21:陰惨夜警

 陰鬱な森のざわめきを子守唄に、騎士たちは眠れぬ夜を日々過ごす。ボーヴェより南100kmに位置する、ボーモン・シュル・オワーズの古城。森を背に建つ砦型の城塞は、かつてはルイ9世が住まい、今はイングランド軍が屯する居城である。


 界隈には既に届いている、ジョン・オブ・ランカスター護国卿の死に加え、アラス会談の不和。五年前までは想像だにしなかった自国の劣勢に、慄かない騎士がいるとすれば、それはただ日和見の愚図であろう。


 辛うじてフランスの北部、カレーに限っては、未だに英国の橋頭堡として権勢を誇っているが、問題は内地に取り残された、此処パリだ。補給線が次々と絶たれ、ブルゴーニュ派がイングランドとの共闘を解消した以上、本国から遠く離れた花の都は、哀れな陸の孤島とならざるを得ない。だから騎士たち、就中その頭目たるリチャードは、自らの置かれた窮状に対し、深い深い危惧を抱くのである。


 中でも忌まわしいのは、兵士の間で噂されている、かの聖女の呪い。イングランドにとっての魔女として処断された、あのジャンヌ・ダルクの呪いだった。彼女が神の使いであったがゆえに、イングランドは然るべく敗退を喫し、彼女が聖女であるがゆえに、それを殺したイングランドは災いを受け続ける。さながら聖書のメシアを磔刑に処したローマの如き迷信が、蔓延って蔓延って、断ち切ろうにも断ち切れない。


 噂の曰く。護国卿の死に際し、黒い甲冑に身を固め、血塗られた鎌を振るう魔女の姿が、ルーアンに現れたという。そして相当の数の守備隊が、何者かによって惨殺されたともいう。詳細も真実も、何一つとして分かり得ないが、霧の中に包まれたような現状であるからこそ、拭いようもない不安が次から次へと湧き出てくる。


 風にざわめく木の音に、苛立ちながら過ごす眠れぬ夜。そんな日々がもう何日と続く間に、リチャードの目の下には、深い隈が出来ていた。しかして窓の外の月を見るにつけ、時宜はとうに丑三つ時。そろそろ寝所に写らねばと重い腰を上げた時、その音は響いた。




 ギイイイと木の軋む音。馬のいななき。駆け抜ける蹄。そして、悲鳴。怒声も鬨の声も何もなく、恐らくはただ友軍の事切れる声だけが木霊する。恐らくは城門が開いたのだろうと、リチャードは推し量る。軽装の鎧を纏い、枕元の剣に手をかける。いずれにせよ戦端は開かれている。まずは状況を整理せねば。


 そう雑考を巡らせながら、リチャードは部屋を出ようとする。刹那、音もなく部屋に佇む影に気づき、リチャードは身を震わせた。

 

 黒い甲冑を身にまとった、銀髪の少女が、灼眼を覗かせてこちらを見ている。黒い外套。黒い旗。そして三日月のように鋭い、黒い鎌。


 いや、鎌は黒かったのではない。何かが滴って、絨毯に染みを作っている。血。血だ。黒だと思っていた鎌も、外套も、甲冑も、何もかも。夥しい血に彩られ、黒く黒く変色した何かだった。


 リチャードは慄いて転び、尻もちをつきながら後ずさりする。或いはこれが、兵士たちのいう魔女の呪いなのかと漠たる確信を抱きながら。


 どれだけの時が経ったのか。恐らくはさしたる時ではない。されどリチャードにとっては数刻にも及ぶ耐え難い沈黙は、少女のゆっくりと動く口元によって打ち破られた。


「こんばんは、私を殺したイングランドのナイト様。本日はその御礼にと思い、こちらも配下を連れ参じた次第です」


 うそだ。とリチャードは言おうとした。実際には声になっていなかったが、確かにお前は死んだ筈だと叫びたかった。ルーアンで磔にされ、地獄の業火によって焼かれた魔女。その御前がどうしてここに居て、こうして笑っているのだと恐怖に顔を歪ませながら。


「あなたの疑問も最もですが、耳をすませて御覧なさい。外ではあなたの部下の悲鳴が、さっきからずっと聞こえているんですから」


 その言葉ではっと我に返ったリチャードは、それまで自身を取り巻いていたのが沈黙などではなかった事を思い出す。石の崩れる音、鎧が断ち切られる音。悲鳴

悲鳴、阿鼻叫喚。


「あなた方が、私を魔女だと仰るのなら、そうあれかし。我らもまた、魔女の作法によってあなた方に誅伐を下します。この意味が、お分かりですね?」


 分かりたくはなかった。だが問答無用の威圧的なオーラが、歴戦の騎士リチャードをして強制的に頷かせてしまう。この幼い少女の眼光には、有無を言わせぬ力があった。


「ならばワルプルギスの夜の始まりです。どうか盛大な死を。この狂宴で以て、あなたに落ちる、緞帳で以て」


 手を高く掲げ、演説の締めのように仰々しく告げる少女の後で、リチャードは自身の首から滴る、ドロリとした熱に気付かされる。手を当てる。少女の鎌に纏わり付いていたような、ぬるく鉄臭い血。


 ああ、どうやら終わるのか。朧げな視線を向けるリチャードの先に映ったのは、ナイフを構え鈍色の眼光を煌めかせる、褐色の肌の少女だった。気のせいかメイド服を纏っているように見えないでもなかったが、その真偽を確かめる術は、既に死人と化したリチャードには出来ない相談だった。

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