強奪

 とある酒場の主人クオバは困っていた。

 ほかの客はみんな帰った。妻も娘たちも料理人たちも先に返した。早く店じまいして、明日のためにからだを休めたい。だが、床にごろごろ横たわる男たちは、山のように動かない。ひとりだけ嫌々でもひきとめている店の男と、おそるおそる巨体を揺さぶってみたが、異国からの客たちは、いびきを轟かせるばかりで目を覚ます気配がない。よびかけてもつっついても、もぞもぞ身動きしたり、もごもご寝言をいうばかり。

 ついさっきまで、若い女も卓に突っ伏して寝入っていた。目を覚ますと、ざっと青ざめた。自分のからだや回りをばたばたさわって、短い悲鳴をあげた。男たちをぶちながら起こそうとしたが、無駄だとわかると、こちらには目もくれず、転がるように外に飛び出していった。勘定は先にすませてあったが、男たちをおいていかれたのは困る。

 このまま店で夜を明かさなければならないのか。半ばまどろみながら思案していると、先ほど飛び出して行った娘が、自警団と、他に軽装の若者をつれてきた。青年のひとりはずいぶん整った顔立ちをしていたが、そんなものをながめる余裕はない。クオバは自身の窮状を訴える。

 あのお客さんたち、飲めや歌えや景気よく騒いでいた。いつの間にか静かになっていた。それはよくあることだ。すっかり寝込んでしまって、いっこうに起きやしない。このでかい男たちを、いっしょに外に放りだしてくれないか。

 横たわる巨体に負けじとからだの大きな自警団の男は、ひととおり耳をかたむけたが、つっけんどんにいった。

「他にあやしいやつはいなかったか? お前は何も盗っていないだろうな」

 疑いをかけられ、クオバは眠気も吹き飛んだ。

「とんでもない! そんなことしてたらこんな商売やってられませんよ。だいたい何を盗られたっていうんですか」

 あわてふためきながら申し立て、懸命に記憶をたどる。店の中はお客でいっぱいだった。祭のために太っ腹な客も、遠くから来る客も多い。彼らも異国の言葉と服装。しかし、オクウトの者だろう男がふたり混ざっていた。通訳をして、つつがなく酒や食事にありつけるように、彼らと店の両方に気を配っていた。その男たちは見るからに狡猾な、人を欺くような風体をしていただろうか。いま思い返せばそんな気もしてくるが、店の忙しいときにそんなことはわからない。クオバはふとふしぎに思った。

「酔っぱらいが、盗みにあったからって、自警団がでてくるのかい? そんな高価なものが盗まれたのか」

 自警団の男は、問いかけにはこたえず、あやしい男たちの、人相や身なりを聞いた。

 ひとりは異国の言葉を通訳していたという。複数にわかれて聞き込みをすることにした。

「朝になったら街から逃げ出せてしまう。急ごう。たのむ」

 イルキは力強くそういって出て行く。

「あんたはこっちだ」

 ミズヲはゼレゾという目つきの悪い男に託された。マニュがいうには、自警団でも名うての腕っぷしが強い男らしい。年は少し上で、貫禄があるが、どこか人を小馬鹿にしたところがある。見た目で判断されるのには慣れていても、快くはない。しかし真贋の定めができる者もいかねばならない。

「いまからいく店の一帯はごろつきの集まりだ。ろくでもない連中が昼も夜もくだをまいている。うまい仕事をしたら黙ってはいられない輩ばかりだ。景気のいい顔をしていたら、そいつだろう」

 ゼレゾはいった。雑で簡単な見分け方だ。

 オクウトの街も、裏側は無秩序な道と建物がひしめき合い、異臭悪臭が漂ってくる。肩を寄せ合う掘っ立て小屋から、ときおり怒声や酔っぱらいの下卑た笑い声が響いてくる。ちょくちょく起こる外の騒音に、わざわざ顔をだしたりはしない。それぞれの罵りあいに精を出す。

 灯りがともる店に近づく。見当を付けてきた店のひとつだという。ゼレゾは自分の服の自警団の印をなれたふうに隠した。ミズヲのつま先からてっぺんまで目を走らせると、軽く舌打ちし、首に巻いていた長い布をほどいてわたした。

