第62話 道具の気持ち
テニスで世界が湧いております。大坂選手の活躍が目覚ましいですね。
テニスというものは対戦相手がいるもので、お相手の選手の言動が大きく騒がれていますが、そこでふと思ったのです。
ラケットを破壊するという行為が何故可能なんだろう? と。
凄まじくイラついてたんだろうな、滅茶苦茶悔しかったんだろうな、そこまでは如月にも推測できます。はい、小学生でも推測できますね。
だけど、ラケットってその人の体の一部のようなものではないのかな。その辺、スポーツに縁遠い如月にはよくわからないのです。
大坂選手のようにみんなが使っている市販のラケットで大会を制覇しちゃう人もいる。これ、まさに『弘法筆を選ばず』ですよね。
その一方で、カスタマイズされているであろうラケットを破壊してしまう選手もいる。それだけ納得がいかなかったんだろうけど、テニスの選手にとってラケットってどういう位置づけなんだろう? 人にもよると思うけど。
***
如月、若い頃に(今でも気持ちは永遠の14歳ですが)油絵をやっておりまして。そこそこの賞をいただいて、某美術館に展示されていたことがあるんですが……そこで審査をしていた某大物画家さんの言葉に「は?」となってしまった事があるのです。
その画家さん、なんとパレットや筆を奥様が洗って準備していると仰ったのです。
なんだかガッカリでした。「道具を大切にしている、自分の体の一部だと思っている」と言ったその口が、「メンテナンスを奥さんにやらせている」と言い放ったんですよ。
ねえねえ、筆とかパレットとかって体の一部だって言ったよね。奥さんに洗わせてるって……要介護なの?
***
もう一つ。如月、更に若い頃音楽やってました。これは長いですね、本気でやってました。クラシックメインですが、ジャズやラテン、ロックなどにも手を出しておりました。
そこで理解できなかったのが、ごく一部のロックの人たち。ステージ上で楽器を破壊するというのが流行った時期があったように思います。プロでもやってましたね、ギター燃やしたりとか。あれ、どうにも理解できなかった。というか未だに理解できない。
楽器って細かいパーツに至るまで愛おしかった記憶があります。私は太鼓屋だったんで、ヘッド一枚ペグ一本まで愛おしかった。スティックなんか抱いて寝たいくらい愛してました(異常性癖ですな)。ああ、コンクールの前にはティンパニのマレット抱いて寝ましたね。グリーンヘッドって呼んでた子です。
この子、折れって言われてもできません。自分の分身ですから。腕折るのと同じです。
テニスコートでラケットを破壊するという行為は、ステージ上で楽器を破壊するのを思い出させるんですよね。
その道具が最も活躍できるであろう場所で所有者に抹殺されるのですから。
『子供が学校で保護者に殺されるくらいの事』だと私は考えるんですよ。道具の立場に立つとね、そうなるんです。道具の気持ち、考えたことある?
***
さて、モノカキにとって大切な道具ってなんだろう?
絵描きが表現するのに使ったものは、絵の具であり、キャンバスであり、鉛筆だった。
太鼓屋が表現するのに使ったものは、マレットであり、スティックであり、ビーターであり、楽器そのものだった。
じゃ、モノカキは……と考えたとき、大事なのは『言葉』なのかな、と。
その人がどんな言葉を選んで使うか。それでそのモノカキの雰囲気ってある程度決まるような気がするんですね。絵描きが使う色に似ているというか、『ゴーギャンの黄色』がとても印象的であるように。
モノカキはやっぱり言葉を大切に扱うべきなんだろうな。投げ捨てるような書き方をしたり、文章を破壊するような言葉を使ったりってのは良くない。
そしてメンテナンスも自分できちんとしたい。たまに自分の作品を読み返して、なんかおかしいなと感じたら何度でも直してあげたい。
と、テニスを見ながらまるで無関係なところに思いが及んでしまうのでした。
ふっ、久しぶりではあるが、今回も安定のシロート発言だったようだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます