12:深淵開帳

 ――孤児たちオルフェンズ

 我々が我々を、そう呼び始めたのは何時からだったろうと、ラスタは自問する。多分、それは、我らの父たるヤン・ジシュカが、病に伏せり黒く焦げ死んだ時からだ。分かりきった結論を幾度も自らに突きつけ、気がつけば身体は、ここフランスはシャントセに至っていた。


 父ジシュカは、崇高なる信仰の為に生涯を賭した義者だ。農民を引き連れ、列強の騎士たちを駆逐した英雄だ。だが神は、神は正義を救わなかった。開祖ヤン・フスが火刑に処せられた時も、父ジシュカが剣を取り戦った時も、祈りだけを聞き過ごし天国で胡座をかき、気がつけばジシュカは、黒死病で別人に成り果てて散った。最初に片目を失い、次にもう片方の目も失い、それでもなお前へ進もうとした戦士の、その末期は戦場ですら無い路傍だった。


 許せぬ。ラスタは想う。神が、人が、自分自身が。実の子どころか、異国の民の子だった自分すらも招き入れ、戦士として育ててくれたジシュカが、弱り果て死の狭間を彷徨う間も、手を握る事しかラスタには出来なかった。無力が、非力が、その尽くが、歯ぎしりし尽くしても足りぬ程に、ラスタは憎くて憎くてたまらなかった。


 だからラスタは、悪魔に縋った。他の同志たちが「孤児」を名乗りジシュカの遺志を継ごうとする中、ラスタだけは、ありとあらゆる方法でジシュカの復活を探り続けた。聖書にはあった。救世主の復活が。暴君の非道によって生命絶たれた義者は、神の恩寵によって息を吹き返す。それを神がなさらぬというのなら、悪魔だろうと何だろうと、祈り奉るのが筋だろう。況や、我が祈りを聞き届けてくださる者こそが、教会にとっての悪だろうと、私自身の神に他ならぬとラスタは信じた。


 その中で聞いた一つの名。イタリアの錬金術師アルシミスト、フランソワ・プレラーティ。ある日ラスタの下に現れた黒い影が、フランスで起きた聖女の死と、復活を希う騎士の物語を告げた。ジル・ド・レ。かつてフランス軍を率いた男が、領地に篭り己が悲願を達せんと欲していると。


 かくてラスタは、既に骨と化したジシュカの遺骸と遺品を集め、単身でフランスに渡ってきた。敵地であるドイツを横断し、夜も眠らず最短距離で。離脱を引き止める同志は殺した。なぜなら既に、同志ではないのだから。神がジシュカを救わなかった以上、その神もまたラスタにとっては同罪である。そしてその神を崇め、ジシュカの復活を咎める同志もまた、既に同志では無い敵である。ラスタの理屈は、極めつけに明瞭だった。


 そうして辿り着いたのが、アンダー・シャントせ。まるで自身の到着を予見していたかのように場外で待ち受けるギョロ目の少女に連れられ、ラスタは訝しみながらもやって来た。少女からも、そして地下に踏み入った瞬間からも、そこかしこから感じ取れる血の臭い。染められている禁忌の外法に誤りなしかと確信を抱き、やがてラスタは、フランソワ・プレラーティを名乗る人物を面会を果たす。


「こんにちは、来る事を信じていました。ジシュカの娘さん」

 しかして眼前でぺこりと一礼するのは、自身より一回りは幼く見えるまたも少女。謀られたとか疑義を呈す所ではあったが、その考えはすぐさま変わる。なにせ最も血と精の臭いを纏っている存在こそ、フランソワ・プレラーティを名乗る少女に他ならなかったからだ。


 一国を隔てているにも関わらず、正鵠を得ているフランの言葉に、ラスタは抗う事を止め素直に頷く。父ジシュカの死後、勝利を重ねども窮していくフス派の内情は、もう既に限界に達していた。若者は減り、農地は枯れ、ただ目ばかりが血走っていく死の行軍。最初は信仰によって立ち上がった義勇軍も、今では略奪で食い扶持を凌ぐ、野盗の群れとさして変わりがない。フランはその全てを、まるで見て来でもしたかのようにとくとくと語った。


