病《やまい》 ■病■


 積み上がった荷の上を腰かけにして、レンラは星が瞬く夜空を見上げていた。ミズヲはその前を通りすぎようとしたが、彼女はすぐに気づいて軽やかにおりてきた。

「お前が暇になるのをずっと待っていたんだぞ」

「暇じゃない」

「朝から夜遅くまで、毎日大変だなぁ。稼ぎ時とはいえ、こうも続くとうんざりしないか」

 彼女こそ引く手あまただと、ミズヲは耳にしていた。名高い魔法使いを呼ぶことは財力の証であり格をあげる。名のある家が招いた魔法使いは、他の家も負けじと声をかけ、次から次へ渡り歩いていく。

「荒稼ぎしているらしいじゃないか」

「わたしが為すべきことを、わたしができうる限りしているだけだ」

「さぞお疲れのことでしょう、高名な魔法使い殿。はやくお休みになってください」

「あっちこっちの美人といい仲になったくせに、機嫌が悪いな」

 ミズヲは足を止め、彼女のほうに向き直る。

「俺が誰と何をしようと、あんたには関係無い」

「当然だ。お前なんぞに用があるのはわたしではなく、アレッセだ」

 レンラは言いながらミズヲの手をつかんだ。すぐにふりほどかれた。ミズヲはさっさと歩いていく。

「なぜ話をきかない」

 ミズヲは足をはやめた。レンラはまた後ろから彼の腕をつかんだ。ミズヲはふりほどいて怒鳴った。

「さわるな!」

「逃げるな」

 レンラはミズヲの肩に手をかけたが、引きはがされた。断固として触れさせず、立ち去ろうとする背中に、彼女は大声をだした。

「なぜ親友の死の話を聞こうとしないのだ」

 騒がしいやりとりは、注目を集める。ミズヲは戻ってきて、低い声でいった。

「死んだなんて嘘だ。そんな嘘は聞く必要がない」

 何の意味があって、こどものように駄々をこねるのか。レンラは内心不思議でならないが顔にはださない。ミズヲはまた背をむける。

「待て」

「来るな」

「待てといっているのに……!」

 レンラは声をあげながら、突然打たれたように動きをとめた。わなわなとふるえながら、腹部を押さえながら、じりじりと身をかがめる。ミズヲは足を止めてふりかえったが、警戒していた。彼女はそのまま地面にうずくまる。ミズヲはあやしみつつ、そばにより、のぞき込んだ。

「レンラ」

 ミズヲは呼びかけて、ほおにふれた。冷たい。レンラは薄目で視線をむけようとしたが、声はでなかった。

「屋敷が近い。立て」

 周囲の目もある。ミズヲはレンラのからだをおこし、しょうがなく抱き上げた。彼女は長身ではあるが軽い。多少の注目を集めつつ、広場に面して立つ、ザルトの屋敷を訪ねた。使用人たちは、迅速に彼女を部屋に運び介抱した。騒ぎをきいて、くつろぐ格好のベニエがでてきた。使用人たちに手早く指示をする。ミズヲはおとなしく礼をのべた。

「お気遣いありがとうございます」

「レンラさまは、病気がおありですか」

 問われて、ミズヲは思い返した。そんな話をきいたかもしれないが、はっきりと憶えていない。おそらくは本人が、曖昧な話し方をしたのだ。

 用意された客間の寝床に横たわったレンラは、ほどなく落ち着いた。あとを頼んで、ミズヲは辞して出ようとしたが、ベニエは当然のように言った。

「あなたも泊まっていって。隣も客間がある、手伝いはいつでも呼んでかまわない、あなたが不自由することはない」

「……」

 ミズヲは無言で彼女をみて、軽いため息でそれにこたえた。

「なにかご入り用のものがありましたら、いつでも呼んでください」

 手当がおわると、ベニエはレンラに何か語りかけ、明かりを落として出て行った。レンラは瞬きして、礼を言ったようだった。すでに落ち着いた様子で、腹の上でじっと手を組んで、天蓋を見つめている。暗い明かりで、髪をわけて額をだして、どこか心細くもみえる。話をするのが辛いのだろうか、なにも言わない。ミズヲはためらったが、枕元に近づいて話かけた。

「動けなくて、アレッセに、助けられたことがあるだろう」

「あぁ」

 レンラはすぐに応えたが、天井をみたままだ。

「それがきっかけで親しくなったと」

「そうだ」



     * * *



 ある日ミズヲは、長く謎でたまらなかったことを、アレッセにたずねた。

「どういうきっかけで、レンラと知りあったのだ」

 他愛のない、しかし意を決したような問いに、アレッセはさらりといった。

「役所の廊下で、行き倒れていたんだ」

「役所? アレッセのいるところか?」

「そうだ」

「なぜそんなところ、彼女が」

「魔法使いの組合には、役所への定期的な報告義務がある。彼女はその役目をやらされていた」

 誰かがやらねばならぬことなのに、役所へ足を運ぶ者はなぜか誹られ、陰口をたたかれる。行けば行ったで、たいてい無能な役人の男が、人を馬鹿にした態度でくだらない嫌みを吐く。魔法使いは肝心なことをいわない。女ならなおさら当てにならないと嫌みを言う。制度が出来た頃は、重要なやりとりもあったのかもしれないが、すっかり形骸化して惰性で続いている仕組みだった。

