第4話 カウンセラーの話

 初めてナナにあった時、古沢織江は怪訝な顔をしていただろう。

 しかし、すぐに笑顔を作った。カウンセラーとして、目の前のクライアントに不安を抱かせてはならない。

「古沢先生、ナナは大丈夫かな。本人は違う世界から来た、というようなことを言いはるのだが」

 古い友人であり、何度目かのクライアントとなった金指吾郎が、不安そうに小声で尋ねてきた。

 ナナが離れた距離にいるのを横目で確認し、織江は答えた。

「統合失調症の可能性はあります。記憶障害の可能性も。ただ、事故からまだ一か月もたってないですから、もう少し様子を見てはいかがでしょう」

「そうだな、とてもひどいけがだったし」

「とてもそんなふうには見えないわ。もうすっかり良いみたいね」

 吾郎は曖昧にうん、と相槌をうった。

「それより」吾郎はいっそう小声で、打ち明けるように言った。

「さっき驚いた顔をしていたね。私も驚いたんだ、アキラに瓜二つだもの」

「・・・ええ。いとこだっていってたわね」

 吾郎はまた曖昧にうなづいた。

 正直織江には、あのナナという青年がアキラに似ているとは到底思えなかった。アキラはとてもおとなしく、柔和さが顔に出ていたし、小柄でややぽっちゃりとしていた。一方ナナは、きれいな顔はしているが、眼光は鋭く、背は高めでとてもしなやかな体つきだった。

 しかし、吾郎が妙に思いつめたような顔をしていたので、織江はとっさに同調したのだった。

 でもとてもいい子みたい。

 外国生まれというナナは言葉はかなりたどたどしいものの、受け答えははっきりしていて、一生懸命率直に話そうとしていると感じた。

 ナナというのはあだ名なのかしら、と帰っていく二人を見ながら織江は微笑んだ。吾郎さんにとって、良い変化があるかもしれない。雛を失った親鳥が、再び子育てをするように。


 あの初対面から数か月がたち、ナナは織江の家に来た。

 吾郎が大きな事故にあい、大けがで入院してしまったためだ。普通の高校生なら一人暮らしも可能であろうが、特段の事情があるナナを、吾郎が一人にするのを嫌ったので、織江があずかることを申し出た。織江はアキラのことで吾郎に負い目を感じていたし、ナナにも色々と興味があった。


 当初ナナは借りてきた猫のようにおとなしく暮らしていたが、ある朝事件は起こった。

 朝食を作っていた織江に、ナナが近づき、背後から抱きしめてきた。精神的に幼いと感じていたナナが、勃起したものを押し付けてきたので、織江はびっくりして、叫んでしまった。振り返るともっとびっくりした顔のナナが裸だったので、さらに悲鳴を上げた。

「なにしてるの!服を着なさい」

 真っ赤な顔で年甲斐もなくうろたえてしまった。思いのほか、ナナは鍛えた体つきでたくましかったのだ。

「どうしてこんなことしたの。いけないことよ」

 意外なことに、恐怖は感じなかった。母が諭すように、織江は叱った。

「朝起きたら、生殖の準備ができていたから、子供を作ろうとした」

 ナナの言い訳はまるで、何かの小説の一文のようだな、と織江は思った。

「生理現象だから朝には大体そうなるのよ。ほっとけば治るわよ。本当に必要になったら、それを使えばいい」

「先生はいい人だから、先生と子供作りたい」

「それはありがとう。でも私はもう40すぎで、子供を産むには遅すぎるみたい。君にお似合いの彼女ができるまで、それはしまっておいてくれる?」

 ナナは「それはしらなかった」と言った。

 なんだか肩透かしを食らった気分だった。ナナは外国人というよりも、動物に近い性質がある。


 吾郎は事故以来、ナナのカウンセリングには興味を失ったようだった。織江は何も求められていなかったので、ただ年の離れた弟のように、ナナを扱った。

 こんなたわいもない話をすることもあった。

「先生、これはなに。まるで星がおりてきたようだ」

 二人で買い物帰り、街はクリスマスの電飾であふれている。

「ナナは日本のクリスマスは初めてだったっけ。今日はね、うーん、神様の誕生日のお祝いのお祭り」

 そうだったかしら?と思いながら、織江の吐く息は白い。

「生まれた?神様は人間?」

「神様は人の姿を借りて、誕生したの。でも、神様にも色々いて、日本の神様は物や自然にいたりもする。ナナの生まれた国の神様はどんな神様?」

 ナナの過去を詮索しているようで、少し織江は後悔したが、ナナはあっさりと答えた。

「大きくて、強くて、怖い。それだけ」

 どこの国の話やら。

「その神様はあまり愛されてはいないようね。私たちはお願い事を叶えてくださいって祈ったり、感謝したりする。クリスマスにはプレゼントをくれるのよ」

「くれる?まるで吾郎さんみたいだ」

 織江は思わず吹き出した。

「そうね、吾郎さんは神様みたいに優しいわね。ナナ、プレゼントは良い子だけ、もらえるのよ」

「この世界の神様はなんて良い神様だろう!先生、オレ帰ったら皿洗いをする」

 織江は笑いをこらえ、震える声で、ありがとうとうなずいた。

 明日の朝、ナナが目覚める前にプレゼントを買いに行かなくては。


 ナナはずっと家にいる。吾郎からは外出が多いと聞いていたのだが。出かけるのは吾郎の見舞いだけのようで、織江が同行することもあった。

 病院のベッドの上で、吾郎は、さり気なくナナを追い払うと、織江に頼み事をしてきた。

 吾郎が退院しても暫くはナナを預かってほしい、ナナの行き先が決まったら連絡するし、そんなに待たせることはない、というものだった。

「ナナと離れるつもり?」

 織江は残念な気持ちだった。

「ナナがね、そうしたいというんだ。勘違いしないでほしいんだが、別に仲たがいした訳でもない。あの子は私の事を心配しているんだ」

「わけが分からないわ。ナナは言葉には出さないけど、あなたを父親のように思っているのに」

「親離れしたい時期なのかもね」

 吾郎は微笑んで、「色々とね、やらなきゃならないことがあるんだよ、ナナは」

「確かに色々あるんでしょうけど、あのくらいの男の子を野放しにするべきじゃないわ」

 織江は過日の事件を思い出し、忠告した。

 吾郎はちょっと吹き出した。

「早速なにかやらかしたみたいだね」

「彼はかなり…エキセントリックだわね」

「そう、魅力的だろう。前にナナがアキラに似ているって言ったけど、今はそうは思えなくなったよ。何故かな。むしろ彼は君の昔の旦那に似ていないかい?」

 織江は心底どきっとした。それはナナに初めて会ったときにも思ったことだった。 今でもナナの何気ない仕草に、昔結婚していた夫を思い出すことがある。シャツのボタンを留める手つき、食卓に座って織江の給仕を待つ時のぼうっとした顔。それは突然やってくる。あの人は今、どうしているだろうかと織江は思う。今度こそ、子供に恵まれて、幸せに暮らしていれば良いけれど。

「きっと、ナナは君にも素敵な贈り物をくれるだろう。しかし、いずれは離れなければならない。私のようにね。その時まで、ナナと良い時間を過ごせますように」


 その晩、ナナが怪我を負って帰宅した。

織江は黙って手当をした。子供を産んだこともないので、こんな時にどんな説教をすべきなのかわからなかった。かろうじて、何故こうなったのか?聞くのが精一杯であった。

「傷を治さなかった。吾郎さんのケガ、オレのせいだから、傷をつけた。そうしたかった」

 見当はずれな回答だったが、ナナは教えてくれた。ナナはいつも、正確に話すように努力をしている。

「吾郎さんの怪我はナナのせいじゃないわ」

 ナナは黙ったまま、イヤイヤするように首を振った。

「どういう理由にせよ、自分を傷つけるようなことはしてはダメよ。傷が癒えても、残る疵ってあるの。ナナが苦しんだら、吾郎さんが悲しむの、わかるしょ?…ナナは吾郎さんのことがとても好きなのね」

 ナナの目から、静かに涙が落ちる。

 それはとても、綺麗だった。


 その時、織江は恋に落ちたことに気づいた。









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