宴会

 いつもは荷物や車がひしめく広場が、おびただしい数の卓や椅子が集められ、広大な宴会場に変わっていた。ぞくぞくと集まる人々は、ザルトのもとで働く者と家族であり、みな晴れやかで、ほこらしげな表情をしている。

 豪勢な食事がつぎつぎと運ばれてきて、そのたびに歓声があがる。大皿おおざらに盛られた色とりどりの料理、おびただしい数の酒のかめ、色とりどりの珍しい果物、祭のための焼き菓子。暖かい食事をもてなすために、火を炊き、鍋が煮えている。空腹を刺激する香りがただよう。子どもたちは、はじめて見る色や形の食べものに、目を輝かせるが、つまみ食いは厳禁だ。手をのばすとようしゃなく叩かれ、俊敏さに今日はいつもとは違うらしいと悟りおとなしくなる。大人はすました表情で、子どもの小さい肩に手をおいて落ち着かせようとしていたが、自分も心は浮かれていた。

 広場に着くと、マニュは慣れたようすで、顔なじみが集まるところへいった。中央のいい席で、白髪の老人たちが集まっている。入れ替わるようにあらわれたイルキに、ミズヲはついていくしかなかった。

 祭壇には色とりどりの飾り布がゆらめき、香がたかれている。丁寧な挨拶をかわしている人たちがいる。魔法使いらしき人物は、レンラだった。なぜ彼女がそこにいるのだろうとミズヲは疑問に思った。イルキは問われずに説明した。

「老婦人は、ザルトさんの母上のミンダルだ。そして孫娘であるベニエと、ハミン」

 彼らは、ていねいにあいさつをかわし、神妙な顔をしてやりとりをしていたが、遠目でもわかるほど、すぐににこやかに雰囲気にかわった。はじける笑顔が、惜しみない。イルキは感心した様子でいった。

「レンラは高名な魔法使いなのだな」

「あれが?」

 ミズヲは、露骨に不審な顔をする。イルキは逆にとまどって、しかし当然のようにいった。

「ザルトはいまはオクウトで一、二を争う人だ。最高のわざを持つ人を招くことができる。誰がふさわさしい人物か、組合を通じて紹介してもらう。組合にも、魔法使いにも、礼金を十分に支払う」

「そうなのか……」

 相づちを打ちつつもミズヲはもやもやする。イルキは続けた。

「わざわざ魔法使いを招くのは、ふつうは人が死んだその年と、次の年までだ。でもザルトさんは毎年、魔法使いを呼んでいる」

 ベニエの母が亡くなった当時、ザルトには金に余裕がなかった。魔法使いを呼ぶことや、縁のある人に食事や酒をふるまうことはできなかった。

「ベニエのお母さんと、ハミンのお母さんの名前がある」

 祭壇には、先祖代々のほかに、飾り文字ふたつ名前が掲げられていた。ザルトの最初の妻はベニエが幼いころに流行り病で世を去り、二番目の妻はハミンが生まれてまもなく若くして死んだ。

「ベニエは二人の母親のことを、少しずつ覚えている。ハミンは母親のことは、なにも憶えていない」

「母親が違うから、あまり似ていないのか」

 ベニエは漆黒のまっすぐの髪で、背も高くすらりとしている。ハミンは焦げ茶色の癖のある髪で、背は低く、かわいらしいが、肩がしっかりとしている。

「ベニエは子どもの頃から商売にとても興味をもっていたけど、ハミンはからっきし。似ていないからずっと仲がいい」

「よく知っているんだな」

 幼なじみだから、とイルキははにかむ。 

「ザルトさんは、二人目の妻を亡くしたあと、それきり奥さんを持つことはあきらめたそうだ。仲のいい人はいるようだけど」

 空が濃紺に染まっていく。外の往来を行き来する人には、料理や酒がふるまわれていた。思わぬ幸運にありついた人々が、杯を交わし、笑い声をあげる。祭壇の近くには、家族と少ない親戚が集まって席に着く。魔法使いが登場すると、広場のなかにいる人たちはおしゃべりをやめた。外からの音は続く。おおぜいの静寂を取り仕切る立場にいるレンラを、ミズヲは初めて見た。

 魔法使いは自分を招いた家族たちに深々と一礼し、祭壇さいだんをはさんで彼らと向かいあう位置につく。静かな低い響きが、彼女の声が流れ出す。呪文を唱えながら、手元の鐘や太鼓を鳴らす。低い音と高い音、短い音と長い音、緩急様々に、歌うように祈りの言葉を続ける。時に立ち上がり、座り、大地にぬかずく。

 意味が分からない呪文でも、唱えることに上手下手があるのは分かる。心引かれる響きに、人々は静かに聞き入る。遠くの席では音が聞こえにくいので、眠気と戦うことになる。子どもはすぐにじたばたと動き始めるが、なだめすかされるか、連れ出される。

