25:斬鬼襲来
しくじったな、とラスタ・オルフェは苦々しげに唇を噛み、眼前の敵を見据える。パリンと結界の割れる音がするや、疾風の如く切りかけてきた何者かの手により、ラスタの左腕は前方に飛び散ったまま肉塊と成り果てている。
「結界があるとは言え、まさか人の身で俺の一撃を凌ぐたあねえ」
不愉快な声だ、とラスタは思う。女を蹂躙し、モノとしか扱う気の無い腐れ外道の声色。知っている、そしてこれまでも幾度も目にしてきたと、ラスタは戦場の記憶を手繰りながら思い起こす。
「アリス・キテラ……そして騎士の諸氏。リッシュモン卿を連れて下がって下さい……」
マナで辛うじて止血はしたが、既に失われた血液についてはどうにもならない。薄れ行く意識の中で、辛うじて指示だけを飛ばし、ラスタはダガーを構える。
「だ、だけど……」
「し、しかし……」
「リッシュモン卿、あなたに倒れられると私が困るのです。陛下からあなたの護衛を仰せつかった、私の沽券に関わりますので。さ。アリス」
逡巡するアリスとリッシュモン。されどもう一度声を張り上げるラスタに、渋々ながらも同意を示す。
「わかった……ラスタ……すぐに応援を呼んでくる……」
「閣下を守れ!! 総員、陣形を固めよ!!!」
じりじりと後退する友軍を横目に、安堵の溜息を漏らすラスタ。しかして男は、その光景を嘲笑うように蔑む。
「そんな身体で、どうやって俺と張り合うつもりかねえ……顔色だって、もう随分と青ざめちまってるじゃねえか」
事の一部始終をニヤニヤと見つめながら、男もまた二本のダガーで交戦の姿勢を取っている。
「どうもこうも、最後までやるだけの事です。私とて、時間稼ぎぐらいは出来るでしょう」
片や両の手、片や隻腕の、それも初めから実力差の分かりきった相手との
「首輪にメイド服……ほお、あんたアイツの奴隷か何かか」
舌なめずりをする男に、だからラスタは、含みをもたせて敢えて応じる。
「ええ、奴隷でしょうね。この首輪は……私が望んで付けて頂いたものですから。――私は希って口づけを交わし、あの方の足元に跪いたのですから」
どうやら思った以上に血が抜けてしまったらしい。或いは本来なら、失血時のショックで死に絶えているのかも知れない。滴る脂汗を振り払って、ラスタは正体不明の相手と向き合っている。
「ちっ……色狂いか……ならちょうどいい、そのご主人様と仲良く並んで死ねや」
鳥頭とでも呼ぶべきだろうか、逆立てた髪を固める男は、そう言って下卑た笑みを浮かべた。黒い外套の下にはシャツ程度しか着込んではいなかったが、その体中から発せられる殺気が、男が十全なる殺戮者である事を示して憚らなかった。
「それは出来ない相談ですね。せいぜい死ぬとしてもそれは、私一人。刺し違えてでも、この場は死守させて頂きます」
だが口でどう強がろうとも、死期を察した身体はぷるぷると震えだす。せっかく義父ジシュカの復活も目の前に迫っているというのに、こんな所で命を落とすハメになるとは。ラスタは辛うじて恐れを唾と共に飲み込み、敵がつっかけてくる瞬間を待った。
「そんなに死にたけりゃあなあ……今直ぐここでとっとと死ねやあッ!!!」
刹那、瞬きすら許さずに詰まる間合い。目で追っていれば殺られていただろう。あの日、シャントセの地下で、ジルに教えてもらった人ならざる者との戦い。それがこのタイミングで役に立った。
――キン!!
響く音が、受けたダガーの刃こぼれをラスタに伝え、辛うじて避けきった初撃と別に、飛んでくるもう一刃が脇腹をかすめる。
「うぐッ……」
こんな時、もう一本の腕があればと思う所ではあるが、ないものは仕方がない。使い物にならなくなったダガーを捨て、ラスタはマナを腹部に塗り込む。
「カハハッ、避けた避けた。感心な事だねえ。これも愛の力ってヤツかい」
明らかなる手抜き。見下しながらダガーすらも使わずに、今度はケリを見舞ってくる男。躱せないと踏んだラスタは、今度は残る隻腕で守りに入るが、めきりと骨の軋む音がして、身体は遠く後方に吹き飛ばされる。
「あがッ……!! あ……あ……」
恐らく今の一撃で、隻腕も、背骨と幾つかの骨も、駄目になったに違いない。ヒューヒューと漏れる荒い息遣いが、今わの際を彷徨う自身を物語っている。動かねば、どこか一寸でも動かさねば、そう思うも、身体はピクピク震えるだけで何も答えてくれない。
「なにが刺し違えるだ。二撃受けきってもうダウンじゃねえか……ま、受けきったってだけでもそれなりのもンだがよ」
つまらなそうに唾を吐き捨て、男はじりじりとラスタに歩み寄ってくる。だが少なくとも、アイツが自分に目を留めている間に、陛下が戻ってきて何とかしてくれるだろう。……たとえ、私の命が潰えても。
「……だ……へい……か」
だがそこまで覚悟を決めた所で、ぶわっと涙が溢れ出て、顔中をぐしゃぐしゃにする。死にたくない。死んでたまるか。こんな所で、こんな場所で。陛下。陛下、パパ、ヤン・ジシュカ――。
ダガーを拾う音がする。自分の武器で死ねばいいと男の声が響く。ラスタにはもう何も見えない。首は動かず、音だけしか聞こえない。コツコツと石畳を歩く音。そしてそれが立ち止まる音。たぶん、もう、終わる。ごめんなさい陛下。すみません父上。ジルとジシュカの顔が交互に脳裏を過り、ラスタはラスタの終わりをふと噛み締めた。
だが命の終わりを告げる音だけが一向に響かない。永劫にも思われる沈黙を破ったのは、聞き慣れた愛しい声だった。
「ラスタ――!!!」
陛下。陛下……ジルの声。男の呻く声を残し、太い腕がラスタの身体を包み込む。この匂い、温もり、ああ陛下だとラスタはもう一度泣き、次に随分とひどい有様であろう事を後悔し恥じた。
「くそっ……なんでお前が、ここに……」
忌々しげに呟く男を他所に、ラスタは自らの身体にマナが塗り込まれるのを感じる。動く、腕。喋る、口、生き延びたあらん限りの歓喜で以て、ラスタはジルに抱きついた。
「陛下……陛下!!!」
泣きじゃくるラスタを抱きかかえながら、ジルは耳元で安心するように囁く。そして遅れてすまないと詫びる。いいえこちらこそ、お守り出来ず申し訳ありませんでしたと、ラスタはぐずぐずの鼻声で答えた。
「さて……異国の不届き者よ。私の侍従に傷をつけてくれた事、その身を以て贖って貰おうか」
ラスタはクルトーの背に乗せられ、そのままに走り出す。背後では黒尽くめの男に対する、ジルの怒りと断罪の声に、それから男の名乗りだけが微かに聞こえた。――いいぜ大将さんよ。このセイタン・ロベイルに、人の世の騎士が敵うのならな、と。
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