■逢瀬■



     * * *



 ありふれた夜。女のお気に入りの酒場は、ほがらかな酔客でにぎわう感じのよい店だった。店へ入るとあんのじょう、ちらちら視線を集める。彼女が最近手に入れた、新しい恋人は、とびきりの美青年だった。集まる好奇心に、彼女の胸はいっそう高まった。彼女の好物で店の売りである、甘く煮た果物くだものが運ばれてくると、さっそくほおばった。酒を飲む前から、ほんのりと紅潮している。うかれるほどに幸せだった。

 やや無愛想な、冷めた、しかし恐ろしいほど美しい男といるときは、年上ぶることも、うぶな娘のふりをする必要はなかった。いままでの男と違って、彼は声を荒げたり、手を上げることはいっさいなかった。ときどき、不快感や自身の好みでないことを、控えめに示すことはあっても、露骨に嫌な顔をせず美しいままだった。その男といるときは、見栄をはる必要がなかった。彼はやさしく白く長いきれいな指で頬にふれて、心をほぐしてくれる。そんな男は、彼女の人生にははじめてだと思えた。

 女は、指先で果実をつまんで、ミズヲの口元へ運んだ。

「あなたも食べてみて」

 唇に近づいたものを素直に受け入れて、数回咀嚼そしゃくして、飲み込んで、悪くない、という顔をする。彼女にはそうみえる。こんないい男を自分のそばにおいている。たまらなく満たされた気持ちになる。肩を寄せているとき、彼の美しい目やまつげや、唇を、間近でみることができる。彼の瞳は、どこか無関心に、うつろにぼんやりと彼方をながめているようなことが多かったが、それがまた彼女の気持を強くしていた。この人は心のどこかに憂いがあるのだろう。他人においそれとは言えない悲しみや、世をはかなむような気持があるのだろう。だが、自分なら、きっとそれを癒すことができる。彼にあたたかい光を与えることができる。なんの根拠もないが、女はそうだと思い込んで信じてた。彼にはそうするだけの価値が彼女にはあった。

 それを打ち破る音が響いた。

 悲鳴と、杯や皿が落ちる音がつづく。まだ幼さの残る給仕の女が、恐怖におびえてすべてを落としていた。顔が赤らんでいる客たちは、一度では気にも留めなかったが、音が続くと、さすがに注意をむけた。

 なにごとだ? どうしたんだ?

 男が、店の入り口から入ってきていた。息の荒い、真っ青まっさおに血の気のひいた男である。夢におぼれていた女は、ひっと息をのんだ。ミズヲは立ち上がった。自分を守るような姿に、彼女はおびえながらも、守られていることに心が浮き立つ。客たちはどよめき、珍しくない光景に口笛を鳴らし、ヤジを飛ばす。

 色男! しっかりしろ! 

 他でやれ、酒がまずくなるぞ!

 怒りに震える男は、からだをかがめたまま、あごを動かして、上から下までミズヲをねめつけて怒鳴った。

「お前か、薄汚い盗人ぬすっとは!」

「でていってよ!」

 女は金切り声を上げた。ミズヲの背後に隠れながらも精一杯の虚勢を張る。

「あんたとはもう関係ないのよ。あたしはもうこの人と」

 少し上がった男の手に、刃物が握られているのをみて、女の声は途切れた。

 野次馬たちは後ずさり、小さい悲鳴がとびかい、足音がばたばたと店の外に出て行く、はやしたてる口笛は止んだ。かわりに、ささやく声がした。

 早まったことはやめろ。そんなことをして何になる。

 まだ若いじゃないか。人生あきらめるには、はやすぎるぞ。

「逃げろ」

 ミズヲに促されても、女は震え、男を凝視して、動けない。男は恐ろしい形相ぎょうそうで、ミズヲから目をはなさないまま、剣をふりあげ、前へ踏み出したがよろめいた。余計にいきりたち、両手で刃物をかまえ、まっすぐに向かってくる。ミズヲは、いつか自分は、はやく、くだらない死に方をするだろうと、思い描いていた。相手は誰だろうと、理由はなんだろうとかまわなかった。価値がない死に方がいい。

