歌う女
オクウトの中央には、巨大な広場があり、そこに面した建物は、どれも大きく立派で、新しく建てられた劇場は、大きさも豪華さも群をぬいていた。午前の光を浴びてそそり立つ姿は、
「正面はふさがってる。裏口からいってくれ」
不機嫌な口調だが、返事はもらえた。ミズヲは、巨大な建物の側面にそっけない入り口を見つけ、いちど荷物をおいて扉を叩いた。返答はない。押してみると動く。隙間からのぞきみると、中は闇だ。荷物をもちあげて、踏みこんで背中で戸がしまると、視界は真っ暗になった。外が爽快な明るさのため、一転、暗黒に入っていくようである。眼がなれるまで、ミズヲはしばらく足をとめていた。
廊下は資材や大小の包みによって無秩序に塞がれていた。壁のむこうからぱた、ぱた、とひとの行き交う音がする。ミズヲは誰かを呼ぼうと、大きく息を吸い込んだが、声をだす前に止めた。
歌声が流れてきた。歌いだしては、とぎれ、またとぎれ、またはじまる。もどかしい。ミズヲは耳と足下に注意を払いながら、細い通路を進み、明かりのもれるほうへ近づいた。垂れ幕のついた入り口や、扉のない部屋もみえる。複数の人の気配。ぼわあんとなにかが響く音もする。不意に前方を横切った者がいたが、足早に、ミズヲに目もくれず過ぎていく。どうしたものかと足をとめていると、また垂れ幕から人がでてきた。今度は怪訝な顔をする。ミズヲが用件を手短にはなすと、合点がいったようだ。
「こっちだ」
早足で歩く後ろについていく。狭い廊下には、建物の外見にくらべると、地味な扉がならんでいる。卓があるだけの小部屋に通され、待つように言われた。閉じた窓の隙間から明かりが入っている。荷物をおいて、窓を開ける。建物の裏手のようだった。
あまり待たないうちに、扉を勢いよく押し開き、濃いひげの顔があらわれた。
「ずいぶん早いな! 注文したのは昨日の夜だったのに」
深い低音の声が腹に響いてくる。髭を蓄えた、中肉中背の、どこかしゃれた格好をしている男だ。豪快な笑顔だが疲れもみえる。
「わたしが都からきたエズラトゥオスだ。いま確認するから、待っていてくれるか。そんなに時間はかからないさ。いい石ばかりだろう」
ミズヲはうなずいて壁際に立つ。椅子はなかった。
「どこもかしこも中途半端でめちゃくちゃだろう? 小物も舞台も部屋も作りかけ、よくばりすぎなんだ」
エズラトゥオスはしゃべりながら、両手で石をつかみ、吟味していく。
「芝居の準備のために次々にあらゆる物が運び込まれ、右から左、下から上にずんずん積み重ねられ、
「いいえ」
ミズヲは慣れた態度で否定する。
「君ならすぐに一番人気になれそうだが、都の人間かね? 君のような美青年の噂がわたしの耳に入っていないとはな。だが役者の世界はやっかみも多いから、縁がないなら、そのほうが幸せな生き方になるだろうよ。ふむ、これは本当に屑石というか、これでもさほど価値がないものなのか」
陽光を反射させる石をつまみあげて、エズラトゥオスはいった。
「いいものをご用意しましたから、ふつうの人が気軽に買えるものでもありません」
「それはけっこうだ。用意してもらっている枝の細工のものより、いいもののようにみえる」
「それは、私が来る前に作られ初めていたものなので。いまから交換が可能か細工師たちに確かめましょうか」
こたえつつ、ミズヲはまだその凝った細工とやらはまだ見たことがなかった。
「いや、いやだいじょうぶだ。俺の気の迷いだろう。目移りしていかんな。まあこれを衣装に……穴はあけられるんだろうな?」
「時間はかかりますが」
「職人たちにまたがんばってもらうか」
男のおしゃべりは石に集中するにつれて減衰し、かわりに音楽がきこえてきた。声と、いくつかの楽器の音。旋律はゆきつもどりつ、くり返しが続く。先へ進まないのはじれったい心地になる。エズラトゥオスはときどき旋律を鼻歌で歌いながら、石の検分を続けた。
