ホバックはこともなげに一つの天幕をさした。

「ありがとう」

 ミズヲは急ぎ足でむかって行く。ホバックはもう少し付き合うかと考え、彼のあとに続いた。

 天幕のなかでは、魔法使いたちが杖をおいて衣装をなげすて、化粧をとり、お互いを労っていた。ミズヲはレンラの姿をさがした。人をかき分け、灯りを遮蔽した奥へ行く。床の荷物の合間に、埋もれるようにレンラはもたれかかっていた。飾り物はとっていたが、化粧はそのままで、中途半端に身なりをといている。目を閉じているが、ミズヲは名前を呼んだ。

「レンラ」

 彼女は薄目をあけた。ミズヲをちらりと見たが、もぞもぞと動くと、頭を低くする。

「眠るのか」

 ミズヲは遠慮がちにいった。眠ってしまうなら、そのまままた目覚めるまで待とうと思った。だが、十を数えるまもなく、レンラは薄めをあけ、からだを起こしてつぶやいた。

「腹が減った」

 起き上がると手荒な手つきで、残りの衣装をほどき、顔の化粧を落としはじめる。

 外はにぎやかになり、良い香りがただよってきた。つぎつぎに酒や食事が運ばれて並べられる、人が吸い寄せられるように集まり、車座になる。広場が埋め尽くされるほどに、いくつもいくつも円陣は広がり、用意ができたところから、乾杯と食事がはじめる。

 ホバックは目を輝かせて、いまにも駆けだしていきそうだ。

「おいおい、はやくいかないとなくなるぞ」

 レンラはその勢いに応えるようにいった。

「食欲はでてきたか」

「ああ! あんたのおかげだな、きっと」

 いつのまに意気投合したのか。ミズヲはあっけにとられながら、ふたりについて外へでた。

 肉や魚を蒸したり焼いたもの、粉を捏ねて包んでふかしたもの、豊かな香りの焼き飯、濃厚な香りの穀物とともに煮込んだ汁物、揚げて甘い砂糖をまぶした菓子。仕事をおえた魔法使いのための宴だが、街の人々が入り乱れて、つぎつぎと乾杯の声があがり、食事に手をのばす。レンラが登場すると近くで労いの声と拍手が起こり、席を用意された。ホバックもミズヲもそれに並ぶ。近くのかたまりで乾杯がわき起こる。レンラは杯をかかげながら、周囲と話しながらも、次々と食べ物を口に放り込む。ホバックはずいぶんご機嫌で、いつのまにか周囲を囲んでいる女性たちと話していた。気安い酔っぱらいたちに生返事をしながら、ミズヲは味の濃い焼いた肉をほおばった。この街にきて何度もここのものを食べたはずなのに、まるでいまはじめて食べたもののように、濃い味を味わった。



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月虹虫回顧録 ナカムラサキカオルコ @chaoruko

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