17:戦火淡々

 翌朝、頭を押さえながら起きたジルは、自分の身体からするりと落ちる何かに気づき、視線で追った。斯くてしなだれかかるはラスタ・オルフェの細腕。そして聞こえるのはその少女の、可愛らしい寝息だった。


 恐らくは致して・・・しまったのだろう。はっきりとしない意識の糸を手繰り寄せるジルではあるが、部屋に戻ってきたラスタに一喝され、そのままに押し倒した所までは微かに覚えている。ならばやった事はいつも通り、アレ以外には無い。


 だが不幸中の幸いとでも言うべきか、ラスタの身体には傷一つ残っておらず、それだけがせめてもの救いだった。ラスタを起こさぬよう、細心の注意を払って立ち上がったジルが、部屋を出た所で声が響く。




「おはようございます。ボクのマーシャ」


 見れば艶やかな銀髪をたなびかせ、フラン――、もといフランソワ・プレラーティが佇んでいる。そのあからさまな笑みに嫌な予感のしないでも無いが、昨夜の謝辞も兼ねてジルは返す。


「おはようフラン。昨日はすまなかった。ラスタ・オルフェの件。助かった」


 そうして頭を垂れるジルに向かって、ずんずんと歩いてきたフランは、胸元までしかない背で背伸びをし、顔を近づけて告げる。どうやら不機嫌でこそないが、決して上機嫌という訳でもないらしい。


「無論ですよマーシャ。せいぜい心から感謝するといいのです。あの可哀想なラスタ・オルフェの、傷を治したのも他ならぬボク。愛しいマーシャを侍女に託して、一人寂しく夜を送ったのも、他ならぬこのボクです。もう何をすべきか、ボクのマーシャなら十分にお分かりですね?」


 擦り付けられる胸、舐めずる舌。フランが上の口で何を言わんとしているか、その下半身から察したジルは、分かった分かったと相づちを打ちながら会話の中断を試みる。


「――まあ、分かっているならいいんです。で、それはそれとしてです。マーシャ」


 すると意外にも、自ら話題を打ち切ったフランは、さも本題とばかりに身を離し続けた。


「……放った草からの報せで、近々パリの奪還作戦が行われるそうです」


 草とはすなわち、各地に放ったスパイの事だ。しかしてこの女、一体どこからそんな手駒を用意しているのかと訝しみつつ、ジルは応じた。


「リッシュモン卿からの使者はまだ来ていないが……確かなのか?」


 最も、フランが言うのだから間違いはないのだろう。なにせあのラスタ・オルフェすらも、国境を跨いで連れてきた稀代の魔術師なのだから。


「ええ。まあマーシャが抱いているであろう疑問には後ほどお答えするとして、先ずは円卓に向かいましょうか。オーグル公とアリスが待っています」


 



 フランとジルが連れ立って広間に着くと、そこでは円卓に座る巨躯のゲクランと、珍しくも人前に正装で立つ、アリス・キテラの姿があった。


「お待たせしました、青騎士ブラウ・シュヴァリエの皆さん。遂に時は来たれり、です。お花の都を取り戻しに参りますよ」


 とは言え面子はジルとフランを入れて僅かに四人。ここにラスタが加わっても五人止まりだ。早いところジシュカの復活を試みないと、どうにも頭数が心もとない。


我が主君モン・モナルク、そしてマレシャル・ドゥ・フランス。腕が鳴りますなあ。今度は吾も、先陣を切って戦ってよいのであろう?」


 ガハハと哄笑するゲクランの隣では、その態度も相まって、十分の一程度にすら見まごうサイズの、小柄なアリスが俯いている。


「ア、アリス・キテラ。あたしも今回は戦闘に参加します。パリで調べなければならない事が、あるので」

 確かアリスの目的は、聖杯の行く末を知るとされるテンプル騎士団の長、ジャック・ド・モレーの足跡を辿る事にあるという。なればこその従軍だろうが、彼女の魔女としての戦闘能力は未知数だ。その点については、フランの鞭撻に頼る他はないだろう。


「よろしい。で、あるならば始めましょう。最も作戦などという程、小難しい話ではありません。我々はパリ北部、ボーヴェより進撃を開始し、友軍を先導する形で敵司令部を各個撃破。それを以てリッシュモン卿の血路を開く事を主任務とします。先ずは私と、今は寝ているラスタ・オルフェが敵地に潜入。内側より城門を開いた所で、ゲクランとマーシャは、正面からなだれ込んで下さい。――アリスにはそう、始終の騒ぎが周囲に漏れないよう、結界の構築をお願いしましょう」


 理路整然と語るフランは、軍師さながらに采配を振るう。豪気に頷くゲクランと、目を逸らしながらそわそわするアリス。ボーヴェ。ジャンヌ・ダルクを売り渡した忌々しき司教の座した地より、この度の行軍が始まるというのは些かに皮肉だろう。


「しかしだ、フラン。作戦の内容は概ね把握したが、君やラスタの移動手段はどうするのだ? これ以上バヤールを複製するのは難しいだろう」


 フランが用立てていた、駿馬バヤールのレプリカは二頭。先の襲撃では、片方にジルとフランが乗り、もう片方をゲクランが駆っていた。だが流石に五人ともなると、バヤールだけでは足らないだろう。


「マーシャ、どうかその点はご心配なく。件の草を使います。既に戻ってきていますから、特段の問題はないでしょう」


 そう自信ありげに話すフランに、これ以上は問い詰めても仕方がないかとジルは諦め、円卓に座す面々に視線を移す。この面子なら、一点突破の任務に限り、恐れるものはあり得まい。

 

 それから三日後、晴れてリッシュモンより特使が遣わされる頃には、ジル陣営の準備は万端なものとなっていた。時に1436年春。それはパリ陥落の、わずか一月前の出来事である。

 

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