三つの顔

 ザルト商会の市場も、一日の店じまいをはじめる。イルキは時間が遅くなったことと、待ち合わせの場所を特に定めていなかったことを気にしていた。

「心配ない」

 ミズヲは気だるげにこたえた。

「あいつなら勝手にくる」

「勝手にといってもなあ」

 イルキは心配そうな顔をして、ふと思い出した。

「昼に、魔法使い殿に腕をつかまれて、何をされていたんだ」

 ミズヲはしらばっくれたつもりだったが、彼は覚えていた。どこまでさかのぼって話したものかと迷ったが、ごまかしにくい相手だ。オクウトへ着く間際に、夜盗の襲撃をうけ、魔法石まほうせきを使って対抗したこと、魔法使いでないものが魔法を使うと、体力などを非効率的に消耗すること、故に自分はかなり体力が低下している状態であったことを話した。イルキは何度も驚いて呆気にとられた。

「夜盗はどうしたんだ」

隊商たいしょうが届け出ただろう」

「魔法が使えたのか」

「だから、ほんの少しだけだ」

「だいじょうぶなのか? ずっと弱った状態で働いていたのか?」

「それを、それはレンラが、治療した。だからいまは平気だ」

 おかげで今夜は、宿の部屋に帰るなり死んだように眠ることができなくなるかもしれない。

「あれで、あんな一瞬でそんなことができるのか」

「くわしいことはわからん」

 術というより、彼女の生命力をくれたというのが正しいだろうが、それは言いたくない。

「そうか、それでこころなしか色つやが増している。すれちがう女がみんなお前に見とれるわけだ」

「まさか」

 ミズヲは自嘲気味に笑う。

 商会の広場をでて、最初の角で、まちかまえていたようにレンラが向こうから歩いてきた。イルキは早足で近付いていき、遅くなったことをわびた。イルキのとまどった風な視線に、レンラは言った。

「何か気になることがあるかい」

「すまない。ミズヲからきいたんだけど、あなたが女だと教えてもらっても、どうしても男にしかみえなくて」

「それはある意味正しい。酒を飲みに行くのには、女のほうがいいだろうか」

「男のほうが気楽だな」

 イルキはくったくなく笑う。

 浮かれた街の空気の通り、店はどこも繁盛していた。にぎわう店に入ると、イルキは手早く注文して、酒と食べ物をもってこさせた。彼の発声に、再会を祝して、祭りの成功を祈って、杯を交わす。レンラは優雅に杯を掲げ、ミズヲは仏頂面のまま、杯を低くもちあげる。イルキはいつものように、あれこれレンラにたずねる。年はいくつだ、稼業は長いのか、家族はいるのか、暮らしはどうだ。魔法使いに気安く世間話をするのは、この街ではふつうのことなのか、イルキが変わり者なのか。ミズヲはいままでに見たことがない光景だった。レンラは当たり障りなくこたえているが、あとになったら、そのこたえは、なにも言っていないのと同じだとわかるだろう。訊くほうも具体的なこたえが欲しいわけではなく、話のきっかけになればいいと思っているのだろう。

「どうして男のふりをしているのだ?」

「そうしたほうが都合がよいときは、そうする。旅や移動をするには、男のように見えるほうが、なにかと便利だ」

「確かに、女のひとり旅は危険だけど」少し酔いがまわった目で、イルキはけげんそうに、彼女を見すえる。

「いまは、男か女か、どっちだろう?」

「わからないか」

 レンラは思わせぶりにほほえむ。みつめられたイルキは、見極めようと目をみひらいたり、細めたり、瞬く。

「やめろ」

 黙っていたミズヲは、短く口を挟んだが遅かった。レンラの容貌が、みうみるうちに、変化してみえた。目元、口元、杯を持ちあげる指先や仕草、話し方が、完全な女になる。彼女は言った。

「君の望むほうでかまわない」

 並みの女ではない。星のきらめきをもつ瞳、形のよい唇、耳に滑り込む甘い声。白い手首、華奢な指先。杯を傾け、赤紫あかむらさきの果実酒を飲む白い喉。イルキの瞳は緊張感をうしない、口元がゆるむ。魅力的な女の、しなやかな手先が、ゆっくりと杯を卓上におく。置いたときには、誘うようなきらめきは消え失せた。我に返ったイルキは、両手で自分の頬を叩く。

「本物の女にみえた。しかもとびっきりの美人に……。いや、本当は女だ。いまが、まやかしだということか?」

「男か女か、それが誰なのか。見た目の印象など簡単に変えられるよ。君たちは毎日同じような格好をして日がな一日似たような人間とつきあってあけくれているだろうけれど。ザルト氏のお嬢さんも、今日はずいぶん違う雰囲気だった」

 ベニエの名前をきいて、イルキの表情はひときわあかるくなった。わざと名前をだしたのだ。ミズヲはしゃくに障ったが、素知らぬ顔で彼女は続ける。

「劇場に芝居を観に行くための、豪華な、特別な衣装を仕立てるそうだ。生地を売る男や、仕立て人たちや、女たちがよってたかって彼女を取り囲んでいた」

 寝耳に水だ。イルキは目を丸くする。

「そんなことをするのか」

「こけら落としの日に劇場に行く家は、みなそのようだよ。そういう申し合わせになっているとか、いないとか。気になるかい? 気になっているようだね。少しだけ見せてあげようか」

「見せる?」

「わたしが見たものを、君の目にみせてあげよう」

 彼女がやろうとしていることに気付いて、ミズヲはやめろと言いかけたが、その前に、レンラは手を伸ばして、イルキの手の甲にふれていた。イルキの視界が真昼の光に、明るく覆われた。

 ——見覚えある屋敷の中庭に、真昼の陽光か豊かに降り注いでいる。若い娘が、ベニエが家のなかからでてくる。美しい煌びやかな服を身にまとっている。こんな格好で申し訳ありません。落ち着かないまま、詫びを言う。

『お美しいです、お似合いですよ』

 魔法使いの言葉にはにかみ、輝く笑顔を見せる。

 ——イルキの視界は、夜のさんざめく居酒屋のなかに戻った。魔法使いの手は離れている。

 心が動いた。幻なのに。

 イルキは、ため息をついた。他人が見た光景を自分で見る驚き以上に、ベニエの姿に心をうたれていた。

「なんてきれいだ……」

「とても美しい人だね」

 レンラはミズヲをみたが、ミズヲは目をそらせた。二人のやりとりに気づかず、イルキは、幸せな表情をしている。

「そう、そうなんだ。でもあんなに美しい姿は、はじめてみた。ありがとう」

「オクウトの大商人の家に恥じない、その力を示す格好をしろと、周りじゅうからくどくど言われているそうだ。しかし困ったことに、要するに、贅沢の仕方がわからない。妹君は大変な乗り気だが、彼女はいままでそういうものにさほど気をむけていなかったのだろう。衣服に、履き物に、髪飾りに首飾り、手にもつもの、付き従えるもの」

 都では、財を得た一部の人間が、美しい服をきて、繊細豪華な宝飾品を身にまとう。繁栄著しいオクウトであるが、都の規模や洗練さに較べれば、及ぶべくもない。だからこそ憧れる。

「そうだ、ミズヲ。お前が適当なやつを見繕っていったらどうだ」

 レンラは軽い調子で言ったが、イルキは戸惑いと期待に満ちた目をむける。自分も華やかな世界の範疇外、いやしかし花婿候補のひとりと言われている相手だが。ミズヲは冷静に自分のもっているのは、ただの石だから、人を飾るにためには、細工が必要だと、イルキに教えた。

「腕の良い細工師がいても、いまからでは、間に合わないだろう。もっと前から、どこかに話がいっているのではないか」

「そうなのか。でもお前がみつけてくるものなら、きっと特別なものになる。あぁ、もう少し早く用意していれば。もっと上品できれいな生地でもを扱っていればな。ホバックに相談しようか。いや、だめだな、あいつでは」

 イルキは自分で思いついた妙案を、即座に否定する。

「どうして、その男はだめなんだい」

 レンラが問うと、イルキは気恥ずかしそういった。

「商人としては信用できるが、花婿候補を公言している」

「あぁ、そうなのか!」

 レンラは驚いて、大袈裟に天を仰ぐ。

「昼間、ベニエのところに、そんな名前の男がきていたよ。衣服にとても詳しい男で、とても助かっていると、女中が話していた」

 イルキは打たれたように絶句し、みるみる落胆していく。あからさまにからかわれているが、彼は気づかない。ミズヲはうんざりしていたが、彼にはどこか余計なことをしたくなる気持ちがわいてくるのは否めない。レンラは彼をなだめて勇気づけると、機嫌よく杯をあけた。

