巡回

 夢だ。

 大きな花弁かべんをもつ花が、灰色の地面を埋め尽くしている。朝を待つようなほのかな明かりに、白く煙った色、薄い珊瑚の色、空色、金色、様々な色の花びらが、しっとりと濡れて咲いている。優しい風に、瑞々しい茎と葉とともに、ゆらり、時折流れに身を任せる。

 美しく静かな安らぎに満ちている。だが早くここからぬけだそうと、心が焦る。もがくほどに、足は重くなる。

 ティジアが、死んだ歌姫が、悄然と立っている。

 薄桃色の上着のすそが揺れている。血の気のない白い顔で、くぐもった声でしゃべっている。

 ——どうして私が死ぬの。私が死ぬのなんておかしい。私はこれから歌う。舞台で歌わなければならない。おおぜいの人の前で高らかに歌う。みんなが待っているのに、みんながわたしを聞きに、わたしのために集まるのに。劇場に住まうあの男も、あれこれうるさく言ってくる。注文の多いあのひと。あのひとは何をしているの。私がいなくて何ができるというの。あの男が選ぶことばも、旋律も、すべて私のためのもの。栄光に満ちた愛も、報われぬ愛も、春夏秋冬も、昼と夜も、生と死も。あなたはどうして助けてくれなかったの。

『どうしようもなかった』

 発したはずの声はかすんでいた。のどは音をとらえていなかった。

 ——どうして教えてくれなかったの。お前はわかっていたはずだ。私の惨めな運命を。異国の地に骸を置き去りにするさだめを。

 ミズヲは身を翻して逃げ出した。はやくここを立ち去ろう、他へいこう。

 女は手折られて捨てられた花のように、地面に伏した。だが、ゆっくりと立ちもどる。ちがう誰かの影になる。

 ミズヲは足を止めふり返る。逆に、影を追いかけはじめた。

『待て』

 からだをのばした男は、背をむけて、遠のいていく。

『待ってくれ』

 ミズヲは手をのばして叫んだ。

『行くな!』

 目をさましたミズヲは、声をだそうとあえいでいた。

 息がつまったようだった。何度か呼吸をして息を整えると、息苦しくなる夢をみた己にいくらか狼狽ろうばいした。涙など流していない。自分が泣くなど滑稽だ。まだ早い時間だったが、そのまま身支度をした。オクウトは朝晩の気温差が大きく、空気はひんやりしている。あの朝のように。

 脳裏に影がよぎると、背後がひやりとする感覚もよみがえる。ミズヲは顔をふって記憶をふるい落とした。いつもそうしてきた。すべて忘れる。憶えていたら切りが無い。



 宿をでて、行き交う人が少ない道をとぼとぼと歩いていると、ミズヲは様子が違うものに気づいた。長い外套をはおり、頭巾をかぶり、悠々と歩いている者たちがいる。ひとりの場合もあるが、ふたりの場合は、ゆっくり談笑していることもある。街の人々は特に怪しむ様子はない。彼らは魔法使いだと、ミズヲは気づいた。

 マニュに、そのことを尋ねた。

「魔法使いたちが、夜に都市の中を巡回している。毎年のことだ」

 老人はこともなげにこたえる。青年がまだ不思議そうな顔をしているので、つけたした。

「祭には、いろいろなものがひかれて集まってくる。幸運をよぶものはよいが、たちの悪いものは彼らが追い出したり、始末する。少々ほおっておいてもよさそうなものは、まとめて最後の日に浄化してしまう。近頃はオクウトの人口もふえて、死人も増えている。だから危険なものもふえているらしい」

「昼間も警戒を?」

「夜ほどではないだろうが、祭のあいだはみんな浮かれ騒いでいて、どうしてもおろそかになる。だからついでに魔法使いが見回るのだ」

 レンラもそこらへんを歩き回っているのだろうか。目をふせたミズヲに、マニュはいった。

「お前も気をつけろ。つい先日、葬式へいっただろう」

「はい。ありがとうございます」

 顔をあげて、さわやかに応える青年に、老人は内心あやうさを感じた。口に出して伝えることはしなかった。どれだけいっても、何も聞こえないときはある。



 真昼の太陽が照りつける頃、使いにでたミズヲは目のはしに影をとらえた。人々が行き交う活気づく街角で、いま人が曲がっていった塀の壁に、視線をすいよせられる。恐れと同時に好奇心もあった。のっぺりとした形を持つ影にみえた。

 曲がり角に近づこうとする。

 とちゅうで、肩をつかまれ、からだをひかれた。髭を生やした長身の壮年の、勇壮な兵士と見まがう男が険しい顔をしていた。

「追いかけるな、若者」

 厳しい口調でそういって、ミズヲを追いこし、角を曲がる。ミズヲはあとをつけた。とくにおぞましい光景はなかった。魔法使いはかがみ込んで、地面に這いつくばる小さい生き物をつっついていた。ミズヲは声をもらした。

「月虹虫」

 男はミズヲをみていった。

「こんなところに珍しい。だれかが捕らえてもってきて、逃がしてしまったのかも知れない」

「どうして月虹虫を」

「売り物かもしれんな。月虹虫を介して死者と語ることができるとと信じている者がいる。忘れたころに、思い出したように話がでる。何もできないといっているのに。おかげで虫たちは、このように哀れ住む場所を遠く隔てたところにつれてこられる」

 男は編み目の荒い袋をとりだすと、虫をつかんでつまみ上げてなかにいれる。虫はじたばたと暴れたが、すぐにおとなしくなった。ミズヲの視線に気づくと、男はいった。

「城壁の外に放すさ。君にはあげないよ」

 すっくとたちあがると、ミズヲよりも目線が上だった。

「君は魔法に近い気配がする」

 ミズヲは自分が魔法石などを売る商人だと話した。魔法使いの知り合いがいることは言わない。

「なるほど。では、なお用心しろ、美しい青年。力があると、良いものも悪いものもひきよせる。影などに興味を持つな。いまのオクウトは都よりも光のちからも、闇のちからも強い。祭のときのやつらは、人と同様にうかれて何をするかわからない」

 預言めいた言葉。

「影は死者ですか」

「かつて死者だったものもいるし、そうでないものもいる」

「何のためにでてくるんですか」

「話して分かる相手なら、苦労はしないよ」

「もしかつての死者ならば、生者に何か言いたいことがあるのでは。恨みがあったり、生きている者をねたむなら、生者に近づこうとするのでは」

 ミズヲが冷静なまなざしと口調のまま、問いかけるうちに、魔法使いの警戒は増していた。

「思いを強く抱いている相手がいるようだな」

 ミズヲはこたえない。愛想笑いも作れない。魔法使いは返事をまたず、きびすを返して雑踏にまぎれていった。ミズヲも何事もなかったようにその場をはずれた。黒い影も、月虹虫も、魔法使いの男も忘れる。すぐに、忘れてしまえるはずだ。


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