18:使者顕現

 その日、ラスタが眼を覚ましたのは昼過ぎだった。生ぬるい微睡みの中、ひときわ濃い鉄の臭いに揺り起こされたラスタは、傍らで見守る影の存在に気づき目を見開く。


「……陛下?」


 グラスをくゆらせながら、哀しげな面持ちでラスタの髪を撫でるのは、他ならぬジル・ド・レその人だった。唇にはルージュのように赤い血糊が付いていて、ああどうやら飲んでいるのは血のワインだなと、ラスタは回らない頭で思いを馳せる。


「おはよう、ラスタ・オルフェ。よく眠れたかい?」


 よく眠れたも何も、こんなに深く眠りこけた事は今の今まで一度だってない。急速に覚醒する意識に、気恥ずかしさを覚えたラスタは、瞬時に飛び上がると佇まいを直そうと務める。


「へ、陛下!! ――すみません、私のほうが長く眠ってしまって」


 とは言え纏うものと言えば毛布の端きれ。服も下着も破り捨てられた今となっては、その布で以て秘部を、残る腕で以て胸を隠す以外にとりようもない。


「気にする事はないさ。フランから聴いたよ。よく頑張った、――ラスタ・オルフェ。本当にありがとう」


 この紳士が昨夜、あれだけ豹変した吸血鬼なのかと唖然とするラスタは、一方であの激しすぎる情事を思いだすに至り、俄に赤面する。子種を撒こうと盛る思春期の雄ですら、あれだけ幾度もは腰を打ち付けられないだろう。実際にヤッた事はないにせよ、或いは馬だとかとまぐわえば、あんな感じになるのかもなと雑考を巡らせ、流石に破廉恥に過ぎるとラスタは首を振る。


「い、いえ……望んだのは私のほうですので……これからも、どうぞ気が向くようでしたら、わ、私などでよければ、どうぞ、ご随意に……」


 なにはともあれ、フランから託されたマナさえあればどうにかなる。ジシュカの復活に尽力して貰う手前、身体を許すくらいならどうという事はない。……というのは所詮建前で、実際には目覚めてしまった牝がどうしようもなく疼いてしまって仕方がないのだ。


「い……いや……あれは事故だったと思ってくれ、ラスタ・オルフェ。あの責めに耐えられるのはフランぐらいなものだ。だから今後は、その……」

 

 そう吃るジルではあるが、そのくせ股間だけはそそり勃っている。正直じゃないなあと内心で笑みを零しつつ、ラスタはジルの言葉を遮る。


「ですが陛下。陛下のここはもうこんなにも固くなってるじゃありませんか? いいのです、私がそう望むのですから、陛下は……」


 急に愛おしさがこみ上げてきたラスタは、そのまま手を局部に添えて、優しく擦ってやる。呻き声を上げるジルが、ラスタの肩を優しく抱く。


「こ、これは……致し方もない副作用なのだ。ラスタ・オルフェ。人の身から離れれば離れるほど、我が劣情は否応無しには高まっていく。これを私に押しとどめる事は、最早できない」


 それってもしかして、最初から私に欲情してたって事ですかとラスタは問いかけて、喉元で押し戻しながら陰茎にキスをする。それならそうと、早く言ってくれればよかったのに。


「くっ……ラスタ・オルフェ。今はまだいい。だが夜は気をつけるのだ。……特に丸い月が昇ったような夜は……私は恐らく、昨夜のような獣に成り果てる……」

 

 それでも全然、いいですけれどと。これもまた内心で告げながらラスタは、ジルの口元に付いたルージュを指で拭い、自らで舐めながら唇を近づける。鮮やかな鉄の臭いが鼻孔に広がって、不思議と頭がとろんとする。


「どうか怖がらないで下さい、陛下。私は貴方に仕えるただのメイドに過ぎません。どうかモノのように扱い、モノのようにお捨て下さい」


 しかして、そんなラスタの唇がジルの唇と交わった時、けたたましくドアの開く音がして、怒髪天を衝く幼い声が、辺りに響いた。




「そこまでですラスタ・オルフェ!!! そしてジルも! なに鼻の下を伸ばして、もといナニのソレをいきり勃たせて!!!」


 そこには憤懣やるかたないといった表情のフランが、腕を組んで仁王立ちで立っている。寸時に青ざめるラスタの側に、つかつかと歩み寄ったフランは、どこからか取り出した衣装をラスタに叩きつけ、視界を覆ったままに続ける。


「さあラスタ・オルフェ。早速その服に着替えるのです。このフランソワ・プレラーティが監修特注、メイド服型のライトメイルです。一着作るにあたって農民数ダースの命は飛ぶ代物ですが、そこはそこ。お金は全部マーシャの財布からダダ漏れなのでお気になさらず」


 見れば件のミニスカートなメイド服に、銀の胸当てがあしらわれた危うい装備だ。これはともすればジルの欲棒をそそり勃たせ、ラスタを窮地に追い込みかねない部類だろう。


「あ、あの……猊下。相変わらず露出が凄いんですが、これ……」

 

 ぽかんとするラスタの眼前で、聞く耳もたずとばかりにフランはジルのナニを手でしごいている。なんていうかこの人すごいな、訳わかんないやとラスタが開けた口を塞げないでいると、横目でフランが、当然じゃないですかとキスの所為で呂律の回らない言葉で返す。


「っちゅ……あのですよ、ラスタ……っんん。その服は……ほらマーシャがっつかない……いいですか……れろっ……ジルへの罰……ああっ……たいなものです」


 この際だから要約するが、とどのつまり、パンチラみせて戦場で戦い、ジルを煽りに煽って苦しませようとの魂胆があるとかないとか。スカートが短いのは、そんな時に即ズボ出来るようにとの、設計者の粋な計らいがあるのだという。――いやどう考えても要らぬ気遣いだが。


「は、はあ……まあハメられるぶんには、私は一向に構わないのですが……」

 

 相変わらず繰り広げられる淫臭の応酬に、半ばあきらめの様相を呈しつつ答えるラスタ。幾度か汁が飛んできて、それを死んだ目で舐める程度には余裕も出来た頃、狂宴はようやく終わった。




「さ、一汗かきましたし、ラスタ・オルフェ。外へと参りましょうか。少々の説明がありますので」


 そう口元の白濁を舌で舐め取り、いたずらげにフランが微笑む。多分この人には敵わない。そんな確信を抱きながら、ラスタはメイド服を着込み、フランの後をついていく。





「さて、懐かしの対面という事にもなるでしょうが」


 そこは外とは言っても、アンダー・シャントセの地下を通り、隠し通路から抜けた先の洞穴だった。血の臭いに溢れかえった城内とは異なり、ごくごく普通の、ありふれた湿気に包まれた暗闇の奥で、しかして確かに、光る二つの眼光がある。


「えっと、それってどういう……」


 果たして当然ながら戸惑うラスタ。そもがそも、こんな闇の中で相手を判別するほうが至難と言えば至難なのだが。


「貴女は会った事があるでしょう。遠きボヘミアの寒村で。そしてマーシャ。彼こそが此度の我々の足となる狼王――、クルトーです」


 斯くてフランの声に呼応するように、眼光は揺らめいて動き、微かな光の先に歩を進める。浮かび上がったその姿は、紛れも無く一匹の、赤毛の巨大な狼だった。

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