19:狼王咆哮

 ――クルトー。またの名をコートード。ただ「切尾」の名を与えられただけの獣は、ここフランスにおいて絶対なる捕食者として恐れられていた。血をそのままに塗りたくったような赤毛に、並の数倍はある巨体。それでいて動作は素早く、鎧を纏う騎士では応じる事すらままならない俊敏さを有する。生身だった頃に殺した人間の数は優に百を超え、世の理を外れた今となっては、最早数えてすらいない。いわば文字通りの「狼王」であった。


 フランがこの狼に出会ったのは、フランスに渡り間もない時宜。冬山を従者の老翁と共に歩いていた折に、突如として襲われた事に端を発する。首筋に牙を立てられ、それでもなお笑みを絶やさぬフランに恐れを為し、クルトーが踵を返した頃には時すでにフランの術中。完膚なきまでに叩きのめされ、動物の掟よろしく軍門に下った後に訪れたのが、狼王としての渡世だった。


 クルトーは今や人語を解する。四足で歩き、遠吠えを撒きながら、そしていっときではあるが、人の姿を借り、人の言葉で話す事すらもできる。――それはいわゆるところの人狼である。残念な事に毛むくじゃらの外貌までは変えられないが、外套さえ纏い、顔さえ隠せば立派に人。事この能力が活用されるに至ったのは、先般ボスニアに潜入し、ラスタ・オルフェに託宣を告げる時だ。敬愛するヤン・ジシュカの復活を希っていた少女はいとも容易くお告げに乗り、遺骸を携え国境を越えてきた。一方でその彼女の後をつけ護衛に専念できたのは、今度は狼に戻る力の所以である。野を駆け山を駆けての行軍ともなれば、人間の身では些かに不便だ。


 ではなぜクルトーが人語を解するに至るかと言えば、それこそがフランの手心である。イタリアに居を構えていた折に手にした、神話の破片。今はなき帝国の、その始祖に佇んだ狼の神の欠片を、フランは道すがら手にしていた。かかる神の名をロムルス。ローマ帝国の礎を築いた叡智で以て、クルトーは人の真似事を為せるまでに変容を遂げたのだった。


 それからの彼の役割は至極単純。広大なヨーロッパを縦横無尽に駆け巡り、フランの求める情報を手にシャントセへ舞い戻る。戦闘能力を有さない使い魔と異なり、状況に応じて戦闘も護衛もこなせるクルトーの立ち位置は、手駒に窮するフランにとっては、言うまでもなく掛け替えの無い存在であった。


 アラスよりリッシュモンを追跡し、フランス軍の針路を具に見守る。そして動向が決し次第、居城に戻りて主に伝え届ける。これがラスタ・オルフェを誘った後の、クルトーに与えられた任務。無事務めを果たしたクルトーは暗闇の中から姿を現し、フランの膝下でのんきにじゃれている。




「とまあ、これが我ら女性陣の足となる狼王、クルトーという事になります」

 

 ざっくりと説明を終えるフランだが、周囲はその仰々しいフレーバーと目の前の和気藹々とした風景に唖然としている。それも仕方がないかとかぶりを振るフランであったが、こうして配下を手懐けるのも主の務めだ。余談ではあるが、この狼王からもきちんと精は摂取している。


「つまりフラン、お前たちはこれ……クルトーで城壁を乗り越え、内側から破壊工作に従事するという訳だな?」


 とは言え、超常には既に慣れたものといったジル。口を開けたままのラスタを他所に、着々と攻城に向けた話は進んでいく。


「その通りです。この巨躯ならばボクとラスタ、か弱くか細い美少女二人程度は楽なものでしょう。さしたる何もなく指揮官を抹殺し、虐殺の幕をレディース・アンド・ジェントルメン」


 そうそう、後は舞台が整うだけなのだとフランは笑う。僅か五名に過ぎぬ我らは、一人が一騎当千の最早化物だ。夜闇に紛れ雑兵を蹂躙してみせるだけなのだから、言ってみれば狐狩りさながらに紳士の嗜みと評して良い。海を渡ってきた蛮族どもに、聖女とやらの呪いを知らしめるには格好の機会だろう。


「なるほど、十分な成果だ。アリス・キテラの運用も含め、女性陣の扱いはフランに任せる。私は急ぎ戻り、ゲクランと剣の稽古に励むとしよう」


 言うや踵を返し、城へと戻りゆくジル。すると残されたのはラスタ・オルフェとフランの二人。ここで待っていましたとばかりにフランは、ジルが居た時とは真逆の悪辣な笑みを浮かべ、じりじりとラスタに近づいていく。




「な、なんでしょうか、ヴォート・グレイル」

 些かの恐れを瞳に湛え、ラスタ・オルフェが慄く。直感ばかりは鋭くなったなとフランは内心で言祝ぎ、されどそれとこれとは別と肩を叩くや、兼ねてから考えていた厳命を申し付ける。


「フフフ……ラスタ・オルフェ。ボクのマーシャに色目を使った罪に対する、それなりの罰がいりますね」


 こじつけも甚だしいが、要するにフランは、その光景を見たいだけである。見て感じて、今宵のジルとの一戦を、より燃え上がるものにする為の余興である。


「ば、罰とは……」

 

 一方、ラスタもラスタで受け入れる覚悟はあるのだといった風にこくこくと頷いている。この強気な外貌とは裏腹に、時折見せる嗜虐心をそそる表情がたまらないと一層の興奮に駆られ、そのままにフランの口は動く。


「マーキングです。ラスタ・オルフェ。このクルトーの番として戦場を駆け抜けるべく、貴女には彼と交わって貰わなければなりません」


 彼のは大きいですよ。馬並みとは行きませんが。寝られるとは思わない事ですよラスタ・オルフェ。さんざん喘いで、クソミソに穢されて下さい。おっと、鎧の事はお気になさらず。すぐに新しいものをご用意致しますので。――放心状態のラスタを他所に、無慈悲に続くのはフランの説明。


「では、ボクは帰ります。クルトー。さあ犯しなさい。今宵の相手はそこの少女です。犬のように喚き、豚のように戦慄く様を、この洞穴中に響かせるのです」


 え、ちょ、ちょっと、と。今更現実に帰るラスタを背に、フランは恍惚の表情を浮かべながらその場を後にした。背後からは悲鳴と、人ならざる者の遠吠えだけが聞こえる。

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