すがたかたち

 うまい店でくわせてやると、イルキはミズヲをさそいにきた。マニュはさっさと行けと送り出す。ミズヲはひとりだと空腹を満たせれば、仕事するのに必要最低限の滋養があればよいという質で、それがずっと続くのは、周囲の人間からすれば目を疑う光景だった。

 活気づくにぎやかな往来を歩きながら、ミズヲはイルキの楽しげな様子に気づいた。瞳にはきらきらと街の情景が映り込み、耳はあちこちからとびこんでくる生き生きとした音を受け入れている。人や荷馬車、駆け回る子どもが巻き起こすほこりも、まるでそれがうれしいかのようだ。

 ミズヲはつぶやきをもらした。

「楽しそうだな」

 イルキは明るい声でこたえる。

「祭りだよ。こどもみたいに気持ちが弾んでくるよ」

「弔いの祭りなのに」

「それはちゃんとやると、広場の祭壇さいだんを見ただろう」

「ああ。立派なものだ」

 広場の巨大ともいえる祭壇は、色とりどりの布飾り、素焼きの人形や器が、日ごとに数をまし、お香の煙が絶やすことなく立ちこめていた。住まいや店先にも、小ぶりの、あるいはいくぶん装飾がすぎると思われるような立派な祭壇が並んで、豊かな色彩と香りで街を彩っている。

「ミズヲは、大騒ぎするのは嫌いか?」

「どうしてずっと、大きな声でしゃべったり、歌い踊ったり、食べたり飲んだりを続けられるのか、不思議になるときはある」

「ふむ。俺もそう思うことはある。俺も酒は苦手だからな。いつも困るんだ。どんどん飲めとすすめられて、吐いたり気絶したり、いいことはあまりない。ベニエに何度も怒られた。なぜ無茶をするんだ、自分で飲める量は自分でわかるだろう、注がれても飲み干すことはない、ごまかせ。でも彼女は酒が強いんだ。わからないよなあ」

 彼とはなしをしていると、唐突に彼女の名前は現れる。ミズヲは新しい友人の恋心については、下馬評では本命だと言われつつなぜか一抹の不安を感じていた。同じように感じている者は少なくないだろう。

 ミズヲは足をとめた。

 建物を出たときから、つけられていた。朝に宿を出た時も、誰かに見られていた。気のせいではなかった。雑踏のなかでも、迷いもせず、見失わず、ぴったりついてくる。

「どうしたんだ」

 イルキも立ち止まった。人が往き来する道の真ん中で、ミズヲはゆっくりと視線を動かす。獲物を探すような目つきは、浮かれた街には不自然だが、誰かが自分をみている。自分が知っている人間がいる。

「いったい何をさがしているんだ」

 イルキは、ミズヲの顔と周囲の雑踏を交互に見た。やがてミズヲの動きはとまり、かすかに見開いた。驚きと戸惑いと、いらだちがまざった視線の先に、優雅に歩いてくる人物がいる。

 何も避けずに、誰にもぶつからずに。

 ゆったりと羽織るはおる深い赤紫色の外套がいとうが、流麗に揺らめく。強く引きつけられるのに、目立ってはいない。近くまで来ると、イルキに軽く会釈をしてから、ミズヲと向かい合った。

「ミズヲ、よくわかったね、わたしのことが」

 中音域で品がある、柔らかく滑らかな、親しみやすい話し方で、優しいまなざし。ゆるやかに高いほお骨、かすかにあがる口角が、対面している人間の緊張感をとく。しかしミズヲは、露骨に不機嫌になっていた。

