うわさ話

 顔なじみの、いつものしなびた老人に続き、絶世の美青年が現れる。人々は呆気にとられる、目を丸くする、口があいてしまう、動きが止まる。たいていの女たちの瞳は、きらめきを増す。男は瞬きまばたきして、ごまかしながら目をそらす。大げさに声を上げる者もいる。役者か? 商人だって? じいさんの親戚のはずないよな。マニュは最初のうちは、それらの反応をおかしく笑っていたが、なんどもくり返されてるとじきに飽きていた。

 当の本人であるミズヲは、周囲の評判に注意をむける暇がない。行く先々で、新しい人を紹介され、顔と名前を職業などで分類して記憶する。集まる荷も同様に、選別し、分類し、見極めて、注文のある別の場所へ送り出す。問題のある品物がみつかったら、すぐに使いを出す。迅速に、商会に雇われる屈強な者たちが数人でつれ立っていく。頭数あたまかずが多い場所では、こういう分業は便利である。特別な客の接待もある。マニュは相手によっては、ミズヲに姿を見せないようにさせる。話が長くなったり、外につれだされては商売に差し支えるから。

 マニュは商売ではない、自分の行きつけの店にもミズヲをつれていった。ミズヲは飯は食うが酒は飲めないと何度か言ったが、機嫌のいい老人は生返事をしながら、間をあけずに酒を足そうとする。

「今年は人も石も集まりがいい。人が多いと、その分、しょうもない話を聞かされる時間も増えるがな」

 ミズヲも、好むと好まざるに関わらず、たいていのうわさ話を知るところとなっていた。聞かなくても勝手にしゃべってくる、しゃべっている。花婿候補の話はしょっちゅうで、しかも自分が当事者に入っている。そんなつもりはないと話しても、誰もとりあってくれない。ミズヲが愚痴をこぼすと、マニュは大笑いした。

「いったいやつはどうなのかと、聞かれたときは、わしは否定も、肯定もしておらん。ザルトがお前に声をかけたのは事実だし、お前がどう思ってるかは、わしは知らんからな。しかし、いまのところ、いやずっとむかしから、いちばん候補は、イルキだ。幼なじみだし、体もしっかりしているし、そこそこ男前だし、愛嬌もある。もちろん働きも良い。後継ぎとして申し分ない。ベニエとすでに将来を約束しているとも、いわれておる。それなのに、一獲千金でも狙うかのように、若い連中がぞくぞくと集まってきている。お前のようにザルトに声をかけられてくる男もいる」

「いまこの街にいる独身の男は、みんな候補になっているのでは」

 ミズヲが指摘すると、マニュはまた愉快ゆかいに笑った。

「ハハハ! そうかもしれんな。だがな、そもそも、誰もなにもいっておらんのだ。ザルトもベニエも、婿取りむことりを宣言したりはしていない。表向きには、そういうことになっている」

 大人のかけひきなのか、わからない。なるべく興味を抱かないようにしつつ、ミズヲは神妙にうなずいてみせる。

「わしも、もう少し若かったら、候補になのりでたのにな。お前もやってみれば、ひょっとしたらわからんぞ」

 ミズヲは笑顔を作って頭を振り、彼の杯に酒をついだ。あまり飲ませたくはないが。つれない態度に、マニュはがっかりしてみせた。

「もう約束した相手がいるのか」

「いいえ、いません」

「そうか。うまい話にほいほい飛びつかないのは、いい心がけだ。ザルトの富はやつ自身の能力が築きあげ、ザルトであるからこそ、それを維持しているんだ。それを受け継いだからといって、同じような大商人になれるわけがない。と、こんなことをいっても、ひがんでいるようにしか聞こえんか」

 かるい説教に、かっかと笑う。

 酒場の喧噪けんそうをかきわけて、老人を呼ぶ声が近づいてきた。

「マニュ、マニュ!」

 酒と杯を手にした、軽薄な感じの男で、金色にも見える薄い茶色の髪の、整った顔立ちの男だ。

「ずいぶんとご機嫌だな、じいさん。彼が噂の伏兵かい」

 気安くミズヲを見下ろして、顔をみると動きをとめた。珍しいものをみるように目をみはる。

「ずいぶん若いな!」

「たいして年は違わないだろうに。うるさいやつだ」

 マニュは煙たい顔で手で追い払おうとする。

「せっかくうまい酒を飲んでいたのに、うるさいやつがきおったわい。このミズヲはな、お前たちなんか比べものにならんほど、できる男だぞ。今年はわしも安心して祭を楽しめるわ」

 男は椅子を引き寄せて、勝手に同じ卓についた。

「じいさんが言うのなら、相当だな。都から凄腕の若い商人がきたときいて、ぜひお近づきになりたくてきた。俺はホバック。このじいさんとも、イルキとも顔なじみなんだ。よろしく」