「目立ちすぎるな。頭に被ってすこしでもその目立つ顔をかくしてくれ」

 汗臭いがミズヲは言うとおりにする。ゼレゾは店の扉をあけた。二、三人のほとんど寝そうな酔客と、投げ矢に興じる男と黄色い声を上げる女がいる。視線がちらちらと投げられる。ゼレゾは店の主人に話しかけようと勘定台に近づいた。ミズヲは何かに呼ばれたように感じて、足をとめた。

 あぁそうだ、呼ばれてしまうのだ、石に。

 ミズヲの美貌に気づいた女が、美しさにぽかんと口をあけている。その隣の痩せた汚い男の身なりは、先ほどきいた証言にかなっていた。ミズヲはその卓に近づいた。主人と話をしていて何気なくふり返ったゼレゾは、ぎょっとした。美青年は、酔いのまわった小ずるい顔の男を見下ろしている。見上げる男は、姿勢が悪く、顎をつきだし、怪訝そうに酔った目でにらんでくるが、飲み過ぎているのかすごみはない。

「石を返してくれ」

 なんの前置きもない、ミズヲのはっきりした声に、男の口は真一文字にひきしめられ、目はくわっと見開かれた。卓が跳ね上げられ、杯も皿もひっくり返った。

「ギャーッ!」

 女は耳をつんざく悲鳴をあげ、近くにいた別の男がミズヲに飛びかかる。ぶうんとからだがゆれ、顔に痛みがはねる。ゼレゾにからだをささえられている。壁際に逃げる客もいるが、じりじりとつめよる男が二人。主人が迷惑そうに悲痛な声をあげた。

「おいおい、他でやってくれ!」

 窓を蹴破って逃げる男を、ミズヲは反射的に追いかけた。

「おい! ひとりでいくな!」

 ゼレゾがいまいましげに叫んだ。

 軒先に並ぶものをひっかけ倒しながら、逃げる男は、狭い道に酒臭い息をまき散らしていく。そうとう飲んでいる。悪態混じりの悲鳴がきこえた。駆け込むと行き止まりで、男は歯をむいて向き直った。

「石をかえしてくれたらそれでいい。どこへでもいってくれ」

 ミズヲは彼にしてはよく通る声をだしたが、恫喝でもけんか腰でもなく、威厳もない。男はつばを吐いてニヤリと笑うと、刃物をとりだした。追いかけてくるゼレゾの呼び声が聞こえる。男は刃物をふりまわして向かってくる。ミズヲは夜にひかる刃先をみて思い出した。

 ——またこんな光景をみるなんて。

 ゼレゾのような男なら、相手にならない小者だろうが、ろくに武道の心得のないミズヲは、逃げ出すことはできても、反撃することはできない。追い詰められているのは相手だ。いったんここを引いても、すぐ追いつくかもしれない。男の両手で刃物を握りしめ、ミズヲに向かってきた。

 まぶしい光が炸裂し、ミズヲも視界をさえぎられた。

「うあああ! ああぁ!」

 男は悲鳴をあげながら、目をおさえて地面でのたうち回っている。目が慣れてくると、頭上にはほの明るい光の玉があった。男は横たわり、杖を持ったレンラが立っていた。いつもとはちがう、どこか異様な佇まいでいる。

「頼まれた。高くつくぞ」

 レンラは呪文のようにそういって、ミズヲの手元を杖の先で指した。視線を落とすと、腕に切られた傷があった。深い傷ではないが、痛みと血がわいてくる。顔を上げたときには、彼女の姿は消えていた。あとを追ってきたゼレゾは、男が倒れて震えているのをみて驚いた。

