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私も物持ちですね。
婆ちゃん子だったので包装紙は丁寧にたたんで保存していましたね。でもあるとき、ふっと思ったのです。そのまま保存して使わないのは包装紙さんにとって幸せなんだろうか? それだったら再生紙として新しい人生?を歩ませてあげる方が包装紙達にとっては嬉しいのではないのか?と。
それいらい、包装紙はさっさと捨てる様にしました。
同じように本もそうですね。一時は床が抜けるんじゃないか?ぐらい積読してたのですけど読んだもらった方が幸せだよね、と思ってブッ〇オフにまとめて引き取ってもらった記憶があります。
家電品も、自分で修理出来る限りは使ってますね。ただし、最近は電子化が進んでいるので電子部品がなくなると修理不能になってしまう。
某キャ〇ンというメーカーのプリンターは寿命が来ると電子的なロックがかかって起動しなくなります。某ソビエトのサイトには、キャ〇ンのメンテナンス用マニュアルやプログラムが出回っていて、そのプログラムを使って再使用出来る様になるという情報を探り出しましたが二の足を踏んでます。
やはり、長く使うと愛着がわくという事と、やはり世話になった物を捨てると言うのは自分の中で抵抗があります。やはりばーちゃんの教えなのでしょうか……
で、話を最初のテニスプレイヤーのラケットの話に戻します。
最初に申し上げますが、私はプロテニスプレイヤーでは無いので彼らの気持ちはまったく理解出来ないですけど、こんな事も考えられるんじゃないかな?と思った勝手な妄想で書いてます。
試合中に自分のラケツトをコートに叩きつけて壊す。応援コメントのどなたかも仰っていましたが、これって、まさに、自分の腕を地面に叩きつけて折っているのだと思います。
彼らのテンションなんて、多分私達がスポーツしている時の百万倍ぐらいのはずで、それが、審判のちょっとしたミスや、自分自身の許せないミスで、試合が壊れていく。それを立て直すには、自分の腕の一本や二本を差し出すぐらいの切り替えが必要なんだと思います。でも、試合中に自分の腕を折ったら試合が出来なくなるので自分の分身であるラケットを折る、そして自分の中で気持ちを切り替える。
多分サイボーグになつたとしても、彼らは同じ事をするのでしょうね。凡ミスをしたら自分の腕を折るのです。そして気持ちを切り替えたら代わりの腕を取り付ける。そんな気持ちで彼らはラケットをコートに叩きつけているのではないでしょうか。
きっと、試合中に叩きつけたラケットは自宅に持ち帰って、自宅の裏にあるラケットの墓に納骨するのだと思います。キリスト教徒なら火葬にしないからラケットの墓にの中は折れたラケットだらけになっている。そして、年に一度彼らに対して黙とうをささげるぐらいの事はしているのではないでしょうか。
ギタリストの人達も、きっとそうだと思います。自分達の血と汗と涙と鼻水がしみこんだギターですもの。ライブで興奮して叩き折って、もう音が出ないかもしれないけど自宅の保管室には丁寧に保管されていて、こちらも年に一度坊さん呼んで供養してもらっているかもしれない。ギタリストにとっては、あのライブのあのタイミングで愛ギターを破壊するのは宿命だったと思っているのではないでしょうか。そして、その愛ギターは自宅の寝室の横の保管室で永遠の眠りに付いているのです。
そう、物を壊すことと、その物を愛していない、とは別な発想なんだと思います。愛しているからこそ、いとおしいからこそ、大事な場面で、愛する愛するラケットやギターを壊す事で自分の気持ちを切り替えたり、テンションをマックスにもっていくのではないでしょうか?