 ミズヲは目を見開いた。

 だが、刃を受けたのは、見知らぬ男のからだだった。横から男がとびこんできていた。ミズヲはすべてを疑ったが、血を流しているのは自分ではなかった。

 女の悲鳴が、何度も耳をつらぬく。倒れた男は、苦痛に顔をゆがめながら、同時に微笑んでいるようにもみえた。おさえた手の隙間から、血がにじみだす。刺した男は、刃物はものを手から落とし、愕然がくぜんとし震えていた。我をとりもどした客たちは、それとばかりにとびかかかる。男は床にねじ伏せられても、目も唇も小さく動き続けている。

 ふいに、周囲を囲んでいた人々の数人が、場所をあけた。刺された男のそばに、とりみださず身をかがめる者がいた。魔法使いだと、ミズヲはわかった。苦痛に顔をゆがめる男に話しかけ、顔を近づけその声をきく。手早くなにやら術を施して、店主に告げた。

「奥を借りられるか」

「もちろんだ」

 店主は我に返り、指示をして男を奥へ運ぶ。刺した男をつかまえている者たちは、自然とその魔法使いの指示を待つ。魔法使いは彼らに近づくと、小声で言った。顔を見合わせたが、刺した男を乱暴には扱わず、近くの椅子に座らせ、周囲を囲む。落ち着いてくると、見ていただけの客は、ばつが悪そうに、勘定をして店を出て行き始めた。

 役人たちがかけつけたときは、見張っている数人と、騒ぎのあいだも我関せずで飲んでいる客しかいなかった。役人たちは、いつになく機敏きびんだった。刺した男に近づき話しかけ、震えていて応えがないことを確かめた。見張っていた男たちから話をきき、ミズヲを一瞥いちべつする。奥にいった一人が、深刻さを増した顔で戻ってくる。刺した男を無理矢理立ち上がらせ、外へつれだした。刃物は布にくるまれていった。

「やれやれ」

「とんでもない晩めしになったな」

 見張りから解放された男たちは、ぶつぶつと言い合いながら、店をあとにしていく。店で働く娘は、店主にいわれて泣きべそをかきながら、片付けをはじめていた。ミズヲのそばにいた女は、とうにいなくなっていた。ミズヲは役にたちそうなふうで、しかし、なにもしないでそこにいた。呆然と床に座り込んでいた。魔法使いが近づいてきた。ふだんは、用心深く接する相手であるが、いまは身構える気力はない。

「刺された男は大事はない。刺した男は、刺された男と、ふたりとも同じような役人だそうだ」

 ミズヲは目をみはった。

顔見知りかおみしりだったから、とっさに身を投げ出したらしい」

 刃物をもつ男のほうを見知っていたから。それだけで、赤の他人の盾となるだろうか。ミズヲは奥のほうをみた。魔法使いは段取りをこなすようにつけくわえた。

「彼が気にしていた。君は、だいじょうぶか」

 平気だとこたえようとして、ミズヲは少し震えた。魔法使いはその腕をつかむと、椅子に座らせた。酒を注ぎ杯を差し出す。ミズヲは首をふった。かすれた声をしぼりだした。

「そんな強い酒は飲めない」

「名前は?」

「ミズヲ。石を売る」

「わたしはレンラ。魔法使いだ。今日はもう帰るといい。アレッセのことが気になるなら、またここへ来い。店主に伝言でも伝えておく」

「……わかった」

 自分をかばって刺された男の名を、ミズヲは知った。


 女は人づてに簡単に別れを告げてきた。店はなにごともなかったように、もしかしたら以前より機嫌よく商売をしていた。酔客の話に聞き耳をたててみると、客が少しだけ増えているらしい。店にはなかったような、いい酒がある。食べ物もいいものがある。何かいいことがあったのかと主人にきいても、ツキがまわってきたのだと笑顔をみせるという。主人はミズヲに伝言を預かっていた。

 よくある刃傷沙汰を、ほとんど誰もが忘れた頃、約束の頃に店に向かうと、彼はもうそこにいた。主人とにこやかに話をしている。ミズヲをみると旧知の間柄をみつけたように声をかけた。

「やあ、元気そうだね。怪我もなくて、なによりだよ」

「あなたは、重症だ」

「治りははやいよ。レンラがはやく手当をしてくれたのがよかった。すぐによくなる」

 そうか、とミズヲは思った。自分が原因で起きた騒ぎなのに。ミズヲは頭をさげて礼を述べ、小さい革袋を差し出した。アレッセは不思議そうな顔をしながら、受け取って中をみた。店主が酒と杯と肴をもってきて置いた。ちらりと視線を落とし、すました顔で去っていく。アレッセは中身を、指先でつまんで半分とりだしてみたが、そのまま戻した。

