24:黒王睥睨

 フランス軍を迎えるパリ市民の様子は、三年前とは打って変わって友好的だった。耳ざとい市民たちには、イギリス軍の窮状が既に伝わっているのだろう。殿軍が撤退した後の市街において、組織だった抵抗は絶無だった。


 指揮官のリッシュモンは、智将よろしく略奪の禁止を全軍に通達し、騎士たちは秩序だって町中を闊歩する。行く先はさしあたっての駐屯所となる、ヴァンセンヌの古城だ。


 ここは1420年にイギリス王、ヘンリー五世によって奪われてから二年後、彼が看取られた場所でもある。以来十年以上をイギリスの支配下に置かれていた訳だから、市民の意趣替えも当然のものといえるだろう。


 だがリッシュモンの先遣隊が城門に差し掛かった時、待てを命じたのは意外にもフランだった。場内を探る為、先ずはジル、フラン、ゲクラン、クルトーの四人が先行。次にラスタ、アリスが護衛する形でリッシュモンの隊が続く事になる。


 この警戒態勢については、ジルも事前に聞いてはいる。万が一敵方の魔術師が罠を仕掛けていた場合を考慮しての部隊分け。まだ生身であるラスタのほうが、リッシュモンの部隊には馴染みやすい点と、アリスの結界術が奏功するであろうと見込んでの采配だ。前衛に人化したクルトーがいる事で、非常時にはそれに乗る事で後衛に合流できる。


 中央にそびえ立つ主塔、ドン・ジョンは静まり返っていて、敵兵の居る気配はない。森のなかにそびえ立ち、かつては十字軍すら見送った巨塔は、今や持ち主の居ない墓標のように冷たい静謐を湛えている。


「フラン。ここに何かあるのか?」

 

 いたたまれぬ沈黙に、ついに口を開くジル。フランは一瞥すると事務的な返事を返す。


「わかりません、マーシャ。ボクの放った使い魔は、全てこのヴァンセンヌで消息を断ちました。今のところ魔力の反応は検知できませんが、同時に何も知覚できないエリアがある事も、また確かです」


 フランの曰く、ブラックボックスのように隔離された空間が、このドン・ジョンにはあるのだという。恐らくは王の間。この城を統べる城主の間。


「気をつけて下さいマーシャ。気配が無いだけに疑ってかからねばなりません。

ゲクラン、前衛に。クルトーは最後尾に」


 目的地に至る階段を前に、フランはそう指示を出す。頷いたゲクランとクルトーが、それぞれ分かれて配置につく。


我が主君モン・モナルク。では開くぞ」


 ゲクランが扉に手をかけ、ギイという音と共に光が差し込む。――と同時に、むせ返るような死臭が鼻をつく。


 


「ようこそ、待っていたよ諸君。パリへようこそ。迎えもなくすまないとは思うが、何ぶん腰抜けの英兵は誰も居なくてね」

 

 そう低い声色で告げるのは、玉座に座る黒尽くめの騎士。装いはジルのそれと相似するが、黒く結晶化したよう肌が鎧と綯い交ぜになり、或いは装甲そのものが喋っているかのような錯覚をすら覚えさせる。


「……同胞を切り刻んだのは貴方でしょうに。ここから逃げおおせた英兵の、いったいどれだけいることやら」


 すると玉座の傍らに立つ男が、かぶりを振りながら一歩前に出る。騎士とは真逆の軽装に、携えるのは身の丈ほどもある長弓。柔らかな面とは裏腹に、その全身からは殺気が漲っている。


「そういうなヘリワード。余とて望んでやった訳ではない。ただ示しがつかぬのでそうしたまでの事。クククッ、ハハハ。これも戦争であるがゆえ、致し方も無き事よ」


 笑いながら席を立つ黒騎士は、血に染まった王の間で大仰に身振りを交えながら、喜々として語りだす。


「物騒で薄汚いフランスの客人どもに、まずは余の名を伝えておこう。余の名はエドワード。エドワード・オブ・ウッドストック。――巷ではそうだな。ブラック・オブ・ウェールズとでも呼んだほうが分かりやすいかね」