「悪趣味だ、あとをつけるなんて」

「忙しそうだから、話しかける機会をうかがっていたのだ」

 ミズヲの表情は、ますます苦々しくなる。不思議な人物は彼の不興は気にせず、イルキに向き直った。

「はじめまして、私はレンラだ。よろしく。ミズヲが世話になっている」

「俺はイルキだ。こちらこそ、ずっと彼の世話になっている」

「ミズヲは役に立っているかい」

「差を付けられるばかりで、こちらは一生懸命さ」

「ずいぶんと、高くかわれているね」

 レンラはミズヲに視線をむけて笑い、まるで仏頂面をわざわざ確認する。

 イルキはふたりの険悪な様子を気づいているのかいないのか、当然のようにいった。

「いまは飯を食ったら、すぐに戻らなきゃいけないんだ。今日の仕事が終わったら、一杯飲みにいこうじゃないか」

「話がはやい。ありがたいことだ」

 レンラはにっこりと笑った。

「新しい、いい友人に出会えたな」

 レンラはミズヲにむかっていったが、ミズヲは視線をそらす。レンラはいきなりミズヲの手首をつかみ、顔を近づけてささやいた。

「魔法を使ったな」

 応えるまもなく、握られたところから、あたたかい流れのようなものが、ミズヲのからだじゅうを巡った。ミズヲは驚いて手をふりほどくが、レンラはそのまま手を離した。

「商売繁盛はいいが、ふたりとも無理は禁物だよ。ではまたのちほど。君たちが一日が終わったら、また」

 あらわれたときと同じように、流れるように雑踏の中にきえていく。遠ざかって姿が見えなくなると、イルキは素直に訊ねた。

「いま、どうしたんだ?」

「……あとで」

 ミズヲは苦々しく応え、イルキはそれを素直にうけとめ、ひとりごとのようにいった。

「お前もそうだけど、嫌みなくらいの美形だな」

 人目をひくことはないが、いちど目にしてしまえば、その不思議な魅力に引き込まれる。それが外見的な魅力か、内面的なものなのか、それとも、目眩ましめくらましなのか、いつも、ずっとミズヲはわからない。

「あれは女だ」

「女?」

「男ではなく、女だよ。レンラは、他人に対する印象をあやつることができる」

「あんなにきれいな顔だから女だと思えなくもないが、確かに男だったぞ? 背も高いし」

「背は高いが、女だ」

「お前のむかしの女?」

「そうじゃない」

 ミズヲはきっぱりと言った。

「魔法使いだ」

「へぇ……。めずらしいな、あんなに感じのいい魔法使いがいるとは」

 ミズヲはイルキの感想に毒気を抜かれ、ふたりは歩き出した。

「いま俺が、レンラは女だと教えたが、まだ男だと思っているだろう」

 イルキは目をくるりと動かして考えた。

「ああ、そうだね」

「術のひとつだ。外見は対した問題ではない。人に対する印象は、話し方や、視線の動かし方、仕草で大部分が決定する。どんなにごつごつした顔つきの、からだを鍛えた大きな女でも、女は女にみえる。男がきれいに着飾っても、動いてしまえば、たいてい男だとばれる」

 ミズヲはよどみなく話したが、すべて当の本人からのきいた、講釈された言葉だ。

「そうなのかな」

「男と女を取りかえて驚かすぐらいなら、余興になるだろう。だが、たとえば、ザルト氏は『怖い』と思うことがあるだろう」

「あるね。尊敬もしているが。おっかないよ」

「畏怖がまざっている。その恐れる部分だけが、どんどん大きくなったり、ザルト氏ではない、まったく別の、他の人間に対して、ザルト氏に対するほどの尊敬や恐れを自分が持つようになったら、どうする」

「それは、ややこしい話だな。小物こもの大物おおものだと思って、敬意を抱いたり、恐れ入ったりするのか」

「そうだ。頭の悪い人間を賢いと思い込ませたり、どうでもいい人間に尊敬の念を抱くようにさせたり、服従ふくじゅうさせたり。あるいは逆に、怖がらなければならないものに対して、恐怖心を失わせたり。燃えさかる迫り来る炎や、轟々ごうごうと流れる激流を危険と思えなくなったら。人の心を支配し、命そのものを奪うことができてしまう」

「なるほどなぁ」

 イルキはわかったようなわからないような、曖昧な様子で頭をかく。ミズヲは言った。

「レンラを口説いてみたいと思うか?」

「えっ? そうだなあ。とびっきりの美人だとは思うけど、男にしか見えなかったから」

『一度植え付けられた概念は、そう簡単に除去することはできない』ミズヲの脳裏に、いつかきいたレンラの声がよみがえった。

『世界はくだらない思い込みがありすぎる。ふりまわされ、苦しみ、無駄に時間をすごしている』

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