第46話 カクヨムの掟?
「なかなか読みに行けなくてごめんなさい」
っていうコメントを見たことはありませんか?
カクヨムのコンテストが始まると、ツイッターやノートに溢れ出す文字列。これが思いがけない誤解を招く言葉なのです。
もともと読もうと思っていた作品の作者さんが、たまたま先に自分の作品を読んでくれて、コメントやレビューをくれた。それで思わず『ごめんなさい』という言葉が出てしまった。ただそれだけの事だろうと思います。
なにか意図して書いているのではなく、潜在意識的に「申し訳ない」と思っていることが出てしまったのだろうと推測できます。
ですが、「申し訳ない」と思う必要はあるのでしょうか?
実際のところ、コンテストが始まると、コンテスト参加者はその規定文字数を締め切りまでに稼ぐために、必死に書くことになります。そして同じ境遇の人たちの作品を読みたいと思うものです。
そこには「読んであげたら読んでくれるかな~」的な下心を持つ人もいれば、他の人の作品をチェックしに行くという目的の人もいます。純粋に楽しみに行く余裕ができるのは、自作品にある程度目途がついてからという事になるでしょう。
そんな時に「ごめんなさい」と書いてしまう事、これに伴うリスクを考えたことがあるでしょうか?
*
ぶっちゃけ、この時期に「読みに行けなくてごめんなさい」と書いてあるのを見たら、私は間違いなく「ああ、この人、相互レビューを期待してるんだな」と思います(あくまでも『如月は』です)。
全くコンテストと無縁な生活をしている如月が見てもそう思うのです。目をぎらつかせてコンテストに参加している人が見たら、どんなふうに見えるでしょうか?
如月と同じ見方をする人が一人もいない、とは考えにくいのではないでしょうか?
みんなそう思っても口にはしないでしょう。自分もコンテストに参加しているんだから、自分に飛び火するようなことは極力避けたいと思う筈です。
だからこそ敢えてコンテストに無縁な如月が書いちゃいます!
その言葉、損してるよ! 誤解生むよ!
コメント貰ったら「ありがとう」でいいのでは?
「ごめんなさい」は違和感しかない。
「★寄越せや、コラ!」ってつもりでコメント送りあってるなら止めませんが。
*
さて、コンテストと全く関係のない時期にこの「読みに行けなくてごめんなさい」を第三者が見たらどう思うか?
…………。
は?
読んで貰ったら、自分も読んであげなきゃならないの?
本ってさ、『自分が読みたいから読む』ものじゃないの?
読みたくもないのに、『自分が読んで貰ったから読んであげる』の?
ごめんなさいって何? それ、強制力あるの? カクヨムの掟?
と、こう思いませんかね? 思わないかもしれないけど、思う人もいるよね?
確かに読み専さんは多くはないでしょう。書いてる人同士が読み合ってるようなところがないとは言い切れません。だからどうしても「読んで貰ったら読みに行く」という構図が出来上がってくるのかもしれません。
でもそれっておかしくない?
新たにカクヨムに参戦してきた人がそれを見たら「カクヨムというところは、読んで貰ったらその人の作品を読みに行かなければならないという掟があるらしい」と思ってしまいませんか?
*
積読ってありますよね。どの順番で読みますか? その時に読みたいと思ったものから順に読んでいきませんか? それと同じかなと思うわけです。
「読者が読みたい作品に優先順位を付けて順番に読んでいく中で、自分の作品は優先順位が低かったのだ、それだけの魅力がタイトルやキャッチコピーで出しきれなかったのだ」と作家側が反省すればいいだけの話、それが如月の結論です。
『読まれるか読まれないか』は常に作家側の責任であって読者に責任は無いと思うのです。
いろいろな考え方があって、私とは正反対の意見もあるとは思いますが、いずれにしろ『誤解を生まない』書き方であればそれでいいと思います。思いがけない受け取られ方をして損をするのは自分なので。
……またシロートがえらそーなことを言ったようだな。
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