 ある調子に変わると、みなが居住まいを正した。呪文に呼応して、合いの手をいれるように、いっせいに声を発する。ミズヲはぎょっとした。イルキも、大声ではないが調子にあわせている。ことばふたつ、みっつの短い節だけ歌う。みんな幼い頃から親しんでいるのだろう。何度もくり返されるやりとりのなかにぼんやり自分をおいていると、ミズヲも口をついてでそうになった。

 家族たちが一人ずつ進み出て、祈りの札を火のなかに投じはじめた。終わりが近いのか、静かに動き始める人たちがいる。

 また一人の声が続き、遠くまで響くかねすずが、余韻を残しながら鳴っていく。

 静けさがもどるご、レンラは祭壇にむかって深く一礼した。緊張がとけると、家族がレンラに礼をのべるために近づいていく。軽く会釈して、レンラが辞していくと、人々はほっとしたように息を吐いて身体を動かし、声をだし始める。すかさず杯に酒が注がれていく。

「さぁみんな、今日は大いに飲んで食べてすごしてくれ!」

 ザルトの献杯をきっかけに、人々はどっと声をあげ騒ぎ始めた。杯をあおり、豪華な料理に手を伸ばす。

 ひとしきり飲んで食べ、空腹が落ち着いてきたら、近い者どうしでしゃべり出す。あちらこちらで笑いがおこり、駆け回る子どもの悲鳴もけたたましい。イルキはひとに呼ばれて席を離れ、渡されたという酒瓶をかかえて戻ってきた。ミズヲの杯はほとんど減ってなかったが、注ぎながらたずねた。

「都に家族は居るのかい」

 あるていど親しくなれば、生まれや家族のことは訊かれる。ミズヲはいった。

「叔父とその家族がいる。母はだいぶ前に死んだ。父はそれ以前から消息不明だ。たぶんもう死んでいる」

 イルキの表情にうかんだ戸惑いを確認して、ミズヲは続けた。

「父親は旅の商人で、ほとんどいなかった。半年か一年に一度、たまに帰ってきても、十日もすれば、また家を出て行く。母はからだが丈夫なほうではなかったから、父といっしょに商売をしたり、旅にいくことはできなかった。金は届いていたから、暮らしは恵まれていた」

 不自然によどみない語りに、イルキは遠慮がちに尋ねた。

「よく、その話をするのか」

「聞かれるから、こたえる。すると、女たちはかわいそうだと同情する。わたしがなぐさめるわ、といってくる」

 イルキは苦笑いをした。

「常套手段か」

「簡単だろう? 多少の財産はあれども、いつまで続くかはわからない。叔父は俺を商人に弟子入りさせた。父親と同じ稼業になってからは、珍しくない話と分かった。行く先々で女を作る、子供が生まれる、居を構える。いつのまにか、留まりたいと思うようになる。あるいは、動き辛い場所ができる。そこで暮らす。そこにいる妻と子供が、唯一無二のように日々を過ごす。そんな男がたくさんいた」

「君の父上は」

 イルキは真摯な表情で言った。

「どこかで、病に伏して動けなくなったのかも知れない。帰りたい気持ちはあっても、戻ることが叶わなかったのかもしれない」

 彼なりの理想を信じている瞳を、ミズヲは冷ややかに見返した。

「そうだな。暖かい家にいるよりも、どこかで行き倒れて、死んでいる可能性のほうが高いだろう」

「そうじゃない、生きているかもしれないということだ」

「手紙がとぎれ、伝言も届かず、最後は、金だけが何度か届いた。そのころに母は病死した。母は何も言わなかった。恨み言も言わないが、恋しいとも悲しいとも言わなかった」

 美しいが表情の乏しい、母という女の横顔。さみしくもない、苦しくもない、不安もない。ただ待っている。所在なく、待ち続ける、何もしない毎日。

 人々は美酒に酔い、珍味に舌鼓をうちながら、音楽や曲芸に拍手喝采をおくっている。楽師たちは途切れることなく音楽を奏で、歌い、芸人たちが火をふき、小刀の曲芸をみせ、球体の上で危なっかしくつりあいを保つ。歓声と、指笛と、拍手と、笑い声が、尽きることなくあちこちでわいている。

 ミズヲはいった。

「すまない。場にそぐわない話をするつもりはなかった。いままで何度も話してきたことだ」

 よくみると、イルキはこぼれた涙をぬぐっていた。

 ミズヲは用心深く驚いた。

「どうして泣くんだ?」

「すまん」

 笑いながら涙をぬぐうが、次々と涙の粒が落ちていく。ミズヲは言葉をつぐんで、彼が落ち着くのを待った。何がこんなにも彼の心を揺さぶったのがわからない。




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