まあ、プロのテニスプレイヤーでもギタリストでもないので、完全な妄想ですが、少なくても彼らのやっている事は見た目派手だけど、しかたないのかなーという思いにはなります。
あと、子供が学校で親に殺される。
たしか以前漫画で、親が自宅で子供を殺すという場面がありました。子供にとっては、自宅と言うのは最後の安全地帯のはずですけど、親が台所から包丁を持ち出して、子供たちを探すんですよね。
猫なで声で、「xxちゃーん。おやつがあるからでてらしゃーい」。でもね、その声につられて出ていくと、お母さんにブスリとさされちゃう。そんな漫画。
でも、考えてみたら、今はそれが普通になってますものね。自宅で親に殺された息子や娘。自宅で娘や息子に殺される父や母。もう毎日のように放送されてる。かれらは、相手を指した時に、感謝とかしてるんでしょうか?いや、きっと憎んでるんですよね。憎悪の塊りみたいな感じなんでしょう。
でも、ラケットやギターは壊されるときに憎くて壊されているのではないんじゃないかなーと思います。きっと愛されてたんです。でも、それでも壊される。もう二度とラケットとしてもギターとしても使えなくなるかもしれない。だけど、持ち主の幸せのために壊れていくのではないでしょうかね。
うーん。なんかとりとめのない話になってしまった。これは如月さん以上の……スーパー弩底辺な発言だと思います。気に入らなければ「ぽしゅっ」て下さいね。( ゚Д゚)
追伸
そうか、この時期は大坂選手が大活躍していた時だったのね。
今年は、新型コロナか、東京オリンピック延期?中止の話がシロート発言でされるのかしら。
でも、2020年東京オリンピックって、まんま「アキラ」の設定だったので、絶対ヤバい事が起こるんだというのが噂になってましたけど、結局いろいろと起きてしまったですよね。
あと、最後に。
作家としての手段は「言葉」。これは大事ですね。だからこそ、更改が必要かー、たしかにそうです。毎日は無理でも読み直していこうかなー。シロート発言の応援コメント。
作者からの返信
ほぼほぼ他の方への返信を繰り返すだけになってしまうので割愛し……。
そうなんですよ、これ書いたの大坂なおみ選手が大活躍してた頃ですね。
彼女可愛くてチャーミングで大好きなんですよヾ(*´∀`*)ノ
シロート発言は思い付きなので、新型コロナや東京五輪の話が出てくることはないかなぁ……。
今は藤井くんが棋聖になったのが如月的には一番盛り上がってますね。
今日はTwitterでひふみんからリプ貰っちゃった♥
うちの父がひふみんファンだから自慢しちゃおうと思ってます!
編集済
私は中学から10年ちょっと競技テニスやってて、その後も趣味で続けていました。ですので、個人的な経験で……。
ラケットを壊すのは何故かという話なのですが、テニスはコートに入ったら一人で、試合をしているとき、最も大事なのはメンタルです。
道具はもちろん大事です。ラケットもシューズもウェアも大事。ですが試合に向かうプレイヤーにとって最も大事なのはメンタルなんです。
苛つく理由は、納得できないジャッジや自分への怒りなどいろいろありますが、その苛つきや怒り、不安などを次のプレーに持ち込ませない手段が選手それぞれに必要です。
人それぞれに落ち着きを取り戻す手段があります。
ブツブツつぶやく人、大声で叫ぶ人、コートを蹴る人、ラケットを振り回す人などなど。個人個人が数多くの試合をこなす中で、自分にあった方法で冷静になろうとしているのです。
その試合の間では、 メンタルの安定 > 道具 なんです。
見ている観客には、ラケットを壊す行為が野蛮でスポーツマンらしくない行為に映るのでしょう。それは仕方ない。
ただ、プレイヤーにとっては試合に勝つこと以上の目的はない。
その目的を果たすために必要な行為が、そのプレイヤーにとってラケットにあたることならば、それは引き気味でも良いのですが、生温かく見守って欲しいと思います。
