願いごと
レンラは優れた魔法使い——サフィーリはいっていた。魔法使いの能力のはかり方などしらないが、にわかには信じがたい。まさかと鼻で笑いたい気持ちになる。
ミズヲは舞台に目を向けていた。ようやく終わりは近づいているようだが、先ほどまでとは、またうってかわった、寸劇がまたはじまっている。曲芸をするように、数人がぴょんぴょんと飛びはねている。そこへ、みょうに大きい頭巾をかぶり、大きな派手な外套をまとった人物が登場してきた。魔法使いの特徴をこっけいに誇張している。まだかろうじて芝居を観ている観客たちが、声をあげ笛をならしてはやしたてる。魔法使いのような者は、鷹揚に手をかかげそれにこたえ、周囲を取り囲んで集まる者たちに、朗々と呼びかけた。どんな願いごともかなえてやろう。わたしにかなえられない願いはない。すると人々は、まってましたとばかりに、服や靴を新品にしてくれ、無限に湧き出る酒樽と料理のなくならない皿をだしてくれ、代わりに仕事をやってくれる人形をつれてこい、あれこれと願いを口にする。しかし、魔法使いは、それらの願いに対し、いま材料がたまたま一つたりない、その魔法をかけるには日が悪い、その呪文を唱えるには、さっき変なものを食べて息がくさいだの、あれこれ理由をつけて、のらりくらりとはぐらかし、なにもしようとしない。
人々は、たいして怒りもせず、根を上げる。
——はあ、いったいぜんたい、どんな願いなら、あんたに聞いてもらえるのかね
魔法使いはこたえる、頭巾をとりながら。
——そうだね、死んだ人を、生き返らせてあげようか
ミズヲはそこにあらわれた顔をみて、息をのんだ。
アレッセだ。
アレッセが、ずいぶんうさんくさい顔をしてしゃべっている。
——もういちど話をしたい、死んでしまった人が、ひとりやふたりはいるだろう
声も確かにアレッセだが、どうみても違う。レンラが見せかけていると思ったが、それもおかしい。どうして彼女が、役者のようなふりをして、舞台に立っているというのか。
魔法使いにむかって、人々はいった。
——どうやって話をするんだ、生き返らせてくれるのか?
——それもいいけど、こっちから、その人のもとにちょっとだけいってみるのもいい
「だめだ!」
ミズヲは叫んで立ち上がった。即座に、天井が低く、頭をぶつけることを思い出し、身をこわばらせた。
だが脳天をぶつけることはなく、ミズヲはそのまま舞台を見上げていた。ずっとはるか彼方、したのほうに見えていた舞台は、彼の見上げるところにあった。
あたりのざわめきは遠く静かで、薄く暗く青く広い。
願いごとをしようとしてた人々は、ミズヲのほうをふり返ろうとしながら、ひとりふたりと消えていく。魔法使いのような、アレッセのような人物だけが、そこに留まっている。
ミズヲは言った。自分自身に言い聞かせるように、自分だけに聞こえればいいくらい、ぼそぼそと、大きくない声で言った。
「もう会えない、分かってる、分かっている。だから、これからは、ずっと後悔を抱えて生きていく」
舞台上には、簡素な衣服に、役人の印の帯を身につけた、すらりとした男が、柔らかい笑顔を浮かべてたっている。ミズヲが見慣れた姿だ。
彼はやがて、声が届くほどの距離に、ミズヲとほとんど同じ高さに立っていた。アレッセはミズヲより少し背が高く、押し出しがよい。それでいてひとを威圧するところはひとつもない。彼はいつものように落ち着いたやさしい、しかし楽しいことを隠し持っているような顔で、ミズヲのほうをみている。その目に本当にミズヲが映っているかどうかは定かではない。
ミズヲはなつかしさに目を細めながら、同時に感じた。いまみているその姿は、自分の記憶や感情から思い描かれた姿だと。本当のアレッセの姿のはずはない。
彼はここにはいない。遠い、遠い場所にいる。
「見えたか」
すぐそばで、低い声がささやいた。
レンラが立っていた。ミズヲと同じように、遠い彼方にいる者をみている。
「いまここにいるのか」
「いるといえばいるし、いないといえばいない。死者との直接のやりとりは常にできない。何かを伝えられたり、伝えることができても、それはずれている。もし彼がこちらをみているなら、あちらもまた、目の前にいるのに、自分の姿を目に入れることはできないのだろうと、感じているはずだ」
「あれは、俺の記憶のなかのアレッセじゃないのか」
「ミズヲがそう思うならそうだろう。私がいまみている者と、同じではないということだ」
「レンラは、レンラの記憶のなかの、アレッセをみているのか」
「そうといえばそうだし、そうでないといえば、そうではない」
「そんな話ばかりだ」
ふたりが話しているあいだに、アレッセは人を待っているのか、人をさがしているのか、なにかをながめているのか。ときどきまばたきしたり、視線をかえるが、そのままそこにいる。
「たとえ、彼が生きているとき、三人で同じ場所にいるときでも、わたしが見えている彼の姿と、お前が観ている姿は、本当に同じかどうかはわからない」
「どうして? 同じ場所にいて、同じところからみているのに」
「わたしと、お前というだけで、もう違うからだ、違う目、心ということだ」
ミズヲは、もやもやとしたまま、アレッセの姿をみつめた。
思えば思うほど、胸が苦しくなる。こんなにも失うことの痛みが大きいことはなかった。刺すような胸の痛みはいつまで続くのか。やがて癒えるのか、忘れていくのか。彼の姿も、声も、瞳も、すべてがこいしくてたまらない。二度と目にすることはできない、聞くことはできない、ふれることもない。
涙がしずかにあふれてくる。こぼれ落ちた涙は、まるで小さな宝石のように、ぱらりと落ちていく。
レンラはかがみ込んでそれを指先で拾い上げ、上に掲げて源の見えない光にかざしてみせる。
「ああ、美しい。なんと美しいんだろう。人を想い慕う故の涙というのは」
涙が石になるわけがない。ミズヲはおかしいと思った。
「これは夢だ。お前は夢なのか。夢のなかに入っていけるのか」
レンラは思わせぶりにほほ笑みながら、涙の石を手のひらにつつんで隠す。そのまま姿が消えそうで、ミズヲはあわてていった。
「伝言を教えてくれ。アレッセの伝言を。お前が俺に伝えるはずだろう」
——ミズヲは自分の声で目を覚ました。そう思った。声をだしたのは夢の中のはなしなのか、はっきりしない。近くで寝ているホバックはむずむずと動いた。舞台の明かりは減っているが、真っ暗ではない。客席は前方の良い席はおおむねはけている。中頃から後ろのほうには、まばらに人が残っているが、眠りに落ちて帰れない者ばかりだ。そばでは、見張りを指示された従者どうしが、もちよった酒とつまみで世を明かそうとしている。
ミズヲは自分の頬にふれた。泣いたあとはない。胸は少し息苦しい。
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