「すばらしいね。あんたが見繕ったのか」
「注文通りに用意しただけですよ」
「それがむずかしいことだ。ほら、これなんかすばらしい。まるで、まるでそうだな、乙女の切ない胸のうちに差した月の光のようじゃないか」
男は小さなかけらをかかげて、明かりにかざす。
ミズヲがどうこたえようか考えていると、足音と話し声扉の向こうの廊下から近づいてきた。隙間から二、三人が通り過ぎるのが見える。一人が立ち止まって、扉をあけた。
「よう、ミズヲじゃないか」
ホバックは堂々とわざとらしく、気さくに声をかける。彼の連れは声の大きさを軽くたしなめて彼をおいて先にいった。
「はやいな、徹夜したのか。やあ、先生、調子はどうですか」
両手に荷物を抱えていたまま部屋に入ってきて、ミズヲの肩ごしにあいさつをする。
「順調に限界さ。君たちは友人かね。良い友は大切にしろ。彼のもってきた石はすばらしいものばかりだ」
「すごい量だな。いくら小さくてもけっこうな額だろう」
「それなりに」
ミズヲの関心のなさそうな声に、ホバックはふしぎそうに尋ねた。
「お前は宝石は好きじゃないのか」
「好きな石が、かならずしもよい石とはいえない」
「好きでなければ他人にすすめられないさ」
ホバックは自分が抱えている箱に、うっとりと視線をおとす。色も柄も手触りも素晴らしい品々を愛でる。
「そうではないか?」
ホバックは素朴な問いかけの視線を向けてきたが、ミズヲは他に気をとられ、ゆっくりと視線をそらした。先ほどまでは途切れる音だったのが、きこえてくる歌声がかわっていた。芯がある。長い流れをもつ。とめどなくつながれ、心を奪われていく。切ない恋の歌だ。胸をうつのは、その悲しい歌詞や旋律のせいではない、その声のちからのせいだ。
エズラトゥオスは、手にしていた光のかけらを静かに卓上においた。
陽射しのなかに あなたの笑顔を想い
月の光の下で あなたの優しさに涙し
あふれるばかりの あなたへの心
愛しい 唯一無二のお方
遠くへいかないで わたしのために そばにいて
あなたは特別 最初から この場所が約束されているのです
どこまでも遠くへ届くような響きがやむと、エズラトゥオスは喜びに満ちた得意顔をみせた。
「どうだ、いいだろう。主人公の姫君が、遠くへ使いに出された、秘密の恋人のことを想い唄う歌だ。恋人は理不尽な使命を命じられ、それを果たさなければ、姫と再会することもできない」
「ああ、すばらしい歌声だ」
ホバックはうれしそうにこたえた。
「俺にでもわかるくらいなんて。都からわざわざくるものずきなんて、どんなものだろうと思っていた」
「正直だな。わたしは変わり者にはちがいないが、そういってもらえると、わざわざ都からつれてきたかいがある。もうじき、この街のおおぜいの人が、彼女の歌声をきく。またたくまに魅了され、絶賛して、劇場に連日押しかける。祭りが終わっても、熱狂が収まるまで彼女は歌い続ける。歌が聞けて、君たちは運がいい。とても幸運だぞ」
自信に満ちた予言を聞きながら、ミズヲは思い起こした。
「彼女の歌は、きいたことがある。都で彼女の歌を見に行ったことがある」
「おお、そうだったのか! それは即ち私の芝居だ。すばらしく面白く感動的で他に類を見ないたぐいまれな出し物だったろう」
「ええ、すばらしいものでしたよ。大変楽しく、それまでみたことがないもので」
ミズヲは彼の言葉をだいたいくりかえすように、そつなく肯定した。ホバックは薄っぺらさに肩をすくめたが、褒められたほうはご機嫌である。
