華と花
花の薫りの満ちる
もう二度と歌うことはない。
「……ティジア! 目を覚ませ、いますぐ起きろ! 歌え!」
臨終を告げられると、エズラトゥオスは呻いた。気も狂わんばかりに叫び、細い肩をつかんで揺り動かしす。人々は背後から彼をつかんでとめた。
「なんとかならないのか! 彼女を助けてくれ」
傍らにいた壮年の女は、ゆっくりとだまったまま頭を左右に振る。歌姫の急変に呼ばれ夜通し術を施した。
「生き返らせてくれ」
「死者をよみがえらせる術はない」
魔法使いは、みひらく男の目をみすえた。
「たとえあなたが命を差し出しても、ここにいる人たちすべての命と引き替えにしても、彼女を呼び戻すことは不可能だ」
エズラトゥオスはほんの少しの沈黙のあと、叫び泣き始めた。とめどなく涙をながす、名前を繰り返し呼ぶ。彼女の耳には届かない、彼女は二度と歌わない。笑うこともない。
弔いの用意はすみやかにはじまった。遺体は丁寧な簡素な作りの棺におさめられた。人の集まりは少なかった。エズラトゥオスは、泣きながら劇場に戻った。彼女の死は広く告知されなかった。彼女を知る者はこの街では多くない。もてなしていた屋敷の主ゼルーツと、働くものたちが、短い出会いをふり返り、順に別れを告げていった。見知らぬ土地で突然の死を迎えた女を、心から哀れんだが、悲しみに沈む時間は長くはなかった。
ミズヲとホバックの元へ、急ぎの使いが訪れて彼女の死を報せた。ホバックは自分が呼ばれることに驚いたが、つっぱねるほど薄情ではなかった。ミズヲの顔は表情をなくして、美しい仮面のようになっていた。
(一夜の相手とはいえ、さすがに心が痛むのだろう)
ホバックは思った。
簡素な馬車で郊外へ向かった。前を行く棺をのせた馬車には、弔う儀式をするための魔法使いの男と、数人が乗っている。ホバックとミズヲは、二台目の馬車にのった。乗り合わせた体格のいい中年の女は、肩をふるわせてしゃくりあげ、死んだ女のために泣いている。ゼルーツの屋敷で働いているという。葬儀の馬車は、控えめに街のなかを走り抜け、定められた門から都市の外へでる。空は連日晴天で、陽射しも風も強い。空気は乾ききって、ときおり空漠と砂塵をようしゃなく巻き上げる。ホバックは砂ぼこりに目をしかめながらつぶやいた。
「都に、親きょうだいはいないのかな」
「都より東の出身らしい」
ミズヲの返事をきいて、ホバックはぎょっとした。ひとりごとのつもりで、たとえ彼がきいていても、返事などないと思っていた。ミズヲは儀礼的な挨拶をかわしただけで、他はなにもしゃべろうとしていなかった。
「そうか。遠いな」
西へ来るほど、故郷はもっと遠くなる。埋葬を急ぐのは祭のせいもあった。祭は祖先を弔うとともに、使者をおくる日である。異国で死んだ
ホバックは墓地となる方へ、目を向けた。なだらかな地面に、地面にはりつくように、たいした大きさでない石が不規則に並ぶ。緑と小さい花が点々と色をさしている。周囲にせいぜい握り拳ほどの石を並べて、中に大きめの石を置いている。近頃の都の人間が作る墓に較べると簡素な作りだ。近づいても、凝ったものは何もなかった。どれが誰の墓だというのも判然としない。
馬車がとまると、魔法使いはまじないを唱えながら、地面に降りた。棺は同行してきた男たちによって、地面におろされる。数人の会葬者のうち、ただひとり泣いている女にホバックが話しかけると、彼女は短い間の彼女の思い出を語り始めた。おきれいな方でした、とても気さくな女性でした。都の話や、芝居のことを楽しく話してくれました。ご自分がもらった高価な花や小物を分けてくれました。それはやさしい人だねとホバックは相づちを打つ。
魂を弔う歌が静かに終わると、四角いくぼみに、二人の男が乾いた土をかけ始めた。埋め終わるのをまたずに、会葬者たちは、馬車に戻る。男たちをのせるため一台を残して走り出す。ガタゴト揺られながら、舞い上がる砂埃に顔をしかめ、襟巻きや頭巾に顔を埋める。ミズヲは、整った顔に乾いた風をうけるがままで、防ごうとしない。ホバックは呼びかけた。
「おい、目も鼻も口も砂だらけになるぞ」
するとミズヲは、まるで魂のない顔をむけたが、また彼方に視線を向けようとする。ホバックはつけくわえた。
「気にするな。あまり彼女のことを考えるなよ。想いが深ければ死者をとらえてしまう」
ミズヲは意外だといわんばかりに顔をした。
「なんだその顔は。そんなに驚くことか」
ホバックはあきれながら、となりの魔法使いの男をみた。じっと目をつぶっている。話をきいているのかいないのか、興味がないのか、関わり合いたくないのか。えてして魔法使いはわかりにくいものではあるが。男に助け船を期待するのをやめて、ホバックはいった。
「あまり気をおとすなよ」
ミズヲは気をおとしているつもりはなかった。
(ホバックは、なぜ自分にそんなことを言うのだろう)
と考えた。死者が悪しきものに変わってしまえば、近くにいる者も何らかの被害を被る可能性はある。そういった不利益を考えて、ホバックは自分に助言めいたことを言うのだろうと、ミズヲは思考の水面近くで考えた。
ミズヲはあかりの薄い舞台に立っていた。劇場を訪ねてきたら、そこで待つように言われた。舞台から、うつろな空間を見渡す。明かり取りの窓が、いまはほとんど開いていないため、大きな暗闇に続いているように見える。
昼なのか? 夜なのか?