「これはずいぶん、高価な品ではないのか」

 ミズヲは、向かいに腰をおろした。自分が宝石や石を扱う商売をやっていると話した。まだもう少しだすことができると言いかけると、アレッセは逆に、一回り大きい、重さのある小さな袋を卓上においた。刺した男の家族から預かったという。

「これは君の分。俺も押しつけられたよ。役人が仲間の役人を刺したなんて、ばつが悪いからね。彼も、彼の親も、高官なのだ。秘密だけど」

 自分の知らぬ間に始末がつけられていたことが、ミズヲはやっと分かった。

「受けとれない」

とかろうじてこたえた。暗い表情をみて、アレッセはいった。

「嫌な気分にさせて申し訳ない」

「どうしてあなたが謝るのですか」

「いい気分はしないだろう」

「すべて俺が原因です」

「こういう話は、誰かひとりが悪いってことはないだろうよ」

 アレッセはこともなげにいって、酒を注ぐ。

「酒は飲めるか」

 ミズヲは少しだけとこたえた。杯をかわして、アレッセはいった。

「俺も強くはない。アレッセだ。よろしく」

 ミズヲははじめて、自分の代わりに刺された男の顔を、しっかりと見た。

 その夜のうちに、たくさんのことを話した。商売で旅が多くて、あまり都にいないこと。石にまつわる様々な物語、行く先々での珍しい習慣や出来事。アレッセは話をきくのがうまかった。ミズヲが自分では思い出しもしないことも、きっかけとなることをたくさんのことを知っていた。アレッセは謙遜していった。

「ほとんど見聞きしただけだ。じっさいにそこへいったわけじゃない」

 中途はんぱな立場の役人は意外と不自由だ。雑用でどこかに足を運ぶこともなく、優雅に練り歩き豪華な接待をうけるわけもなく。

 別れ際には、ミズヲはまた話を聞かせると約束をしていた。もしかしたら、アレッセとそんな約束をしている人間は、大勢いるのかもしれない。旅する人間から、地方のことをあれこれきいて、自分の糧にしているのかもしれない。一種の諜報活動だ。役人の密偵だと思われたら、同業者にはよくは思われないだろう。お上の犬だと密やかに罵られるかもしれない。だが二度目に会ったときには、ミズヲはそんなことを考えるのも忘れていた。


 ある夜、アレッセの近くに、先にほかの人間が座っていた。レンラだった。飲み交わし笑いさざめく人々のなかで、彼らのいる場所だけが違って見えた。あのときは世話になったと、ミズヲは改めて礼をのべた。同時にアレッセと親しげな魔法使いを警戒していた。魔法使いは、用心してかからないと痛い目に合う。楽しげに会話をする二人をみつめて、ミズヲはやがて、違和感の別の原因に気がついた。

「君は、男なのか、女なのか」

 問いかけに、レンラはすぐに愉快そうな顔になった。

「どちらだと思う?」

「わからないから、きいたんだ」

「どちらでもないよ」

 ミズヲは疑り深い視線をやめない。アレッセはどちらの側につくともなく、様子をみている。

「どちらがいい?」

 たずねられ、ミズヲは女に言うようにこたえた。

「女がいい」

「なぜ? 自分になびくから? 支配できるから?」

 そういったときの魔法使いは、怒りを積み重ねることにも飽きた女にみえた。

「わたしは、君が男でも女でも、どちらでもかまわないよ」

 そういったときは、成熟した大人の男が、未熟な少年をたしなめるようだった。

 ミズヲは驚愕した。

 アレッセはなだめるように、魔法使いの前に手をだした。魔法使いはおとなしく従った。ミズヲの前にいるのは、自分より少し年上の、女になった。

「わたしは女だ。あらためてよろしく。女でいると、なにかと不便がおおくてね。たとえばここにいても、なぜか酔っぱらっているのは男ばかりで、給仕するなかに女がいるくらいだろう」

 ふつうの若い女は、こんなところでは酒はのまない。ミズヲは言い返しそうになってやめた。

「失礼な言い方をした。悪かった」

 レンラはこともなげにいった。

「男か女かわからないと、落ち着かないだろう。当然のことだ。相手の性別がわからないと、自分がどのような態度ででるか、決められないからな」



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