(追)
観るにしろプレーするにしろ、相性はあるですよ。私は攻守がルールで変わる野球は観るのもプレーするのもあまり好きではないし。
作者からの返信
なるほど、『選手にとって』の優先順位の問題なんですね。
それが絵描きなら、思い通りのイメージをキャンバスに再現できずに落ち着けない時、その場を離れたり時間を置いたりできるけれども、試合中はその場を離れたり「1時間休憩」ってわけにいきませんからね。
何となく理解できました。
私個人は、モノ言える人間がモノ言えぬ道具に八つ当たりするのを見ると気持ちが激しく不安定になるので、すっかりスポーツ観戦が嫌いになってしまいました。
君子危うきに近寄らずですね(苦笑)
追記)
なるほど。野球はテニスより興味ないですが、バレーボールは見てもいいかなって思えるのは、やはり相性ですね。
物を大事にする人はきっと物にも愛されます。付喪神となって如月さんを守護してくれるんじゃないかな。こう言う考え、大事ですよね。一流の職人さんは道具を大事にしますしね。
物を粗末にする人は愛着がないのでしょう。スポーツ選手の場合は興奮しちゃって衝動の持っていきようが他になかった、つまり我を忘れてしまっただけのような気もします。つまり、わざとじゃないと。
アーティストの場合も似た感じなのかな。ただこっちの場合はそう言うパフォーマンスを望まれて、みたいな部分はありそうですよね、ショービジネスの世界ですし。飽くまでも私の想像ですけど。
物書きに対する道具、そこで執筆道具の話が来るのかなと思ったら言葉、なんですね。最近は万年筆で執筆する人はあまりいないでしょうし、怒り狂ってPCやスマホを投げつけるって人もいないかな。……いるかも知れませんけど(汗)。
昔の文豪は書いた原稿を丸めてくずかごにぽいみたいなイメージがありましたよね。あれって道具を大切にしないパターンの範疇に入るのでしょうか?
うまく文章を綴れなくて万年筆を折ったりしたら、これは道具を大切にしないで合っていると思いますけど。
言葉は大切にしたいですね。言葉は思考です。思考は心の動きです。つまりは思いです。想いです。色んな事情に流されて想いが汚染されないように気を付けたいものですね。
作者からの返信
想いが汚染されるっていうの、怖いですよね。
如月は単純なんで、嫌なことがあると、文章に出てしまうんですよ。
そういう日に書いたものは結局全部捨てちゃう。
原稿用紙丸めてポイ状態ですよね。
これは「言葉を大事にしない態度を捨てる」という事かもしれませんね。
こんばんは。今回のお話がとても気になって、みなさんのコメントも読ませていただきました。私も、やかんや洗濯機と「おつかれさま」などと話をするし、着れなくなった衣服を捨てる時は「今までありがとう」と言ったり、未だに捨てられなかったりします。
ラケット、ギターの話になると……。いちばんがんばっていたスポーツはバスケです。もちろんマイボールは持っていたし大切にしていました。音楽はロックとDJしか経験がありませんが、楽器も音源も機材もとても大切にしていました。でも、自分の腕を折ったり、わが子を殺すつもりで壊すきもち、なんとなくわかります。なんとなく、ですが。いや、どんなに大切な道具でも、本当のわが子には勝てないかも……。自分を壊す気持ちで自分の分身を壊し、実際に自分を壊したアーティストもいらっしゃると思います。できたら、物も自分も大切にしたいというのが素直な気持ちです。
作者からの返信
昔、小泉さんが「自民党をぶっ壊す」って仰ってましたけど、その大切なものをぶっ壊してでもさらに良いものを生み出そうとするというのはわからなくはないですね。
で、「着られなくなった衣服は裁断してリメイクする」という如月の話は全然関係ないですね。すいません、ちょっとボケたかったんです。
編集済
私はあまり物に執着しないくせに捨てられない性分で、破壊衝動もないのですけど、結果的に汚部屋になってるところを見ると、物を大事にしているとは言い難いな、と思います。
