御国染の弟子
大根葱
梅の花と梅染め ①
時は正徳六年如月。
まだまだ寒い季節。
御国染の創始者たる翁の元で育って早四年。
十一の年に、たまたま翁が自分の故郷、穴水へ旅をしている時に、たまたま物乞いしていたお銀を拾ってくれてから四年も経った。
「おい、お銀。青花とってま」
「はーい」
お銀は慣れた様子で 平皿に水を入れる。
棚から青花紙をとり、皿の水につける。
じわりと青色が滲み出てるのを確認して、翁の元へもっていく。
翁は大きな机に、生地をいっぱい広げて、そこに青花から作った絵の具で、図案から絵を写していた。
「あんやと」
持ってきた娘を見もせず言う翁に、お銀も構わず翁の手元を見る。
生地に次々と翁の手でこぼれ梅が咲く。
するすると滑らかに図案から写す翁に、お銀は感嘆のため息がでた。
梅の香りが生地から香りそうだ。
「お銀」
「なに」
「暇なら、写生してこいま」
「ええー」
「だら、写生が基本やわいね。はよ行ってこいま」
「はいはい」
まだまだ、翁が下絵を完成させていく様を見たかったが、こう言われてしまえば、もうお銀がいくらごねても駄目なので、諦めてまだ雪の積もる外へと出た。
庭に紅梅白梅がこぼれるように咲いてるのを尻目に、お銀は女川を目指した。
浅野川、通称女川沿いを歩き、まだ寒々しい枝を曇天に広げる桜が並んでいるのを眺める。
「梅の花はいつでも見られるからな」
まだ咲かぬ花を眺めてなにが楽しいのか。お銀はぽっかり口を開けて、枝を見ている。
四半刻ほど歩き、ちょうど良い枝ぶりの桜を見つけると、お銀はおもむろに和紙と携帯の筆を取り出すと、写生を始めた。
夢中で写生を始めたお銀には、周りの音が一切聞こえない。
うら若き乙女が真剣に写生をしている姿は珍しいのだろう、轟橋にも近いので人通りが多く、次々と関係のない者が、ちらっと娘の手元を覗き込む。
それにも娘は気づかない。
今が如月だということも忘れて、お銀は一心に、寒さに耐え忍ぶ桜の枝を写し取る。
描きながら、お銀は思う。
翁のようになるにはどうすればいいか。
翁はかつて京都に住んでいたという。そこで絵を学び、扇絵を描いていたという。扇絵師として雅な京都で人気で、加賀に戻ってからは、御用紺屋棟取で御国染をしている。京都で培った絵の技法は、娘たちに大人気である。
だからこそ、写生が大切だと口酸っぱくお銀に諭す。
お銀は、少しでも御国染をしたいのに、今のところさせてくれるのは、青花の用意と、加賀五彩の用意のみ。色を混ぜることも駄目なので、本当にただ、基本の五彩を用意する手伝いをするのみで、それ以外は触ることを禁じられている。
見ることは出来るが、最近は暇さえあれば外で写生してこいと追い出される。
写生するのが嫌じゃない。
花、鳥を見て写すのは難しいがとても楽しい。
だが。
「あーあ。翁が描くところ、もうちょっこし見たかったんに」
翁のあの、流れるような筆使い、するすると出来上がる精巧で美しい友禅。
幼い頃からずっと見ているお銀だけでなく、藩からも認められた美しい友禅。
その技法を間近で見られる機会を、此の所、写生してこいまの一言で追い出される。
それがお銀には気にくわない。
写生した紙を睨んでいると、影ができた。
面をあげると、
「お蓮」
植木屋の娘で、友人のお蓮が覗き込んでいた。
「寒いがんに外で絵描いとるんか。好きやわねー」
へえと感心している同い年の友人に、お銀は顔を顰める。
「翁に写生してこいて言われた」
「なんやその顔! まあた、仕事の邪魔したんやろ」
「なーん、何もしとらん。何もしとらんから暇なら写生してこいまって言われたんや」
何もさせてくれないのは翁なのに。
不貞腐れる友に、お蓮はころころ笑った。
「先生は修行させてくれとるんやろ、そんな顔しとらんと! 上手いこと描けとるがいね」
「翁はもっと上手い。空気や匂いまで伝わるんや」
考えこむ友に、お蓮は呆れた。
「ならそうなれるように修行せんとね」
「うん」
だから、写生なのか。
まだ、御国染ができるほどの腕が出来上がってないから。
「はがいしい」
苛立ち、悔しいと口にするお銀にお蓮はますます呆れた。
「あんた、思ったことすぐ口にする癖治さんと、大変やよ」
「うん」
素直に頷くお銀に、お蓮は根は真っ直ぐなんだけど、思ったことがすぐ口から出てくるのはいらぬ災いを招きそうだと、少し心配になった。
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