店開き
ザルト商会の広場は、それだけで一つの大きな市と呼べるほど、多くの人が携わりものが出入りする。
「ザルト商会で働きたい者が並んでいるんだよ」
体格がよく、声もよく響く。褐色の肌に赤茶けた髪で黒い瞳、健全な歯をみせて愛想のいい笑顔をみせる。
「ありがとう」
ミズヲは短く礼をのべ、そこで会話は終わるようにしたが、相手の話は始まったばかりだった。
「俺の名前はイルキだ。薬材を中心に商売をしている。あんたはなにを売るんだい」
「ミズヲだ。石を扱う」
ミズヲが名乗ると、イルキはすぐに悪びれた様子はなく笑顔をみせた。
「よろしくな、ミズヲ。俺は最近まで留守にしていたが、生まれも育ちも、ここオクウトだ。君は都からきたのか」
「生まれは都だ。商売であちこち行っていることが多い」
「オクウトははじめてかい」
「違う季節に立ちよったことはある。これほど盛況ではなかった。祭はずいぶんな
ミズヲが水をむけると、イルキはまってましたとばかりに、大きくうなずいた。
「オクウトは好景気が続いていて、今年は劇場も建設している。あらん限りの贅を尽くそうと、都から職人や興行師を呼び寄せている」
「都でも話題になっている。おかげで都はつまらない芝居ばかりだと」
「それをきいたら評議会の面々も大喜びだな。オクウトのお偉方は、なんとかして都をだしぬくものがほしいとやっきになっているんだ。はりあってもしょうがないと思うんだがな。都からやってきた
「一番の売れっ子だ。彼の手がけた出し物は評判で、大成功をおさめている。彼の名を知らぬものはいない。俺でも知っているくらいだから」
ミズヲはご婦人のつきあいで芝居をみたことがある。連れて行かれた女のことよりも、話の
イルキは楽しそうに話を聞く。ミズヲは問われるままに、都や商売のことについてこたえた。珍しいことだった。ミズヲの整いすぎた顔をみただけで、つんけんになる男も多いが、彼はそういったそぶりをみせない。
列が少しずつ進むと、天幕のなかに、忙しさに興奮しつつも疲労している中年がいたが、イルキを見つけたとたんに笑顔になった。
「イルキじゃないか! 戻ってきていたのか」
「ギゾン、お久しぶり」
身を乗り出して、肩を抱き合い、気ぜわしく互いの近況を言い合う。親しげな様子が、いかにも、育った土地の者であり、多くの人にかわいがられ、また頼りがいのある人物なのだろうと感じさせた。
「さてさて、のんびりする暇はないぞ」
ギゾンは
「いま知り合いになった、ミズヲだ。どんな石でも扱うそうだ」
イルキが紹介すると、ギゾンはその美男子ぷりに口の端に力をいれて、急いで頭の中の備忘録をめくったようだった。
「旦那様がおっしゃっていた、石を売る男というのは、あんたのことかな」
ミズヲは、別の街で働いていたときに、ザルトに声をかけられたことを話した。ギゾンはにこやかにうなずく。
「眼が水色で、ものすごい顔のきれいな、石を売る若い男がくるからといわれていた。
書類などを渡されると、なかば追い払われる。人のたてこんだところをぬけると、イルキは興奮を隠さずにいった。
「親父さんと知り合いだったのか。先にいってくれれば良かったのに」
ザルトを親しく呼ぶということは、イルキもずいぶん近しい仲だ。ミズヲは控えめにいった。
「知り合いというほどではない。声をかけてもらっただけだ」
「それはすごいことだと思うよ」
「ザルト氏は、俺の働きを直接みたわけじゃない」
「先に信用できる人から話を聞いたのだろう。いいかげんなことをいう人ではないよ」
「かいかぶられている」
「ザルト氏は、きまぐれのようにみえても、そんなことは一度もないさ」
イルキの言葉に、ミズヲはまた大商人の姿を思い出した。
イルキが唐突に声をあげた。
「そうだ。ベニエにもあいさつしておこう」
いいことを思いついたとばかり、勝手しったる様子でずんずん先を急ぐ。ミズヲははぐれないように追いかけた。知っている人間に会うと、イルキは足をとめ慌ただしくあいさつをかわし、ミズヲを紹介する。
「石を売るミズヲだ」
名前を広めてもらうのはありがたいが、相手の顔と名前を覚えなければならない。石については容易だが、人は困難がともなう。
良く通る声が、まるで人々の頭上を超えてきた。
「イルキ!」
若い女の声は、場を支配する響きで、ミズヲでさえも反射的に声のほうをみた。長い髪を飾り気なくひっつめた女が、
「今年はうちを手伝ってくれるんでしょう」
「あぁ、よろしく頼むよ」
彼女はミズヲに視線をうつした。くっきりと縁取った大きな目を、
「ザルト氏の長女のベニエだ。こちらはミズヲ。石をあつかう」
ミズヲは丁寧なものごしであいさつをした。
「初めてお目にかかります」
「イルキの友だち?」
「ついさっきから、ね」
「こんなにきれいな人が、イルキの知り合いにいたか、一生懸命考えた」
ベニエはおどけた顔をして笑った。美男美女をみたときの、好奇心と新鮮な驚きが、ほどよくまざった素直な反応。
「きれいな水色の瞳」
「ありがとうございます」
「もしかして、父が話していたのは、あなたのことかしら」
「ベニエも知っていたのか」
少しだけね。なあんだ、驚かせようと思ったのに。そんなに残念がることではないわ。ではまた父親のところに、ちゃんと帰ったあいさつにきて。ああそうするよ。必ず、今日にでもよ。じゃあまたね。
急いて慣れたやりとりで念を押して、ベニエは去っていった。
「なんだ、驚かせようと思ったのにな」
イルキは拍子抜けしたように、彼女の去った後をみていたが、やがてふりかえった表情は明るく、瞳にはみずみずしい恋心があふれていていた。ミズヲはその無防備な表情に意表をつかれた。恋に落ちた瞬間をみた気恥ずかしさだ。ずっと前から想いをもっているはずなのに。ぐっとこらえて平静を装った。赤の他人の戸惑いなど知らぬまま、イルキはいった。
「さあ、行こうか」
声は威勢良く、凛としていた。はずむように歩くたくましい背を追いながら、ミズヲは勝手に沸いてくる憶測を頭の奥においやった。彼の恋心など、気にする暇があるはずがない。
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