22:弱者必滅

 黒い森がざわめき、そのざわめきをかき消すように城門が開いた。吹き抜ける一陣の風は、ざわりという音も立てずに門番の首を断ち切ると、見たことも無い巨躯の馬が遂にいななき、それを以て沈黙は終わった。


 影の数は二つ。前衛に黒ずくめの、ペストマスクを被った騎士。後衛には、前衛の数倍の体躯を持つもう一人の騎士が、フレイルを振り怒声をあげる。その怒声で辛うじて応戦に出た兵士たちは動きが止まり、斯くて動きが止まった側から、ペストマスクの騎士に首を刈り取られ散華する。


 全てはその繰り返し。戦場を一つのワルツが支配する中、血と肉は折り重なるように屍山血河を織りなし、気がつけばボーモン・シュル・オワーズは、死臭に塗れた亡者の城に成り果てていた。


 



「――首尾はどうだね、フラン」


 斯くて屍の山頂、バヤールを駆るジルがそう呟くと、樹上から姿を現すフランが、ペストマスクを外しながらしたり顔で返す。


「どうもこうも、当然の如く拍子抜け――、とどのつまりは順当そのものの結果、といった所です、マーシャ」


 月下にそよめく銀髪の少女、フランは、今ではファクティスジャンヌを演じている。背が小さい以外の見た目は全く異なるが、戦場に立つ少女というだけで噂には十分だ。自らが死地に送った聖女の呪いに、怯えながら英兵共は死を待つがよかろう。


「つまり指揮官はやった、という訳か。上々だ……ときにラスタ・オルフェはどうした?」


 だが居並ぶ面子にあって、ただ一人生身のままであるラスタ・オルフェ。フランの戦果は当然にしても、彼女の手並みはどの程度であったか、気にならないジルではない。


「あら、ボクの事よりラスタ・オルフェですか……マーシャってば、随分と他の女に色目を使うようになってしまって」


 ああ嘆かわしいと大仰な素振りで、フランは指笛を吹く。すると秒とせずに木々を揺らし、クルトーに乗ったラスタ・オルフェが現れた。


「お呼びでしょうか、ヴォート・グレイル……そして、我が陛下」


 恭しく頭を垂れるは、褐色の肌のラスタ・オルフェ。黒い外套に包まれた中は、メイド服に胸当てという異色の出で立ちで、首には本人の希望で首輪まで付けられている。城への潜入ともなるとどうかと不安もあったが、結果を見れば何の問題もなかったらしい。


「無事なようで安心した、ラスタ・オルフェ。――今宵は我が側にいろ。私にはお前が必要だ」


 既に緊張の弛みきったフランではなく、未だなお瞳に闘志を宿すラスタの姿は、ジルをして昂ぶらせるものがあった。血の臭い沸き立つ古城の一夜は、このメイドとこそ相応しかろうと判断し、ジルは告げる。


「はっ、はい……光栄であります、陛下」


 しかしてその隣で面白くもなさそうに頬を膨らませるのはフランだ。狼王クルトーに擦り寄り、怒りの眼差しでジルを睨む。


「なっ――、ロマンティックなお城の夜を、ボクじゃなくてこのメイドと過ごすっていうんですか?? マーシャは全然、乙女心ってヤツをわかってない外道ですね!! ……うう、こうなったら獣姦されてやりますよ。いいんですかマーシャ。かわいいボクが、そそりたった獣の肉棒でボコボコに子宮姦されても!??」


 最後のほうは泣き落としにかかろうかというフランだが、肉欲には正直であるべきだ。分かっていると頷きながらも、ジルはバヤールを降りると、クルトーからラスタを奪うように抱きしめる。


