27:落日離合

 ジルがロベイルと相まみえる頃、最上階の王の間では、フランとブラック・オブ・ウェールズが死闘を演じていた。ゲクランを弓の盾に、ウェールズを引き受けるフランだったが、事態は想定していた以上に劣勢だった。


「フハハ……その身でよくも余の剣を受け切るな! やはり貴様も人外の成れの果てか!」


 余裕綽々といった表情で、黒剣を振るうブラック・オブ・ウェールズ。かつて無敗の将としてフランスを席巻した王は、化物となってもやはり傑物だった。打ち合いならばゲクランにも引けはとらないと自認するフランではあるが、一対多を想定した大鎌は、飛燕の如くウェールズの長剣相手には、どうしても分が悪い。


「きっと貴方よりだいぶお姉さんな筈なんですけれどね! 用が無いなら、さっさと国に引き上げてくれません?!」


 悪態をつきながら、余裕を示そうとするフラン。せいぜいあるとしても起爆型の術式程度と見積もっていたのが運の尽きだった。まさかこんな化物が、堂々と居座っているとは。コーションごときには扱えない代物、バックにはあの忌々しい大魔術師クラスが控えているとみて間違いはないだろう。


「そうも行かぬのだよお嬢さん。ここはそもそも余の領土だった場所だ。生前は病床に臥し、結果としてその多くを失うハメになってはしまったがね。――折角こうして受肉したというのだ。雇い主の意図がどうであれ、再度覇権を狙うのは、王の王たる必然ではないのかね!」


 さりとてウェールズもウェールズ。王としての理屈を並べ立てながら、嬉々として連撃を繰り出している。まったく厄介な事に、応じているフランは全力の一歩手前だ。幻術は見破られ、速度の遅い魔法の類では揚々と躱される。せめてロウソクブージーを使えればとも思うが、お生憎と、アレを十全に扱えるのは生身の人間でなければできない相談だ。


「それは困りましたね! 交渉決裂ですか、ブラック・オブ・ウェールズ!」


 となればここは、ジルを待って三対二にもつれ込ませるのが次善の策かと思いを巡らせるフランだったが、その雑考は飛んでくる矢によってかき消される。


「ッ!?」

「相済まぬ! 我が主君モン・モナルクッ!!!」


 見れば曲線を描く矢が、盾となる筈だったゲクランを避けてフランを狙っている。馬鹿なと呻きつつ後ろに飛ぶフランだが、その先には既にウェールズが先回りしていた。


「ハハハ……! ヘリワードの魔弾を、あの肉壁程度で凌げると思わないで欲しいものだ」

 

 剣撃が肩を掠め、黒い外套がちぎれて飛ぶ。


「くっ……」


 これでは実質二体一だと歯噛みしながら、フランはゲクランのほうを見やる。巨躯のげクランはフレイルを振るうが、それは飛んで回るヘリワードにはてんで当たらない。


 ――ヘリワード。

 巷にはロビンフッドと呼ばれる英国の義賊は、類まれなる弓の名手としても知られている。それが魔に落ちた途端、人の尻を追い回す矢まで射れるようになるとは。


 計算外だと独りごちつつ、フランは矢と剣、その両方を避けて回る。単に向こうのテリトリーに足を踏み入れたというだけのディスアドバンテージであり、死力を尽くせば乗り切れない程ではない。


「面白い。面白いぞ女! 余は世にこれほどの遊興があるとは知らなんだ。死してのち、不死に等しい肉体を得て初めて知るこの歓び! 誠に愉悦である! さあ逃げよ避けよ! 我が人外の刃から、いっときでも多く逃げおおせよ!!」


 ウェールズの言葉から、彼が呼び出されて間もない存在であると推し量ったフランは、内心で笑みを零した。百戦錬磨で無い以上は、裏をかけば凌ぎきれる。




「――?!」

 そうこうするうちに、外で響くのは万雷の爆音。そして化物の叫喚。外で砲声が響くという事は――、くそったれめ、こいつら変異できる上位種だとフランは舌打ちする。だが裏を返すなら、かかる上位種を相手どって尚、ジルとラスタは圧倒するだけの戦いを演じてのけたという証左でもある。もしあの絶叫が途絶え、歓声が木霊するというのであれば、次に階段を駆け上ってくるのはジル本人であろう。その事実を言祝ぎながら、フランは時間稼ぎの為の術式を立て続けに詠唱する。


「ああまったく愉快だ!! よもやセイタン・ロベイルが本性を現し、その上で駆逐されかかっているとは! かの悪魔が出来損ないであるにせよ、一介の騎士どもが勝てる相手では到底ないというのに! よもや余が眠る百年の間に、かくも面白きゲームが行われていようとは!」


 フランの術式の尽くを弾き返すブラック・オブ・ウェールズは、気が変わったように剣を収めると、玉座に戻りヘリワードに合図を出す。


「ヘリワード!! 顔見せは終わりだ! 戻るぞ! 宴の準備をする!!!」

 

 頷いたヘリワードを追おうとするゲクランだったが、足元を射られ身動きを封じられる。


「待たぬか! 黒太子!!!」

 