 言葉と共に鉄仮面を取る黒騎士。その長髪はフランと同じ白銀で、白い細面が顎元まで侵食した鎧の間から顔を覗かせている。


「ブラック・オブ・ウェールズ……黒太子!!!」


 思わず反芻するのはジルだ。かつてフランスを蹂躙し、名を連ねた戦場では百戦百勝。ポワティエの戦いではフランス王を人質に取り大勝を収め、以後ゲクランの登場を待つまで、フランスは領土回復すらままならなかった。


「ほうほう……やはり百年経っても余の名は不滅か。まったくもって素晴らしく。且つ嘆かわしい。せっかく余が獲ってきてやった領地を、もはやこの程度しか留めておけぬとは」


 溜息をつく黒騎士、もといブラック・オブ・ウェールズは、それでも笑みを湛えたまま玉座を降りる。これに呼応するように身構えるのは、他ならぬゲクランその人。


「ほう……お主がブラック・オブ・ウェールズか。リモージュで無辜の民の命を奪った虐殺者め……死してなお、我がフランスを血で染めに参じたか」


 フレイルを掲げるゲクランを見やり、目を見開いたあと肩をすくめるウェールズ。その視線は幾許かの嘲笑と、不快感が読み取れた。


「おやおや、貴様は我が領土を踏みにじった醜い豚……ベルトラン・デュ・ゲクランかね。こんな化物に頼らざるを得なかったとは、甚だフランスには不信仰が蔓延っているらしい」


「抜かせッ!!」


 言うが早いかつっかけるゲクラン。ジルですらまともに受けきれなかったフレイルを、剣の一撃で両断したウェールズは、さも涼しげな表情で佇んでいる。


「下がりなさいゲクラン! アレはあなたでは荷が重い!」


 叫ぶフランが、腕を振るうと、ゲクランの眼前で矢が燃え落ちた。


「なっ……これは、モン・モナルク!」


 抜刀しつつ後退するゲクランを目に、いつの間にか弓を構えていた――、ヘリワードと呼ばれた男が続ける。


「僕のこれを見切りますか。流石は噂に聞くアルシミスト。フランソワ・プレラーティ殿」

 

「それは余の獲物だぞ。ヘリワード。邪魔建てをするでない」


 しかしてその加勢すら不服とばかりに、ウェールズもまた剣を抜いてゲクランを見定める。


「これは失礼しました。ですが今回の僕たちの任務は飽くまでも顔見せの挨拶である事、ゆめゆめお忘れになりませんよう」


 これで釘は刺したぞと言わんばかりのヘリワードは、三角帽子を目深に被ると、今度は弓の代わりに身体を向けて告げた。


「さてフランスが誇る勇士の皆様。そろそろ友軍が危機に陥る時宜。いかが致しましょうか?」


 正にその瞬間であった。階下で俄に悲鳴が響き、剣閃の交える音が聞こえたのは。


「それを言うでないヘリワード! 同胞の死に嘆き悲しむ奴らの姿をこそ、余はこの目で楽しみたかったのだ!」


 間にも止まらぬ速さで突っ込んでくるウェールズ。ジルもまた迎撃の姿勢を取るが、割って入ったフランが鎌でその一撃を受け止め、横目でジルに指示を叫んだ。


「マーシャ!! クルトーを駆って戻って下さい!!! あの子たちが、危ない!!!」


「だがフラン、お前は!!」


 大鎌でウェールズの一撃を返し、一度は距離を取るフラン。後退し前を見据えたまま囁くフランからは、平素の余裕は消えていた。


「マーシャ。ボクを誰だと思っているんです? この世で最も強く、そして可愛らしいアルシミスト、フランソワ・プレラーティです。――行って下さい。アリスの結界では、分と保たない」


 背後で狼に戻るクルトーが、乗れとばかりに態勢を整える。分かったと頷いたジルもまた、背に飛び乗って階下を目指す。


「良い判断です。マーシャ。ではまた後ほど。パリでの一夜は、ボクと一緒という、約束ですからね」

 

 その声が徐々に遠くなるのを感じながら、ジルは友軍の待つ一層へ向かった。

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