普段から使ってるものってパソコンとカバンと携帯くらいしかなくて、着るものとか全然こだわりがないので、見た目ただのビンボー人なのですが、そんな私が他の人より大量に消費するのが、「枕もとの箱ティッシュ」です。
中学生になって以降ほぼ毎日、夜、寝る前とか朝、目が覚めた時にかなり使ってしまうのですが、よくよく考えてみると、捨てる時に感謝の念を抱くことはこれまでなかったですね。お恥ずかしい。今日からふきふきしたティッシュさんに向かって感謝しようと思います。「今までありがとう」「とても助かったよ」という気持ちを伝えたい。
そういえば昔はお盆になると「死んだ婆ちゃんにこんなの見せられないよ」とビクビクしていた気がします。
そうして考えてみると、私も意外と変な奴かもしれません。
作者からの返信
何処からツッコんだらいいのか、ちょっと腹筋返して欲しいんですが。
「食卓の箱ティッシュ」じゃなくて「枕もとの箱ティッシュ」というところが何か重要なポイントとなっている気はしますが、それについて徹底議論したい気もするものの、色々問題も起きそうな気もするのでそこはとりあえず大人の判断で(どんな判断なんだか)。
で、思うに、「死んだ婆ちゃん」だけじゃなくて、生きてる婆ちゃんにも見せられないんじゃないのかなというツッコミも、ここは遠慮した方がいいですか?
以前に怒りのあまり自分の体を破壊してシーズン棒に振った野球選手がいましたけどね。ベンチ殴って利き手骨折したピッチャーとか。先頃タイムリーに引退発表した人ですが。
プロスポーツ選手というのは、それだけ暴走する闘争心を持っているのかなとか思ったりもします。
どう考えても、体に良くなさそうなパフォーマンスを見せて金取ってる芸人も居ます。体の一部を傷つけてでも芸をするという人は居るんですよ。
そして、究極的に、体の一部を壊すことを人に見せながら、人の心を動かしている職業にプロレスラーってのもあったりするのですよ。結果として寿命を縮めた名レスラーを何人も知ってます。
ミュージシャンだって安物のギターを使い捨てているワケでもないんでしょう。スピーカーまでぶっ壊したという人もいたそうです。結構高いもの、壊したら懐的には痛いようなものを、そのステージの一瞬のために破壊する。
もちろん、後年には単なるパフォーマンスに堕したのかもしれませんし、実際、今では安い破壊専用ギターなんてのもあるんだそうですよ。しかし、最初にそれをやったミュージシャンは、それこそ自分の腕をへし折るくらいの覚悟でやってたんじゃないのかなとも思ったりするんですよね。
それこそ、シロートの妄言かもしれませんが。
作者からの返信
おお、こういうのを待っていた。
その『自分の腕をへし折る覚悟で表現したかったこと』とは何なんだろうなと思ったわけですよ。(破壊専用ギターなんて論外、それ作るメーカーもどうかしてる)
単なるパフォーマンスじゃなくて、何か訴えたいことがあってやってる筈なんですよね、そうでなきゃ理解できないもん。
それが同じロッカーの人たちには伝わっているのかな。いるのかもしれない。だが、自分には理解できない。
今回、悩んで悩んで敢えて書いた言葉が『子供が学校で保護者に殺されるくらいの事』という一行なんですよね。
この言葉、酷い言葉ですよね。普通じゃない。
これを敢えて文字として残す、その覚悟というのは「楽器やラケットを破壊する事」に近いのかなと。
私も物を壊すスポーツ選手や音楽家に賛同できません。基本、物を大事にするタイプで捨てられないので、物が溢れてしまいます(^_^;)
それなのに!
上の女の子二人はそれを受け継いでくれているのですが、男の子四人、全くダメなんです。口を酸っぱくして言っても効果なし。なんなんでしょうね。この違いは。
作者からの返信
男の子ってそんなもんです(って事にしておけば諦めがつくかも)