「やるじゃないか、色男」

 男のからだを手早く調べる。包みをとりだし、ミズヲにみせる。いくつかのかけらに割れた石だ。

「足りない」

「残りは、仲間が持っていったか、すでに手放したか。こいつはあんたがやったのか?」

「勝手にひっくりかえったんだ。足でもすべらせたんだろう」

 素っ気ない説明にゼレゾは納得したわけではなかったが、さほどこだわらなかった。男をすばやく後ろ手に縛りあげる。


 もう一人は違う場所でささやかな祝宴を開いていた。女を侍らせ、すました顔で飲んでみせては、肩や腕や腰にふれて、きゃあきゃあと声を上げさせる。女たちも酒によったふりをする。夜も更けたが、景気の良い客だから。男は運が向いたと思っていた。しばらく通訳しただけで、こんな大金をもらえるとは。簡単だが役に立つ機会のない言葉だと思っていた。次から次へと調子のいい話ばかり、よくあんなにしゃべるものだ。通訳しながら杯を空にするなといわれた。むこうもどんどん杯をさしだしてくるものだから、酒瓶を手離すことはなかった。彼らが深く寝入ってしまったあと、報酬とさっさと立ち去るように言われたが、そのあと何があったかは自分は知らない。

 店の入り口があいて、数人の男たちが入ってきたとき、女たちは見向きもしなかったが、彼らは自分に用があるのだろうと、男はぼんやりと思い当たった。他に客のいない店内に、ずかずかと入ってくると、真正面に立った。物騒なところに場慣れした目つきの悪い男と、対照的に、健康的に日焼けした場違いな青年もいる。ああ、こういう日向の人間になりたかったものだという想いがよぎる。女たちは不穏な気配を察知し、さっさと離れた。もめ事には慣れている。

「クオバの酒場で、西の言葉の通訳をしたのはお前か」

 やったかもしれないな。

「眠らせて石を盗んだな」

 眠らせて? 寝ちまったな。あぁ、寝てしまったかな。

「石はどうした」

 石だと? 石っころがどうしたって……

 せっかくのお楽しみを邪魔しやがって、お前たちは何者だと、誰何しようと考えたとき、胸ぐらをつかまれてからだがうかんだ。

 足がぐにゃぐにゃの酔っぱらいにやきもきしながら、イルキはくり返した。

「お前は、クオバの酒場で、西の言葉の通訳をして、娘や男たちを眠らせて、宝石を奪っていっただろう。石はどこにあるんだ」

 太い声をきいているうちに、男は、人相の悪い男たちのそろいの徽章が、自警団のものだと思い出した。腕をねじられ、痛みに悲鳴をあげる。

「痛い、痛い! はした金で雇われただけだ! 何もしらない!」

 甲高い声をあげてじたばたするので、イルキは気勢をそがれた。

「はした金というには、ずいぶん豪勢じゃないか」

 自警団は、男の服を調べて持ち物を卓上にぶちまける。金は残っていたが、石はない。

「それはおれの金だ、勝手にとるんじゃねぇ」

「宝石はどこだ」

「ほうせき? なんのことだ? 知らないぞ、きいたことがないぞ」

 うまく口がまわっていない男は、そのまま連行された。


 ミズヲたちが店に戻ると、クオバは片隅で、眠気覚ましに憮然と煙草を吹かしていた。護衛たちはまだ倒れたままだった。ドレジェンは心細そうにしていたが、捕らえられた男をみると、猛然と立ち上がり向かってくる。男たちは腕を肩をつかんでなだめた。ミズヲは彼女に声をかけようとして言葉がわからないことを思い出した。