「こういう酒は楽しい。以前はよく私たちも楽しい時間を過ごした。ミズヲと、わたしと、もう一人は、都の役人だ」

「ミズヲは酒は苦手なのだろう」

「そうだ。役人もからっきしだった。ほろ酔いのままだらだらと、眠っているか起きているような時間を過ごす。気楽な一夜だ」

 イルキは『私たち』を想像してみた。

「魔法使いと、旅の商人と、役人と……? 珍しい組み合わせだな」 

「変わり者だ。そいつは、よりにもよって、ミズヲをかばって、代わりに刃物で刺されたんだ」

「刺された?」

 イルキは仰天して、刺されなかった男の顔をみた。ミズヲはばつが悪そうに目を伏せるが、レンラは愉快に説明する。

逆恨みさかうらみした男が、居酒屋でミズヲに刃物をむけた。そこにたまたま居合わせた見知らぬ男が、とっさにかばって刺された。顔見知りでもなんでもない、赤の他人の身代わりになったんだ」

「それは、なかなかできないことだ」

「そうだ。変なやつだろう。刺した男は、実は高官の息子で、かばった男の顔見知りだった。だから彼は同僚をかばったのだ。そして後の始末は穏便に、きちんと、きれいにまるく収められた」

 イルキは驚きを通り越して呆れた。

「人の女を寝取って、口止め料をもらったのか」

「違う」

 ミズヲはたまらず口を開く。

「男のことは知らなかった」

「その言い訳を、いままでになんど聞いたかしれない」

 レンラがすかさず言うと、イルキと笑い出す。ミズヲはふてくされて黙るしかない。レンラはかってに他人の恋愛遍歴をつらつらと語る。刺し違えるかというほどの女たちの熾烈な争い、恨み辛み、泣き落とし、富豪の老人からの猛烈な求愛、こじれた挙げ句になぜか当人を放りだして寄りを戻した恋人たち。

「三人で飲む酒はいい」

 レンラは懐かしんでいった。

「二人の意見をきくことができるし、自分以外の二人が話しているときに、気を抜いたり、居眠りすることもできる」

「ふうん、確かにそうかもしれないね」

 イルキはほろ酔いで同意した。彼女はほほ笑み、杯をあおり口をぬらすと、少し声を低くして、ささやいた。

「だが彼はもう、死んだんだ」

 唐突な、場にそぐわない言葉で、イルキはすぐには理解できなかった。

 ミズヲは瞠目する。レンラは静かにいった。

「ずいぶんお前を探したぞ。行く先々で、少しの差で、まるで逃げるように、お前は次の街へうつっていた。ここで捕まえられてよかった」

 イルキは場を取りつくろうように、遠慮がちに尋ねた。

「急なことだったのか」

「死はたいてい突然だ。珍しい話ではない。花がたくさん手向けられていた。次々と人が弔問に訪れ、あたりは黄色い花でうめつくされていく。たくさんの人に慕われていたから。安らかに、眠っているようだったよ」

 レンラの手が、卓上で杯をつかんで固まってた、ミズヲの手の甲に伸びて、指先まで重なった。拒む間もなく、ミズヲの視界は、真っ白に明るく遮られる。

 ——光がさえぎられ、影がよぎる。

 列をなす人々が、ゆっくりと歩を進めていく。

 うなだれてすすり泣く人影が——

「やめろ」

 ミズヲは手をはらいのけ、立ち上がった。

「そんなの嘘だ。信じない」

 思わぬ剣幕にイルキはギョッとした。レンラは静かに彼を見上げる。ミズヲは吐き捨てるように言った。

「あんたはいつも冗談がすぎる。そんな話、俺は信じない。死ぬわけがない。死ぬわけがないんだ」

 言い捨てると、ミズヲはそのまま店をでていった。レンラはしばらく去ったあとをみていたが、立ち上がる気配はない。イルキはおそるおそるいった。

「追わなくて、いいのか」

「急ぐことはないよ。明日もあさってもどうせ仕事だろう。祭の日まで、まだもう少し日があるから」

 レンラはひくく、呪文を唱えるようにいった。

 店をいっぽでたミズヲは、すぐに何ごともなかったような平然とした顔で、道をあるいた。宿は全体が静かになっていた。いくつ小さな部屋があって、何人の旅人がいるかは知らない。

 夢は閉ざされていた。

 心を閉ざすのはむずかしくなかった。目を閉じればすぐに、眠りは訪れた。


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