少し壁をへだてたところから、怒鳴りあう声に、とげとげしい口調。かと思えば、一転、静かにぼそぼそと話し合う。
そして静けさ。
遠ざかっていく足音。
舞台袖から一人の男があらわれる。興行師はため息をつくと、よろめきながら舞台にしゃがみ込んだ。うなだれて、じっとしているうちに、やがて小さい音で旋律をうたいはじめた。歌詞はない。しずかな繰り返し。
しばらくして、ミズヲの視線に気付いたエズラトゥオスは、ぼそぼそといった。
「誰も知らない歌だ。死者のための短い唄」
「死者のための?」
「ええ」
彼は顔をあげた。
「きれいな曲でしょう。祭は死者をとむらうのか目的だから、死者の歌を歌っても、かまわない。この曲の作者は、たくさんの曲を書いたんです。いまの私のように、依頼主の以来に応じて、お祝の曲、歌、儀式のための音楽、権力を誇示するため、死者を弔うため、ときには、人々を勇気づけるため。たくさん、たくさん書いた。そのなかの、一曲です」
彼はそこからは、なにごともなかったように、仕事の話をはじめた。
歌手はいないかと声をかけたら、すぐにノミヴォの名前がでた。誰にきいても同じ名だった。オクウトではもともと名の知れた女優であり、歌も評判で、そもそも大劇場の公演では、彼女が舞台に立つと思っていた人は多かった。人々は口々に彼女の登場を喜んだ。ノミヴォが歌うそうだ。そうだろう、それが当然のことだ。興行師のエズラトゥオスは、彼女の存在を知らなかった。依頼をうけたとき、成功のほかにこれといった条件はなく、主役は都から自分がつれていくと提案したからだ。
驚きながらもノミヴォを呼び寄せた。彼女はすぐに返事を寄こし、早々に足を運んできたが、堂々と落ちつきを払っていた。にこやかに笑みを浮かべ、大劇場を用意する人々が、顔見知りがそこらじゅうにいることをしめすように、すれ違う人に次々とあいさつをかわし、ねぎらいの声をかける。若くはないが、老けすぎているわけでもない。姿かたちは及第点。力強い歌声は問題はない。のみこみもはやく、人の話もよく聞く。すでに多くに慕われており、彼女がきたときいて、表情を明るくする者も多い。エズラトゥオスは彼女を主役にすることを決定し、作業の再開と一部の変更を告知した。新しい主役は体格がよくて、衣装はすべて手直しが必要だった。時間に余裕がないことはノミヴォもよく分かっていた。
詰め込まれる稽古に、すぐに彼女は難癖をつけはじめた。時間がないのは分かっている。しかし、そんなに次から次に言われては、頭に入れても、うまい流れはできない。観衆がみて楽しい芝居にするには、役者のほうにも余裕がいる。時には息抜きが必要だ。お前だってそうだろう。だから気晴らしをしよう。あっけらかんとして、出て行こうとする。
エズラトゥオスは仰天して声を荒げた。
「なにを言っているんだ、あんたは!。そんなことをしてる時間はないんだ!」
ものすごい剣幕に、ノミヴォはあきれかえる。
「短気な男だね。怒ってばっかりじゃやってられないわ。みんなつまらない顔をしているじゃない。あたしも声がでなくなっちゃうわよ」
「喉がつぶれたっていうのか」
怒りをこらえてエズラトゥオスはいう。ノミヴォは虚を突かれたが、胸をはって高らかに笑う。
「なめてもらっちゃ困るわよ。これぐらいのことでおかしくなったりはしないけど、おもしろくないことはやってられないと言っているの」
「いったい何が望みなんだ」
エズラトゥオスは彼女の意図をはかりかねた。もっと報酬を増やせというのか。金をだすのは自分ではないが。
「私はオクウトの人間だから、もう十分。でも都からきた歌姫は、豪華な部屋に寝泊まりして、楽しい思いをしていたというじゃない」
それとなくにおわせる言い方に、エズラトゥオスは思い当たる節があった。《彼女》は美男を侍らせ、美女を踊らせ、楽師たちに奏でさせ、豪華な食事と酒を人々にふるまった。多くの人々に話題にされ、その場に居合わせたひとから大袈裟なほどにお礼をいわれた。この女がどれほどの人物かしらないが、説教や説得をしてる時間はない。金は思う存分使えと言われている。大急ぎであちこちに使いをだした。
