誘惑



   * *



 部屋は柔らかい外光に満ちて、祈りが込められた、見舞いの品が並んでいた。からだによいとう食べ物、魔除けの飾り、願掛けの札、日々届けられる小さい花々。多くの思いが集い、奇跡を夢想する。だが、この病魔に打ち勝つすべはない。アレッセはすでに自分の死を悟り、とりみだすようなことはなかった。ときおりかなしいような、あきらめたような顔をすることはあったが、みたひとが見間違いかとおもうくらいだ。誰のせいでもない、心残りはそれなりにあるが、呪うほどの不幸ともいえない。ただ、病状は急速に悪化し、残されている時間はほとんどないこともわかっていた。

 見舞いに来る人は絶えることがなく、アレッセは誰をも迎えいれる。客のなかには、病魔をまるで自身にふりかかった不幸のように、大げさに嘆く者もいる。たまたま居合わせたレンラは、そういった人を、屋敷から叩き出したい衝動にかられた。アレッセがこちらをみていたので、柔和な表情を作ってやりすごした。たしなめるような、笑いをこらえたような目だ。

 アレッセが、ミズヲの行き先を知らないときいたときは、レンラは、まさか、と思わず口に出した。信じられない、ミズヲが彼に何も言わずに旅に出るなんて。行き先、期間、大まかな目的を、アレッセはいつも把握していた。そしてミズヲが帰ってきたら、行った先の土地の話を聞くことを求めた。

 レンラは自ら足を使って、といってもたいした範囲ではないがが、放蕩息子をさがすようにミズヲの足取りをおった。

「ミズヲはやはり旅にでたらしい。西へむかったようだが、目的地がどこかはわからない。いつ戻るか、時期も、誰も何もきいていないようだ」

「そうか」アレッセはわずかに視線をさげた。「なにかもめごとに、まきこまれていなければよいが」

「いざこざの原因を、歩くだけで作っているようなやつだが」

 レンラは軽口をたたくと、彼は苦笑した。

「そうだなあ」

 笑顔が弱々しい。病の故か、彼を心配する故なのか。レンラはいった。

「アレッセ、念のために、きいておきたいが」

「なんだ?」

「けんかでもしたのか? 二人の間に、いさかいのようなものが、あったのか」

「心当たりがない。おかしな話かな」

「驚くべきことではない。あれは本来まともな男ではないから」

 レンラの冷たいこたえに、アレッセは苦笑いした。そしてゆっくりと、長く細く息をはいた。声をだすのは楽ではないはずだ。レンラは彼に煩わしい思いをさせている男に、また腹がたってきた。いつもそうだ。ささいなことで、他人のやさしさをかき乱す。よりにもよって、どうしてこんなときにいないのか、行き先を告げずに姿を消したのか。考えるほどいらだちが増す。怒りが充満して頭もからだも熱くなる。

「顔が怖いぞ」

 アレッセの冷やかしにも、レンラは表情をゆるめない。なぜミズヲのことをかまうのか。家族や他の知人について、できるだけのことはもうすでに、きれいに方をつけていた。だからなのか。だから、縁がとくに濃いわけでもない、根無し草のような男のことだけが、ふわふわと残っているから、気にかけるのか。

 不機嫌をのみこんでいるレンラをみているうちに、アレッセは少し表情を厳しくした。

「また変なことを考えているのか?」

「変なこと? まさか」

 レンラはわざとらしい大きな笑顔をつくる。

「死をあざむくなどと、考えないよ。もう説教はいらん」

 わざとらしい言葉をそのままに信じて、アレッセは、安心して微笑む。

「きみは、ときどき信じられないようなむちゃをする」

「わたしが? これでも魔法使いだ。アレッセもあいつもその点についてはどうも軽んじているところがあるが。ここぞというときには仕事をしなければ意味がないが、たとえその術を知っていても、知っているからこそ、手をだすことはない」

 レンラは明るい快活な声をつくる。

 もちろん、嘘だ。何度も何度も、ずっと考えている。ずっと脳裏から離れない。

 人ひとりを死の淵からひきずりあげる、死を逃れる魔術は、どれくらいの力を必要として、どんな犠牲をはらうのだろうか、ずっと考えている、調べている、探している。知識を洗い出し吟味し、少しでも手がかりになるようなことは確かめにいく。すべて、手の届かない、望みのない話ならばかまわない。だがそうではなかった。術は存在する、一通りの知識もある。禁断の果実は、いつもすぐそばに、みえている。手の中にある。強い術になるほど、恩恵の大きさとともに、予測できない危険や代償も伴ってくる。善悪の判断は人の判断である。

 自分の存在など、投げ出してかまわない。だが、確実な結果がえられなければ意味がない。中途半端に生をつなぎとめてはならないし、力を使い果たした自分が、呪われた姿でこの世にとどまってもいけない。彼を生かしつつ、自分を確実に葬る魔術を、自分自身で行うことは可能なのか、可能なはずだ。必要のないものならば、どこにも存在しないはずだ。

 その不毛な考えを察したアレッセは、彼女を厳しく諭した。なんびとも生死を覆してはいけない、流れを乱してはいけない。ただの人、ありふれた役人の、一介の男なのに、経験を重ねた賢人のように、魔法使いに説いた。レンラはそこではおとなしく反省してみせたが、同時に、もし彼ならば、どうするだろうと考えた。見知らぬ赤の他人の盾にもなる。迷わず自分の身を捧げるだろう。

「ばかなことを考えるかわりに、ろくでもない男を探し歩いたんだ」

「そうか。君には世話になってばっかりだ。ついでにもうひとつお願いしてもいいか」

 さわやかな笑顔に、レンラは警戒心を抱いたが、笑顔で承る。いままでに自分がうけた恩義にくらべれば、どれだけ返しても返しきれない。

「なんなりとお申し付け下さい」

「では、彼を守ってくれ」

「はあ?」

 自身の思いとはうらはらに、レンラはすがすがしいほどまぬけな声をあげた。

「守るだって? あれを? あの軽佻浮薄な男を?」

 自分がいなくなったあとのミズヲを心配するだろうことは当然のことで、ずっと予想しているのに、レンラはふさわしい反応をしめすことはできなかった。

「なにから彼を守る? もう子どもではないのに? 一人で街から街へ移動して商売して、仕事はどれくらいできるかしらないが、人を惑わして、もめ事をおこして、来る者拒まず去る者追わず、泣かされる男も女も数える指がいつも足りないようなやつを」

 悪口を言い続ける彼女を、アレッセはにこやかに見守り、思い出したようにいった。

「そうか、魔法使いに頼み事をするなら、なにか対価がいるな」

 職業上、レンラは、それをいらないとは言えない。

「金など、いまさら」

 アレッセは首をかしげた。

「いざ他人に渡すようなものとなると、たいしたものを持っていないな」

「……そういうものだ」

 死後の世界に持っていけるものは、自分の心とからだの中にあるものしかない。



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