■理由■
* * *
もう命に関わるようなことはない。彼は順調に回復している。それでも、思い出すと、レンラは冷たい感覚を覚える。いままでに幾多の人の死に遭遇してきたか、数え切れないくらいあるが、彼を失うかもしれないという出来事は、思いのほか、苦痛だった。それ故にいらだっていた。
見舞いのために家を訪ねるたびに、アレッセの家人にていねいに迎えられる。繰り返し感謝のことばをのべられる。ひかえめな奥方や可愛らしいこどもたち、主人を慕う召使いたちに囲まれている。おだやかさにふれると、その不安は多少は薄められる。
アレッセはおとなしく寝床にいたが、もうだいぶ飽きた様子もある。
「いつまでも、こうやって寝ている必要はないと思うのだけどね」
「こういうときは、周りの言うことをきくといい」
「わたしはいつだって、みんなの意見をちゃんときくよ」
彼はたしかに人のはなしに耳を傾ける。だが必ずしも相手のいうことを聞き入れているわけではないようにも見えるが。
「これからは、それは少し考え直すべきだよ。誰の話もきいていたら、いつか本当に人に刺されて死ぬ」
「君にそんなことをいわれるなんて、心外だな。あっというまだったから、話を聞く間もなかったんだ」
「今回だけの話ではない」
「それはもう仕方がない。えらくなるほどふつうには死ねない。わたしもずいぶん出世したからな」アレッセは他人事のように楽しげに話す。「はじめて見る人や名前が見舞いに来たり、見舞いの品をよこしてくる。これでもう、しばらくは、何もしなくても、しばらく安泰だ」
「まだ刺した男のゆかりの者が、働きかけているのか」
「そうのようだ」
「多少の金品もともなって、か。それはいい話だな」
それほどの影響力と財力をもつような人に関わってしまったということだ。それは本人の望むところなのか、そうではないのか。つかみ所がない。
はぐらかされるだろう。それでもレンラは言った。
「なぜ助けに入った」
「なぜ?」
唐突な詰問するような口調に、アレッセは虚を突かれる。レンラは続けた。
「どうして、あの男を助けたんだ。見知った顔だったとしても、身をなげだすほどではないだろう」
アレッセはまごついてみせた。
「なぜ?、なぜ、と……」
自分にいいきかせるように問いかける。彼女は真剣な顔をしている。アレッセはなるべく真面目に考えてみた。
「人々が集まる場所で、悲鳴が轟く、刃物が光る。よくみれば、凶行に及ぼうとする者は顔見知りだ。明らかに常軌をいっした様子である。悲鳴を上げ続ける女をかばうようにして立つ男は丸腰で、細く若い。もし君が、同じ状況に遭遇したら、なにもせずに見過ごすか?」
「わたしにはとめられるし、危険なことはしない。ばかばかしい状況なら、とめないかもしれない」
「ひとりが、顔見知りでも?」
「顔だけ知っている人間は、数が多すぎる」
「そうか」
アレッセは笑ったが、レンラはその様子はない。
「俺も顔は広いほうだ」
「そうだ。だから、いちいち皆になにかをしていたら、きりがない」
「なるほど」
アレッセはわざとらしく腕を組む。
「なぜ、なぜ、か……。あの場所で、あのまま青年がさされていたら、店は血みどろ、彼はもしかしたら絶命し、刺した男は取り押さえられ、いくら高名な役人の家の者とはいえ、極刑に処せられる。いいことはなにもない。そういう場所に居合わせて、何もしなくて、後味の悪い思いをするのが嫌だったのかもしれない。自分が不快な思いをしたくなかったんだ」
レンラは疑わしげな目をするので、アレッセは肩をすくめた。
「わからないよ。とっさのことだったから。あとから考えれば、どうしてそんなことをしたのだろうとも思うし、確かに助けるほどではなかったかもしれない。両方の顔をみて何かを判断していたのか、していなかったのか、わからない。
ただその日は君と約束をしていて、もうじき姿をみせるだろうと思っていた」
「わたしのせいなのか」
レンラは軽く目をみはり、不機嫌に驚きが混じる。アレッセはつけくわえた。
「そういうわけではない。だが、苦手な相手との嫌な約束の前だったら、ちがうことをしていたかもしれない。わからない、わからないんだよ。とっさの行動なんて。それでもあえていうならば、そういうふうに生きているということかもしれない。とっさに身を挺して誰かをかばってしまうような判断と行動をしてしまうような。正義とか正しさは、良し悪しは俺にはわからない」
レンラは疑っていた。とっさの正義感からでた行動なのかどうかを。口にはしないが不信感がにじみでる。それを問いただせば、アレッセに嘘をつかせることになる。
アレッセは笑顔でいった。
「でももう、次は同じことはしないし、できないよ。このときの痛みを思い出し、恐怖がとっさの行動に歯止めをかけるだろう。君にも、妻や子どもたちにも、大変な心配と迷惑をかけたから」
のちのちのために見舞いをしておけという人もいれば、下心なしに驚き案じているひともいた。彼自身がいいたくないことや、彼のなかでも本当にはっきりしていないことならば、問いただすようなことではない。
レンラはため息をついた。
「それならいい。わかってるならいい」
緊張をといて、椅子の背もたれに背中を預けた。思わず天を仰いでいた。アレッセはにっこりと笑顔をみせる。
「やっと君も許してくれるかい。ずっと怒っていた」
「まだだ」
「まだ?」
アレッセは困り呆れたような声をあげる。
「あの、やたら顔のきれいな男をどうにかするまでは」
「どうにかって、どうするつもりだ? よくも自分の親友を盾にしたと、怒鳴り込みにでもいくつもりか?」
「それでもいい」
「冗談にもならない」
「そんなにつまらないことはしない」
「じゃあ彼のことを案じているのか?」
アレッセは明るい声で言った。レンラはからだをおこして彼を見すえた。
「案じる? どうして?」
「人に殺されかけたんだから、それなりに心を痛めるだろう」
「アレッセ、まさかお前がいまそうやって心配しているのか? 言伝もした、金は渡しただろう。これ以上お前がなにをするんだ?」
* * *
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