 日暮れをすぎた建物を歩いているとき、光の届かない通路の奥のほうからうめき声がきこえ、アレッセはぎょっとした。おそるおそる近づてみると、湿気た空気の隅に、床に倒れそうなほどに、人がうずくまっていた。

「だいじょうぶか」

 声をかけると意識はあるが、もうろうとしている。

「ここはよくない。私の部屋へ行こう。しっかり」

 肩に担いで、彼は自分の執務室に運んだ。相手を長椅子に寝かせ、苦しそうなので胸元の衣服をゆるめて、手が止まった。

「自分自身を女と思わせない術をかけていたんだろう。そうでなければおかしい」

 気づかないはずがない。気付けば、美しい魅力的な容貌は目をひいた。

 さほど悪い状態ではないことを確かめると、アレッセは卓へ向かって仕事をした。彼女は短い眠りにおちた。役所のなかをうろついているなら、許可を得た者であろう。女は珍しい。多少の好奇心はあったが、やがて目の前の雑務に気を集める。

 しばらくして目を覚ました彼女はしばらく目だけを動かして、室内や部屋の主をみていた。やがてゆっくりとからだを起こした。そこでアレッセは彼女に気付いた。

「廊下で倒れかけていたから、ここへ運んだ。私の仕事部屋だ」

 彼女は頷きながら、自分の着衣のほどけたのをみた。

「申し訳ない、苦しそうだったからすこし脱がせた」

 アレッセが迅速にことわりをいれると、彼女は薄い笑みをうかべて頭をふった。着物を整えると、名をなのり、礼をのべた。魔法使いであり、また日を改めて礼にうかがうと約束して、帰っていた。

 魔法使いは自分を介抱した若い役人をおもしろがり、役人は男女が曖昧な女の魔法使いに関心をもった。懇意にするのは双方に利点がある。それぞれの主たる職域の話題、知らない土地の話、閉鎖的な政庁での噂。やがて個人的な挿話もさしこまれる。レンラは貧しい辺境の偏った土地の、偏った家に生まれ、その地域では女の地位は極端に低く、単なる労働力だった。生むだけ生んで、働けるだけ働いて、次の労働力を生み育てたら、皆まもなくからだを壊して死んでいった。あるとき旅人が、レンラには魔術の才能がることを指摘した。彼女にとっては、思いがけない方向からさしこんだ、一筋の細い強烈なきらめきだった。魔法使いは近くにはいなかったし、大人たちは特にその話に興味をもたず、教えを受けられる人を探すこともしなかった。やがて彼女は、流行病はやりやまいが蔓延したとき、多くの死者がでて混乱したとき、生まれた土地を去った。故郷にはなんの未練もなかった。

「いろんな苦労をして、魔法使いになったらしい」

「才能はあったのだろう」

 ミズヲが気のない返事をすると、アレッセはいましがたはじめて気づいたようにいった。

「彼女が嫌いなのか」

「好きとか嫌いではない」

 賢者のはしくれだから自分より知識は多いだろうが、何かと自分を子ども扱いしていて気に入らない。男女の性別さえあいまいにみせ、年齢も判然としない。素朴で清純な少女にみえたり、したたかな女であったり、何もかも興味をなくして老け込むこともある。脈絡なく自分をからかう。ミズヲがとつとつと文句を言うと、アレッセは愉快そうに微笑んだ。

「印象を操作することは簡単だそうだ。性別など造作もない。多少の年齢、病んでいるか、健康か、力のあるものにみえるか、まったくないものにみえるか」

 男と女、性別をかえて思い込ませるだけで、人の対応はくるりと変わる。

「だがすべては表層的なことだ。ほんの思い込み。何かきっかけがあればほどける。あとになって地団駄をふむ」

 ミズヲには聞き覚えがあることばだった。レンラが簡単な術の手ほどきをしたとき、言った言葉だ。あまりにもミズヲの要領が悪くて、レンラはげらげらと笑い出して止まらなくなった。石を見る目はあるが、魔法の才能はからっきしだと。

「俺もぜんぜんだめだと言われた。不真面目すぎてだめだとさ」

 アレッセは笑い、ミズヲもつられて笑った。彼には必要ない力だ、人を表層的にあざむくことなど。



     * * *


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