「もう少し待っていてくれ」

 言いながら椅子を戻し、座るように身ぶり手ぶりで伝えた。ドレジェンは恨めしい顔をしたが、盗人から目をはなさないまま、おとなしくもどった。

 イルキたちがもう一人をつれてくると、ドレジェンは明るい表情になって立ち上がった。すぐにきゅっと口をとじた。

 ミズヲの顔と手の傷に、イルキはぎょっとした。

「その顔、だいじょうぶか。ゼレゾがいたのに」

「申しわけありませんな」

 ゼレゾが横からすました顔でいった。

「このお方が、やつを一人で追いかけていったもので」

「無茶をするなあ」

「いいんだ」

 ミズヲはドレジェンに見えないようにしながら、イルキに石のかけらをみせた。

「足りない部分は、もう他の商人に売ったそうだ」

 商人の名前をきいたが、イルキには心当たりがない。

「俺は知らない名だ。あとでマニュにもきいてみよう。たぶん表で商売をしている人間ではないのだろう」

 石は、商人から商人へ、売られてゆくにつれて、盗品だという注意書きは薄れてゆく。

「通訳したやつは、石のことは知らないそうだ。何か企みがあるのは気づいていたようだが、前金もはずんでいたらしい」

 二人の盗人は目をあわせようとしない。通訳の仕事にありついたのは、今日の昼。もともと赤の他人だ。

 イルキはドレジェンの前に、砕かれた石をそっとさしだして、あらましを説明した。彼女はじっと手のひらをみつめ、泣き出しそうにみえたが、こらえた。ひたすらに悲しそうに、石をみつめながら、話に相づちをうつ。途中で何かをきかれ、イルキはつまりながらこたえる。残りは見つかるだろうか。オクウトの中では、名前を手がかりに調べてみる。朝の開門で、オクウトから石を持ち出されてしまったら、見つかる可能性は限りなく低くなる。門で全員の持ち物を取り調べることはできない。うなだれる姿に、ミズヲはひとりごとのようにいった。

「そのかけら一つずつでも、十分高い値段がつく」

 イルキが伝えると、彼女は一度ミズヲをみたが、また悲しく視線を落とした。

 身動きしない護衛たちは、朝まで店においてもらうことになった。幾ばくかの金で、強面で頼み込んだ。ドレジェンを宿に送ろうと申し出たが、残るといった。言葉がわからなければ、目が覚めたときに、何が起きたか説明ができない。

 空の彼方は朝焼けがはじまろうとしていた。目をこすりながら、イルキはつぶやいた。

「朝一番の早馬を、ぜんぶ調べるのも無理だからな」

「すべてが行き着くところは都だ」

「都まで追いかけて、お前が探してくれるのか?」

 イルキの軽口に、ミズヲは力なく頭を振る。オクウトよりも広く深い都市で、割れた石のかけらなどみつけられない。イルキはミズヲの顔をあらためてしげしげと見た。

「気持ちよくやられたなぁ。でも、男を一人でつかまえたんだって?」

「ちがう。レンラがきたんだ」

「ああ、そうなのか」

 イルキは合点がいったとふうにうなずく。

「もしかして、レンラは石の残りを見つけられるのではないか」

「そういうのはやめておけ」

 ミズヲは即座にいった。

「彼女は魔法使いだ。依頼するなら宝石の持ち主本人がするべきだし、それなりの対価が必要になる。探すものが高価で貴重なら、対価も大きくなる」

「確かにそうだが。じゃあ、お前はなぜ助けられたんだ」

 見た目にはなさそうな洞察力が彼にはある。

「頼まれたといっていた」

「誰に?」

「わからない、知らない。でも、傷は痛む。俺はこのままいったん宿に帰る。お前も休むだろう。とちゅうでベニエやマニュには、お前から伝えてくれないか」

 進む方向を変えながら、ミズヲはいった。唐突な提案にイルキは戸惑ったがうなずいた。

「わかった。気をつけろよ。マニュには言っておくから、少し休んでこいよ」

 いたわりの声を背中で聞きながら、ミズヲは歩く速度を早めた。傷はずきずきと痛む。街は次の新しい一日のために動きはじめている。前のめりになりながら、誰もみないように歩く。

 宿へたどりつき、きしむ音をたてる扉をあけ、なるべく静かに階段をのぼり、寝るだけのための狭い部屋に入る。たまらなく眠い。汚れたまま寝床へ倒れ込んだ。体勢を変えると痛みが増すように、疑問が押し寄せる。

 レンラは誰に頼まれていたのか。魔法使いは対価なしでは頼みはひきうけない、行動しない。ベニエ? マニュ? 金は? 代償は?。マニュだったらいい。礼もしやすい。だがマニュはレンラと話をしたことがあったか? ザルトの家の弔いのとき、同じ場所にいたから、魔法使いとしてのレンラを知っているかもしれない。だが自分の知り合いだと知っているだろうか。知らないままとしても、魔法使いに、盗まれた石を探しにいくというだけのことに、守れと依頼するだろうか。

 もしベニエだとしたら、ベニエが自分を守れと頼んだのなら。イルキは? 依頼は自分とイルキを万が一に備えて守れということかも知れない。自分たちは二手に分かれた。いくら魔法使いでも、異なる二つの場所で動き回る人間を、同時に見張ることができるだろうか。できないとしたら。自分を守れと言ったのだとしたら。ベニエが、自分を。そんなのは下手なうぬぼれ……。

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