こけらおとし


 広場を埋め尽くしている人々の注意は、劇場に入っていく人たちに注がれている。見守るように、品評するように、ほれぼれしながら、見物している。贅沢に着飾った人々は、ゆっくりと次々に、正面の大きな扉の入り口から、なかに入っていく。彼らの装いは、このときのためにあつらえられたものばかりで、できるかぎりのお金をかけている。髪は結い上げ化粧し、額や耳や首にきらめく飾りをつけている。長い袖や裾、羽織り物は、透き通ったり、重厚だったり。都で最も新しい流行だと売り込まれた、かたちや色の珍奇な装飾。得意げな顔をしているが、実のところは慣れない催し物に、胸の鼓動ははやくなるばかり。愛想を振りまき、頭の先からつま先まで、視線を集める。

 やじうまたちは、ほめたりけなしたり。あれはいいね、あっちはいまいちだ、あれはいったいどうなんだ? いつもなら視線を向けただけで怒鳴られたり、近くへよるなと追い払われてしまうが、いまは放っておけということで、警備をする者たちは憮然としたままで立っている。

 ひときわ大きな歓声が沸き起こった。人力車から降りてきたのは、ザルト商人のベニエだ。こんなに贅沢に着飾った彼女をみたのは、誰もがはじめてだった。服も飾りも一分のすきもなく美しい。堂々と姿勢良く、ゆったりと、手をとった相手と、よりそっている。

 人々は息をのんでから、わっと声をあげた。

 あんなに美人だったんだねぇ!

 知らなかったのか? わたしは知ってたよ!

 となりの男は誰だろう?

 あれはイルキだ。

 別人じゃないだろうね?

 ずいぶん立派になった。

 祝福の声がとびかうなかを、進んでいく。ぎこちなくも晴れがましく、ときおり頬を寄せてささやきあい、また頬をゆるませる。後ろから丸い中年の男ザルトが、満足げな表情で歩いてくる。ときおり手をあげ、見物人たちの歓声に応える。

 彼にとっては、イルキは候補の一人にすぎなかった。密かに見繕っていた男たちに未練がないわけではない。話はいささか急だった。満点とはいえないが、親戚づきあいも苦労はしないだろう。適度に従って、適度に従わないくらいがちょうどいい。娘が選んだ者ならそれでよい。

 大劇場は、おもだった観客たちを飲みこむと、いったん扉を閉めた。そのまま続いて入ろうとする酔客もいるが、見張りの人間と押し問答をして、悪態をついたり、引きはがされたり。あるいは他の入り口をさがしにいく。どうしても出し物を観たければ、明日以降にまた来ればよい。公演は十日は続く。広場では無数の屋台が並び、いたるところで歌や踊り、大道芸が繰り広げられている。劇場のなかに入らなくても、にぎやかな場所はたくさんある。

 ミズヲは劇場を見上げていた。

 いまごろイルキとベニエは特等席で、開会の宣言をきき、華やかな奏楽と拍手喝采に包まれて、笑顔をふりまいていることだろう。エズラトゥオスの思惑は果たせたのか、新しい歌姫はちゃんと歌えるのだろうか。

 ぼんやりと思いをはせる。

「なにをしてるんだ、こんなところで」

 あきれて声をかけてきたのは、ホバックだった。酒瓶をもち、空腹をくすぐる匂いをさせている。

「なかには入れない」

「はあ?」

「中に入るつてがない」

 ミズヲがこたえると、ホバックはいよいよ不思議そうにいぶかしむ。

「お前、本気でいっているのか?」

 ミズヲはうなずく。

「こっちだ」

 ホバックは裏手に進んでいく。

 何ごともなく裏口から入った。舞台裏は人や衣装やものでごったがえしていた。本編は歌や踊りの混ざる芝居だが、幕間には、演奏、音楽、曲芸、沈黙のまま動きだけで笑わせる喜劇など、様々なものが催される。どちらが本筋かわからなくなるほど、たくさん出し物があるほど、豪華な証になる。酒の匂いやたばこのにおい、罵声も怒声もとどろいている。客席にも聞こえているだろうが、気にしない。

「あら! ふられた花婿がこんなところにいるわ」

「わたしならいつだって慰めてあげるわよ」

「ちょっと、こっちもすごい美形」

「あなたも花婿候補だった人じゃないの?」

 舞台用の強い化粧をした魅惑的な芸人たちに、声をかけられ励まされ、しなだれかかってこられたり。受け流しつつ通路をすすみ、狭い階段へ入り、ぐるぐると登っていく。まぶしく熱い灯りの脇も、通り過ぎる。天井に手が届きそうな高さまできていた。舞台はすぐそばだが、遥か下にある。身をかがめて進む。すでに先客たちが用心深く身を乗り出しながら、鑑賞している。

「まあ、こんなもんだろう」

 ホバックは座席をさだめると、来る途中にもなぜか増えた包みをひらき、椀のような杯に酒を注ぎ、ひとつをミズヲにわたす。

「用意がいいな」

「常識だろう」

 ホバックは杯を掲げた。

「我らの歌姫たちに」

 ミズヲはうなずいて、杯をあわせた。

 眼下に広がる客席はおおむね騒がしく、舞台をみながらも、しゃべったり、飲み食いをしていたりとバラバラにすごしている。舞台の上では、楽師たちが演奏をして、数人の踊り子がくるくると舞っていたが、それが終わってひっこむと、いれかわって曲芸師たちがえてきた。次々に空中にものをなげ、大きな玉を乗りこなし。顔を極彩色にぬった小男がいたずらをして、玉の上から転げ落ちると、猛然と追いかけっこがはじまる。気づいた観客たちは笑い出す。けらけらと笑っていたホバックは、ミズヲの視線に気づいた。

「なんでこっちをみてるんだ。舞台をみろよ。心配してくれているのか? 全然落ち込んでないないようだな、とか」

「そうだ」

「がっかりしているさ。それなりに体裁をととのえ用意をしたんだ。でもあんなに幸せな顔をされては、泣きも笑いもできない」

「泣きたいのか?」

 ミズヲの驚きに、ホバックはまた笑い出す。

「俺の評判は上々だ。あちこちで引く手あまただ。ザルトさんのおぼえもよくなったし、お返しももらったし、イルキの友情は失わず。俺が失ったものはなにもない」

 ホバックは歌うようにいいながら、下の方を指さした。反対側の舞台袖がみえる。ひときわ華やかで大きな衣装が動いている。頭にひらひらがついたかぶり物もしている。緊張している面持ちのノミヴォがみえた。その近くを、身なりは派手にととのているが、落ちつきのないエズラトゥオスが、せわしく往き来している。

「さすがに緊張しているようだ」

 舞台上の役者たちがいれかわり、楽師たちが華やかな音楽を鳴らしはじめる。ノミヴォは一歩舞台へ踏み出す。怖じ気づいていた気配はかき消え、堂々と歩いた。観客の注意を十分に引きつけて中央まで進む。朗々と歌い出す。やがて人々は惜しみない喝采をおくる。



 つぎつぎと変わりゆく、邪魔が多すぎる冒険活劇をながめながら、ミズヲの脳裏には、ティジアの歌声を思い出した。客席の喧噪もあいまって、ときおり騒音にも近い音の世界で、漏れきいた、くっきりと静かな世界の歌を思い出す。


   陽射しのなかに あなたの笑顔を想い

   月の光の下で あなたの優しさに涙し


 胸にせまる恋の唄は、稽古でうたっていたのだから、今日からの出し物の一部のはずだが、こんなに騒がしい劇のなかにこれがあらわれるのだろうか。ミズヲは素朴な疑問を抱く。明るい光の下できいた、サフィーリの歌も思い出した。歌をきいたときは、まだ彼女の名前をしらなかった。


   遠くへいかないで

   わたしのために

   そばにいて


 生きていようが、死んでいようが、求める気持は変わらない。

「つまらないか?」

 ホバックが顔をのぞき込んでくる。ミズヲは小さく笑った。

「面白いよ。ただいろいろありすぎて、なかなかついていけない」

「都の芝居は、みんなこういうもんじゃないのか」

「ここまでいろいろ、余興が入るのは、珍しいと思うが」

「まあ、ここまでがちゃがちゃしているのは、最初だけだろう。すぐに減っていく」

 ホバックは話しながらも、舞台上のおどけた仕草に気をとられ、笑い声をあげる。

「お前はこのあと、どうするんだ」

「このあと?」

「オクウトでの仕事が終わったあとだ」

「いちど都へ戻るか、別の知らせがあれば、そこへ行くか」

「ここにくるのは、また来年か」

「……呼ばれれば」

「呼ばれるに決まってるだろう。それともあのじいさんの下で働くのはもうまっぴらか」

「そんなわけはない」

 軽口に対する思わぬはやい切り返しに、ホバックは目を瞬かせる。

「冗談だよ。でも使われるばかりじゃつまらないだろう」

「俺はまだまだだ」

「俺にはみえるぜ。はぶりをきかせて、いいものを食べて着込んで、二倍、三倍にもふくらんで、美青年の面影もないお前の未来の姿が」

「気をつける」

 ミズヲは肩をすくめ、思わず小さく笑みをうかべた。ホバックはそれを指摘することはせず、ミズヲのあまり減っていない杯に酒をついだ。自分は勢いよくあおり、機嫌よく、舞台のほうを注意をもどして、やじをとばしたり笛を鳴らす。ミズヲは酒で耳朶を赤くしながら、彼にならって、舞台に視線を向けた。


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