「よろしく」

 ミズヲは美しくほほえんで応えた。ホバックはいかにも薄っぺらいあいさつにも動じない。

「イルキとはどこで知り合ったんだ」

 マニュも興味があるふうな顔をしているので、ミズヲはイルキと出会ったいきさつを簡単に話した。ホバックは大げさにけちをつけた。

「イルキがそんな列に並んでいたのか? 新参者のようなふりをして。暇なやつだなあ。いつのまに帰ってきてたんだ」

 マニュはとりあえずひいきを擁護する。

「ザルトのところで働くために、みながやる手続きを踏んで、なにが悪い」

「あいつはもう親戚か身内のようなものじゃないか。それで、あんたはベニエにも会ったんだろう?」

 ホバックは噂話をあらかた知っていて、確認するために話しかけているとミズヲは思った。

「……立派そうな人だ」

 ミズヲは淡泊にこたえる。何かと決めつけられるのは好きではない。ホバックは怪訝そうにいった。

「お前は花婿候補なんだろう? 自分に脈があるのか無いのか、なんとなくわかるんじゃないか? その外見で第一印象が悪いわけはないけどな」

「俺は名のりでた覚えはない」

 険悪な雰囲気を気にせずに、マニュはいった。

「ああ、わしが言いふらしているんじゃ」

「じいさんのお墨付きおすみつきなら、そりゃ強力だろうよ。ベニエは好みじゃないのか?」

「俺は商売をしにオクウトへきたんだ。そんな話はここへ来るまで、マニュに聞かされるまで、なにも知らなかった」

「いまではもう、もっとも渦中の人間だ」

「有力候補はイルキなのだろう。そちらに聞けばいい」

「恋敵だな。二人が再会したときに、近くにいたっていうじゃないか。彼らの様子はどうだった?」

 ホバックはいたって真剣に俗っぽいことを訊いてくる。マニュの顔にも、好奇心がちらついているが、ミズヲはさすがに出会ったばかりの人間関係について、勝手な推測でしかない意見を述べることは気が進まない。口が開かない様子に、ホバックはじれったそうにいった。

「お互い好きあっているなら、もう一緒になっていても良かったじゃないか。そうじゃないということは、いっしょになれない、なにか理由があるんだ」

「なんじゃ、お前は、ずいぶん強気だな。誰がきいているかわからんぞ」

 マニュはあごをしゃくって周囲をさす。ホバックは力強くいった。

「みんな聞いているし、誰もきいていないさ。ともかく、実は彼女は、周りがいうほど、イルキにその気がないんじゃないかという可能性を、俺は考えてみた。イルキのことは、いい友だちで、男としては好みじゃないとかね」

「自分ならお眼鏡にかなうつもりか、厚かましい男め。お前のような軽薄な男を、ベニエが相手にするものか」

「ベニエがそんなことをいったのか?」

「頼りがいのある女は、頼りがいのある男を選ぶものだ」

「俺だって十分資格はある。イルキは何を考えているのかわからないところがある。悪いやつじゃないけど。なぁ、あんたはどう思うんだ」

 当然のように意見をもとめられたが、ミズヲは曖昧に首を横に振り、たいくつそうに視線をおとした。手の中の杯は、ほとんど量が減っていない。こういう酒はひたすら居心地がよくない。ホバックは「つまらねえな……」ぼやきながら、ミズヲの顔をしげしげと観察した。理想的に描かれた顔の輪郭、首筋から肩、憂いを帯びた伏し目がちの長いまつげ、乾きと潤いのちょうどいい唇。

「あんたなら、女の気をひくことぐらい、簡単なことなんじゃないのか。腹の立つほどの美形だし。都の商人は、まじないの心得もあるという」

 挑発的な言い方だが、顔をあげたミズヲは、うってかわって愛嬌あるにこやかな口調でこたえた。

「ほれ薬がほしいなら、魔法使いに頼んだほうがいい。最近のほれ薬はいろいろあるらしいぞ。飲ませるものなら味も様々、甘いもの、苦いもの、酸っぱいもの。その他に、かがせるもの、塗るもの、焚くもの」

 口からでまかせな様子が痛々しいほどで、ホバックはあきらめて両手をあげた。

「わかった、わかったよ。ああ、さっきから店の女たちが、こちらばかりみている。こんな落ちつかない男と、よくいっしょに酒が飲めるな、じいさん」

「悪いことばかりじゃないぞ。頼んでもいないものが勝手にでてきたり、呼べば飛んでくる」

 マニュがご覧あれとばかりに店の者を呼びつけると、若い娘が飛んできた。注文を聞きながら、ミズヲにちらちら視線を向ける。鳥がさえずるように軽やかな声で承ると、はずむ足どりで離れていく。ホバックは酒をあおった。

「おっと、こんな世間話が目的で、じいさんをさがしていたんじゃないんだ。急ぎの注文がきてたぞ」

「なんだと」

 マニュは素面の顔を割り込ませようとするが、酔いは一瞬では冷めない。

「いま、俺は劇場に出入りしている」

「劇場に? お前になんの関係があるんだ?」

「劇場自体も豪華で」

 ホバックはミズヲにむかって言った。

「そこで行われる予定の出し物も、隅から隅まで豪華絢爛。歌あり芝居あり、衣装も小道具も舞台装置も、ありったけの金をつぎ込んでいる。ところが、準備を見に来た評議会のひとりが、まだまだ地味だ、もっと派手にしろ、宝石でも何でももっと使えといいだした」

「まだ何かやるのか? いったいなにをどうしろというんだ」

 マニュは興奮気味になる。

「うちももうずいぶんいい生地をだしているんだけどな。役者の衣装や、舞台装置にくっつけろとか、ちりばめろとか。明かりを当てたら、きらきらひかる石もあるだろう。そういうのを使ってどうにかするだとか」

 ミズヲは軽くうなずく。マニュはいった。

「衣装に使うだと? 役者や服に宝石をつけて芝居をするのか。もうわけのわからん小道具の細工にも、恐ろしい大金をつぎ込んでいるのに」

「宝石の枝のことか。贅沢は無限だ。もうマニュのところに話がきているころだ」

「そりゃ大変だ。えらいこった。いますぐいこう」

 マニュは立ち上がろうとしたが、ふらふらと足が乱れる。ミズヲは彼を座らせた。

「俺が行きますから」

 ホバックは老人の杯に酒を注ぎながら、ミズヲを見上げた。

「もう夜なのに。熱心だな」

「雇われ者だからね」

 素朴な賞賛の声を受け流して、ミズヲは居酒屋をでた。酔った老人は案外誠実な男が責任をもって送り届けるだろう。


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