梅の花と梅染め②

工房へ戻ると、翁がすでに下絵を完成させて、糊おきをはじめようとしていた。

糊おきに使う糊は、もち米と米ぬかと塩を使う。ちなみにこれも、お銀は買い付けには行くが、触らせてはもらえない。

専用の円錐状の道具を使って、下絵をなぞっていく。これがうまいこと出来てないと、作品が台無しになる。

翁の手で、着物は裾や袖になる部分に、いまにも馥郁たる香りのが漂いそうな、殿様の家紋でもある梅がこぼれそうなほど咲いていた。

その梅を、翁が優しく女を愛撫するようになぞっていく。

慎重に、繊細に。

優しく、やさしく。

息を詰めてお銀が見守る。

しわくちゃで、染料が染み込み、爪先のかけた太い指が、繊細で美しい絵を仕上げていく様は、お銀には不思議な呪いまじなを見ている気分になる。

どれほど、時が過ぎたのか。

翁がふと、手を休めた。

肩をまわし、息を吐く。

お銀も、息を吐く。


「お前、おったんか」


目を丸くして、こちらをみる翁にお銀はぷくうと頬を膨らませた。


「ずっとおったよ」

「ふうん」


翁はよっこいせ、と立ち上がると、とんとんと腰を叩いた。


「大丈夫け? 翁、叩こうか」

「いらん」


素気無く断られて、またぷくうと頬を膨らますお銀。まだ幼い仕草に、翁は、こいつもう十五なのに夫婦約束する相手もいないのは最もだと、なんとも養い子に対して失礼なことを考えていた。


「お銀」

「何」

「お前、もう十五やろ」

「うん」


だから何という目をみて、翁はもっと年頃の娘らしくしたらどうだと言いたかったが口にするのをやめて代わりに「写生みせま」と言った。

お銀は、途端緊張した顔になり、脇に置いていた和紙を翁にみせた。


伸びやかな筆使いで、春まつ桜の枝が紙いっぱいに描かれている。

かと思えば、枝の先のみ描いてあったり、木肌のみ描かれていたり、遠く、近く、下からなど、様々な面から描かれた桜を翁はじっくり眺めた。


「ど、どうけ?」


頬を紅潮させて聞くお銀に、翁は鼻を鳴らして答えた。


「まあまあやな」

「何やそれ」


照れた顔から一転、一気にふて腐れた顔をするお銀に、翁はため息をつく。


「若い娘らしくあいそらしくしたらどうや」

「そんな可愛げそこらへんの道にほってきたわ」


ふん、と鼻息荒く可愛らしさなど捨ててきたと断言する娘に翁はとほほと眉を下げた。

一体どこで育て方を間違えたのか。


「翁、そういえばそこに置いてある風呂敷何や?」


お銀の指す部屋の隅、糊おき中の机ではなく、入り口のふすまの右隅をみて翁はああ、頷いた。


「これか、これはな、お銀のや」

「私の?」

「ほうや。この間仕立てたばかりなんや」


そう言って、紫色の風呂敷を解くと、中から現れたのは優しい赤みのある茶色の地色に、裾に梅、袖には桜と桃が描かれた着物が綺麗にたたまれていた。周りには子規が飛んでいる。


「これって・・・」

「綺麗な赤梅染めやろ」


満足そうに笑う翁に、お銀は手が震えるのを隠せなかった。


「これ、これ翁の作品?」

「おいね」


震える手で、着物に触るお銀。

梅の樹皮や根を煎じた汁で染めたものを梅染めという。染める回数によって色あいが異なり、赤みのあるものを赤梅染、何度も染めることで濃くなり黒っぽく染まったものを黒梅染といい、室町時代から続く、ここ加賀国の御国染である。


五彩の臙脂に、ぼかしの技法を使って現された花は美しく、まさに春爛漫の着物だった。


「これ、これ、ほんとに私に? ねえ、翁、私にくれるん?」

「ほうや」

「何で?」


今まで絶対に自分で仕立てた着物はお銀には触らせず、古着を買っていたのに、どういう風の吹き回しか。


「お銀、全部口から出とるぞ」

「ごめん」


謝りつつも、決して着物から手を離さないお銀に翁は苦笑する。


「もう十五やと思ってな。まだねんねやと思うてたんやけど。もう結婚できる歳や」


ねんね、赤子だと言われてぷくうとまた頬を膨らまそうとしたが、お銀は結婚に血の気のひいた顔をした。


「私、結婚せん。ずっとここにおる」

「本気か」


すっと目を細めて言う翁に、お銀はごくりと唾を飲み込んだ。


「本気じゃなかったら言わん」


痛いほど真剣にみる翁に、息が詰まりそうになりながらも、お銀は言い募った。


「私は翁みたいになりたい。翁みたいに、綺麗なお姫様みたいな着物を沢山作りたい。まだまだ翁みたいな絵は描けん、やけど、」


一旦きって、しっかり翁の目を見据えてお銀は言い切った。


「御国染で加賀国全ての女の子を、可愛いお姫様にしたいんや」

「ほう」

「ほうや!」


頬を赤く染めて、輝いた目でいう娘を、翁は眩しそうにみた。


「よう、わかった」


深々と頷くと、翁はお銀の頭を撫でた。


「まだまだねんねや、と思うてたんになあ。時が流れるのは早いな。

その着物は、一人前の祝いや。そして、これからお前は、わしの弟子や」

「弟子!」

「ほうや。やけど、今までよりもひどいぞ」


今までより辛い修行になるぞと口にする翁に、お銀はにっこり笑った。


「でも、乗り越えたら翁みたいにお姫様みたいなお着物作れるんやろ?」

「ほうやな。お前は女やさけ、わしより娘たちに人気なもん作れるかもしれん」

「翁! 早うらと修行させて!」


気が急いで、右手に着物、左手に和紙をもって、翁に迫る娘に、翁は呵々大笑した。


「何や忙しない! 別に修行は逃げも隠れもせん。今日はもう夕方やから終いや!」

「えええーそんなあ!」


そう言いつつも、お銀は梅染めの可愛い春の着物抱きしめる。


「そんなに気に入ったけ」

「当たり前やろ! 」


初めて翁が自分のために作ってくれたのだから。

この一言を呑み込んで、娘はしっかり畳に三つ指ついて、頭を下げた。


「明日から、よろしくお願いします、お師匠さま」

「何やこそがしいな。よろしくな、お銀」


くすぐったそうに、翁が笑い、娘も晴れやかに笑った。

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