「陛下……!」

「先に行け。お前が大将の首を獲ったその部屋が、今宵の寝所だ」


「は、はい……!!」


 戸惑いから一転した喜色満面。走り出したラスタの背を、ジルは見送ってフランを向く。




「――すまないな」

「そういう同情は侮辱ってもんですが」


「いや……それとは別の話だ」

「……ふむ。やはりマーシャも、ですか」


 俄に神妙な面持ちになるフラン。なるほど女は抱かねばならん、だがそれはそれとしても、ジルには気がかりな事があった。


「確信という訳じゃない。だがパリに近づくにつれ、嫌な予感がな」

「奇遇ですね……ボクもですよ。放った使い魔からの連絡が途絶えています」


 使い魔とは、言ってみれば動く遠視装置だ。事態に介入する能力は無いが、目的地の近辺で何が起こっているか程度は知らせてくれる。


「敵か?」

「いえ、パリは至って平穏そのものです。かつてはフランスに敵意を抱いていた市民たちも、今回ばかりはリッシュモンに門を開くでしょう」


 かつてジャンヌ・ダルクがパリを解放しようとした折は、シャルル七世を蔑み、フランスの統治に不信感を持っていた市民たちが、イングランドに協力して強く抵抗した。それから三年で事態は変わったと見るべきだが、だとしたらどこに脅威があるというのだろう。


「ならば我々に仇をなす存在はあり得ない筈だ。一体どういう……」

「――同業者、かも知れませんね」


 ジルの言葉を遮るようにフランがいう。同業者、すなわちフランと同じ、錬金術師アルシミストとでも言うのだろうか。


「ボクは錬金術師アルシミストを称してはいますが、実際には広義の魔術師です。死霊魔術から降霊術に至るまで、ここ千年の秘術はある程度使いこなせる自負があります。――そしてそれができるのは、必ずしもボク一人だけではないという事です」


 そう告げるフランの瞳には、些かだが怯えが見て取れた。この稀代の錬金術師を、脅かす存在があるとでもいうのか。


「人界の魔術師は、凡そ恐れるに足らないでしょう。ジャンヌを売り渡したボーヴェの司教、ピエール・コーションも幻術の類を用いたといいますが、その手合ならボクの敵ではない。――ですがもし……」


「――もし、なんだ?」

「……ボクと同じ、人外の時を過ごした魔術師が敵になるとすると、少々やっかいかも、知れません」


 フランは顎に指を当てると、考え込むように頷く。


「最も、ボクもそうですが。基本彼ら、或いは彼女たちは、自らが人類史に顔を出す事を望みません。なぜなら人の世は争いにまみれ、首を突っ込んだが最後、ろくな事に見舞われない。既に自身の安全地帯を確立した魔術師たちは、常世と幽世の狭間に結界を敷き、そこで慎ましやかに時を過ごすのが通例でしょう。――本来ならば」


「本来ではない、条理を踏み外す者がいると?」


 ジルの問いに、フランは自身を指差して笑った。


「ボクがソレです。マーシャに過度に肩入れし、人類史への介入を始めた。これをよく思わない連中が、釘を刺しに来るということは、あり得ない話ではない」


 まあ杞憂でしょうがね。とフランは付け加え、ぴょいとクルトーの背に飛び乗る。


「ともあれ、今日のマーシャの選択は間違ってはいませんよ。助かったというべきでしょうか。血を喰らい、術式を敷き、明日に備える事こそがボクの役目ですからね。――性欲を発散させようという夫に、罵詈雑言を浴びせるというのは、妻の本懐ではありませんし」

 

 クスリと悪戯げな笑みを浮かべるフラン。


「――妻?」

「フフフ。言葉のあやというものです。とはいえ、これだけ寝所も秘密も共有しているとなれば、ボクとマーシャは夫婦のようなものでしょう。さ、では可愛いメイドの下に向かって下さい。許すからといって、寂しくない訳ではないのですから」


 言うやフランは、自身が先にクルトーを駆り夜闇に消えた。ジルもジルで思うところの無いではなかったが、衝動を抑えるのも人外に堕ちたる我が身の、必要欠くべからざる日々の務めである。今一度バヤールに飛び乗ったジルは、ラスタの待つ寝所へと跳んだ。

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