 その声に応えるように手をかざすウェールズは、満面の笑みで返した。


「待つ、待つ待つぞ余は。だが今日はここまでだ。余にも、貴君らにも悪いとは思うが、ここで帰らねばならぬのだ。察して欲しい」


 そしてウェールズが手を掲げた時、勢い良くドアを開け、ジルが雪崩込んできた。


「ブラック・オブ・ウェールズ!!」

 

 鎧はところどころがひしゃげ、握る剣からは血が滴っている。目は血走って、その視線はウェールズの一点だけを凝視している。


「貴君も来たか! よくやった。あのセイタンを見事仕留めるとは。次回は是非手合わせを願いたいものだ。ああまったく、戦争がかくまでも楽しいものであったとは」


 ヘリワードの肩を抱き笑うウェールズは、突き上げたままの手で一言叫ぶ。


「いでよ、ペンドラゴン!!!!」


 すると空を雷音の如き怒声が包み、天井を割って巨大な影が姿を現す。


「竜――、ですって?」

 

 さしものフランも、これには目を丸くする他ない。現れ出たのは真紅の龍。すなわちウェールズを守護するとされる赤と白の竜の、その片割れである。この男は、こんな神話上の生き物までをも使役できるできるのかと、フランは呆気にとられてそれを見つめる。


「その通りだ! なるほど今この場で、貴君らを血祭りにあげる事は容易かろう。だが問題は、その場合本国へ帰るだけの魔力が失われてしまうという一点にある。本来はセイタン・ロベイルの背に乗る腹積もりであったが……いやはや、そこは我らの足を殺してみせた、貴君らの勝利ということになろうな。まったく見事、天晴である!」


 心から楽しそうに破顔するウェールズの隣で、控えめに一言だけ告げて、ヘリワードも去っていく。


「僕も本来であれば、征服者より籠城戦の手合ですからね……皆さんがこちらに渡ってくるのであれば、その際はまた相まみえる事になるでしょう」


 誰もが言葉を失する中、ウェールズとヘリワードを乗せた竜は空高く消えていく。ここまでの高度ともなれば、外の砲兵とて手出しが出来るものではない。納刀するジルを横目に、フランは精一杯の虚勢で持って、自身の胸を叩いてみせる。


「厄介な事になりましたが、マーシャ。準備をして勝てぬ相手ではない、そう考えるべきでしょう」


 恐らくは、連中に抗するにはもっともっと沢山の生贄が要る。ジシュカを黄泉帰らせ、ジルとゲクランを強化するだけの素材と餌が。そして可能であるならば、より一層の兵員も補充すべきだろう。最悪、ジルの領地は諦めて貰う他なくなるかも知れない。


「そう考えて動く他はないだろうな。しかしまさか、神では無く悪魔によって道を阻まれる時が来るとは」


 自嘲気味に笑うジルだが、その瞳から希望の色が消え失せている訳ではない。


「なんであれ、蹴散らして前へ進む以外に無いでしょう。ボクたちには既に、地獄の業火しか待ち受けてはいないのですから」


 腕を組むフランの隣に、追いついてきたクルトーが、寝たままのラスタを乗せくーんと鳴く。


「そういえば、だが」

「どうしましたか、マーシャ」


「ラスタ・オルフェだが、私の眷属になってもらった」

「は!?」


「いや、成り行き上やむを得なかったんだ……見てくれ、腕が一本もげている」

「むむむ……それは後で治しますけれど、なんか悔しいですね……ボクよりも近い所に、この子が行ってしまったみたいで」


 そこまで言ってフランは、ようやっとポジティブな思考を取り戻しつつある事に気づき、安堵する。そうだ、神すらも殺すと決めたのは、今更悪魔の一匹や二匹、どうという事ではないだろう。


「なんならお前も、私の眷属になるか?」

「へ……? いや無理ですよ。だってボク、元が死体ですもん。ていうか、二番目の眷属って時点で、お断りって感じですけど」


 顔に浮かべた不平そのままに、ジルに抱きつくフラン。そう言えば約束したじゃないか。古城の一夜は、この人との二人きりで過ごすんだって。最も、天井のぶち抜けたこんな場所じゃあ風情も無いし、ラスタの治療もあるからお預けなのは仕方がないけど。


 ジルにお姫様だっこで抱えられたフランは、かくしてドン・ジョンから眼下を見下ろす。リッシュモンの騎士たちは半ば戸惑っているようではあったが、飛び立ったドラゴンが戻ってこない様子を見るや、どうやら勝ったのだとめいめいが歓声を上げている。その隅っこでポツンと残されたアリスだけが、疲れ果てたように座り込み、肩で息をしていた。駆け寄るリッシュモンが毛布をかけてやってはいるが、この子にも後で、それなりの労いはかけてやるべきだろう。なにせたった一人で結界を張り続けていてくれたのだから。


 幸いにも、と言うべきか。ここパリにはバヤールの心臓も、アリスの求める聖杯の残滓も残っている。なあにまだまだこれからじゃないかと沈みゆく夕日に目を移して、フランは笑みを零した。時に1435年、4月15日の出来事であった。

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