ミズヲは劇場から、急ぎの使いで、これといった要件のない呼び出しをうけ、マニュも不思議そうな顔をしたが、いってこいと許可をする。ミズヲは途中でホバックを誘った。
「いますぐに?」
「そう、いますぐ劇場に」
すました顔で、ろくな説明をする気がなさそうなのをみてとり、ホバックはついていき、道すがら尋ねてみた。
「どんな急ぎの用だって」
「新しい注文でもあるのだろう」
ミズヲはこちらのほうを見ないで口先でこたえる。
劇場までくると、奥へ案内された。エズラトゥオスは宿泊用の部屋を別に用意されていたが、劇場の控え室のひとつに、ほとんど寝泊まりしていた。壁には大きな鏡があり、これでもかと散らかった部屋を、無駄に広くみせていた。大小の行李からあふれるのは芝居の衣装か、様々な色や形の衣服や帽子や羽織りもの、かぶり物、仮面。日用品や食器や、大きく広げた建物の図面、人型の落書き、楽譜、人形劇の模型。険しい顔で周囲と会話していたエズラトゥオスは、二人をみると、話を中断して、あらゆるものを乗り越えてきて、笑顔で頭をさげた。
「ありがとう。また歌手の相手をして欲しい。代わりの新しい歌手が、前の歌手と同じ待遇にしろといってきかないんだ。じゃないと舞台がやれないとか」
ミズヲは冷めた笑いを浮かべそうになったが、穏やかなものにすげかえた。
「かまいませんよ。こちらもつれてきましたから」
「おお、そちらの君も? 助かるよ。君たちの働きは、ちゃんと必ず上の人たちにも伝えておくから。自分の持ち場もあるだろうに、申し訳ない。ではさっそく、さあさあ急いで」
ホバックは呆気にとられ、そそくさと観念して後に続いた。どうもまた絶世の美男子の控えのようである。彼が相手では仕方がない。エズラトゥオスは二人をせきたて、歌手の控え室に案内した。楽屋の扉をせわしく叩く。煙たがる声の許可のあとに、扉をあけると、ノミヴォは下女に荷物を持たせて、帰り支度をしているところだった。ミズヲが視界にはいると、動作をとめ、美しさに驚き、目を輝かせ、陽気な声をあげた。
「あらやだ、信じられないくらいの美形だわ。噂が正しいこともあるのね」
評判を確認しただけで、だいぶ気が済んだようだ。ミズヲは美しいほほ笑み浮かべている。彼がそつなくふるまえばふるまうほど、ホバックの笑顔と動作はぎこちなくなる。
「私がごちそうするわ。美味しいごはんを食べて、ぱーっと騒ぎましょうよ」
ミズヲに付き添いをさせ、ホバックにも手招きする。うつろな既視感をおぼえつつも、今回は深酒はしまいと心に誓いつつ、ホバックはあとにしたがっていく。エズラトゥオスはとりあえず胸をなでおろし、彼女がいないあいだに何をしておくべきか、何ができるか、頭を動かしていた。
ノミヴォは、都の歌姫が食べた料理、飲んだ酒を持ってこさせた。人々があちこちから集まってくる。詳細はわからぬがノミヴォのごちそうらしい。さすがオクウトきっての大女優。祭は思わぬ宴会が多くて楽しい。どたばたと宴会が始まり、杯を交わすと、次々と酒も食事もたいらげられていく。
喧噪のなかで、女はまくし立てる。オクウトには自分がいるのに、興行師はわざわざ都から女をつれてきた。急に死んだのはかわいそうだが、本来舞台に立つべき人間は自分だった。そして、宴会はほおっておいて、ミズヲとホバックを従えて早々に店を出る。
彼女が向かったのは、なじみの居酒屋だった。すでに料理や酒が用意されている。老若男女が店からはみでるほどに集まって、彼女を出迎える。
「さぁ今日は、ぜんぶ私のおごりだよ!」
彼女の声を合図に、また宴ははじまる。
ホバックは呆れながらぼやいた。
「ずいぶん顔が広いなぁ」
「となり近所だろう」
ミズヲは他人事のように騒ぎを眺めている。ノミヴォはとっくに彼のそばにはいなくて、別のかたまりで大いに楽しそうだった。体格のよい無骨な夫に頬寄せ、顔がそっくりな二人の子どもを何度も抱きしめていた。
(旧題:歌姫と)
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