「姫君は嘆き悲しんで立ち尽くしているだけじゃない。ふしぎな力で、恋人を追って宮殿を飛び出す。影ながらに、術を尽くして、恋人を守ろうとする。だが恋人は、その目の前で、約束を果たすために、不義理を働こうとする。使命を果たすことがだいじなのか、恋人を裏切らないことが大切なのか、ああ、幾多の困難に巻き込まれる、涙あり、歓喜あり、ふたりの運命や如何に!」
「盛りだくさんだな」
「そうしなきゃ観客は満足しないんだ。物語は波瀾万丈、登場人物たちはくっついたり離れたり、泣いたり笑ったり怒ったり、冒険したり。歌、踊り、曲芸、飽きる瞬間は一瞬もないぞ」
さすがにそこまで盛り込まれると、ホバックもミズヲも検討がつかず、彼の迫力に圧倒された。
ミズヲは一人で劇場をでた。
真昼には遠いが、日差しはまぶしい。広場の広大な空間をすぎて、歩を進めていくうちに、空腹に気づいた。軽食をだすような、店の半分が外にでている店の、かろうじて日陰になるところに、ミズヲは入った。
市場は少し離れているので、人通りには余裕がある。たいていが忙しく動いているが、どこの場所にも外れた時間に暮らすものがいて、店にはのんびりとタバコを吹かしていたり、うつらうつらと船を漕いでいる者もいる。注店の主は無愛想な老人で、ミズヲの容姿にも気づかなかった。
ミズヲは食べ物と、甘みの強い飲みものをのみこむと、先ほどよりは血が巡るのを感じた。同時に眠気も襲ってくる。まだこれから人々の働きは活発になるころなのに。それでも、一日の流れなど関係無く静かに過ごしている人や生き物たちもいるが、どちらが正しいのかわからない。
建物の影になるところで、細い女がふしくれた指先で弦をつま弾いている。目を閉じている。商売をしているつもりはないのか、音は軽く細い。遠くの鳥がさえずりあうようにも聞こえる。しばらく手先をならすように、軽やかにつま弾いていたが、旋律が明るくゆるやかにつむがれはじめた。どこかできいたものに似ている。ついさっき、歌姫が歌っていた節と同じだった。
月の光の下で……
遠くへいかないで
わたしのために
そばにいて
鳴る音と、先ほどきいた声が混ざり合う。耳元で生々しくなるような錯覚に陥る。
ミズヲは、我に返った。ほんのつかのま、眠りに落ちかけていた。浅い眠りは理性を奪う。底に沈めたはずの、欲望と悔恨が浮上して顔をみせる。
(いまさら……)
瞬きだけをして、気持を追い払う。彼の気持ちなどしらずに、音楽は流れていく。
やがて音が収束して彼女の手がおりると、ミズヲは近づいた。気配を察して、女は顔を上げる。
「手を」
頭上からふってきた声に、彼女はにっこり笑って手を差し出した。手のひらに置かれたものを、指先でふれる。ミズヲは尋ねた。
「いまのは、どんな曲なんだ」
「恋人を待つ幸せな女の歌よ」
「……歌ならば、どうして歌わないんだ?」
問いかけに、女はおかしそうにこたえる。
「わたしはこれを弾くからよ。歌がききたいなら、仲間が歌うから、それを聞いて。祭りが終わるまで街のどこかにいるし。ねえ、それで、このあなたがくれた、小さな硬いものはなんなの」
「宝石だ。それなりの価値がある」
ミズヲが答えると、女はちゅうちょせず、指先で石をつまんで差し出した。
「あまり高価な品を持っていると、盗んだと思われてしまう。わたしは病気があるからからだは売らないの」
くったくのないこたえに、ミズヲは己の浅はかさを恥じた。
「すまない。そんなつもりはなかった」
石を戻し、硬貨をとりだすと、ふしくれだった手においた。女はにぎると、ゆるんだ笑顔をうかべた。
「病気の話もウソかもしれないのに」
「いいんだ。曲が気になったから」
「ありがとう」
ミズヲは感謝にこたえる笑みをみせた。彼女には見えないのだと思い出したが、彼女も笑ったようだった。
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