 そして扉の後で、合図があるまで待つように促され、至ったのがあの局面。フランが主君と仰ぐジル・ド・レ公は、屋敷の絵画とは随分と裏腹な、痩せこけた表情でラスタを出迎えた。




「――孤児たちオルフェンズ……いや、援軍が君一人であるなら、オルフェでも構わないかね?」


 長くウェーブがかった長髪を掻き上げ、ジル・ド・レは言う。名前など何でも構わないと、ラスタは頷きを以て同意とする。


「ならオルフェと呼ぼう。ジシュカの子よ。君の目的は、父であるヤン・ジシュカの復活。それでいいのだね?」


 身にまとう黒鉄の鎧。フランほどでは無いが漂う死臭は、この男もまた外法に身をやつしたものであるとラスタは推し量る。


「はい。その為であれば、この身がどうなろうと構いません。三才で義勇軍に入り、それから今までを戦士として生きています。お役には立てるかと」


 他にも農業や戦地における非常食の調達に至るまで、一端の妻として夫を支えられる程度の訓練は受けている。言葉を使ったり、寝所の相手ともなればお手上げだが、兵卒としてならば足を引っ張らない自負はあった。


「分かった。ならば手を組もう。ここにいる間は、寝食に不自由はさせない。空いた時間は休養だろうと鍛錬だろうと、好きに使えばいい。剣技ならばゲクランが、薬学なら……君を連れてきてくれたアリスが教えてくれる筈だ。その他勉学全般となれば、そこに立つフランとなるが、そいつは性格が悪いからな、気をつけてくれ」


 思いの外とんとん拍子に進む契約。部屋の奥で目を光らせる大男が頷き、背後でアリスと呼ばれた少女がくすくすと笑う。フラン、いやフランソワ・プレラーティだけは頬を膨らませ怒っているが、存外にここは、血溜まりの中にあって和気藹々としているものなのだろうか。少なくとも、死者の葬列めいた故郷の軍隊よりは、言い方はおかしいが、生ぬるい暖かさを感じてしまう。


「はい……ですがこちらは、私は何をすれば良いのでしょう? お出しできるものは、この身体以外にはないので……」


 そうなると萎縮するのは自分自身だ。誘われるようにやってきた所ではあるが、金銭などろくに持ち合わせていない。寝所まで提供して貰えるとなると、果たして兵卒としての役回りだけで事足りるのだろうか。なにせこちらは、人間一人を蘇らせてもらう身分なのだ。


「気にする事はない。君はジシュカの遺骸を提供してくれる、その上我が軍に助力までしてくれるというのだから、それで十分だよ。さしあたっては話をしたい。付いてきてくれるね?」


 ぞっとする程に優しい声。無論のこと断れる筈もなく、ラスタは頷いて後を追う。他の面子に手で合図をするジルに、その場の面子の全てが頭を垂れ、二人は長い回廊を歩いて行く。





 そこだけは雰囲気が違うと言うべきだろう。赤のイメージが強かったアンダー・シャントセにあって、回廊は進むに連れ青めいている。まるでこれから至るのが聖域であるとばかりに、前を歩くジル・ド・レの背中が、強張っていくのをラスタは感じた。


 一言も発さないジルと、やはり無言のままのラスタ。やがて二人の身体は、広い広い水洞に出た。一面の青。そして中央に浮かぶのは、塔の様な巨大な水槽。


「君の願いを聞いた時、私は我が事のように思ったよ」


 そこでやっとジルは呟くと、大仰な手振りで振り向いた。その顔は、先刻までの落ち着きが嘘のように高揚し、ある種の信仰か、狂気じみた色彩を放っていた。


「この水洞の、あの水槽にいるのがジャンヌだ。いや、これからジャンヌになるべく者、とでも言うべきかね。なにせ君のお父上とは違い、かの聖女は跡形もなく焼かれてしまったものだから」


 悲しそうに微笑むジル・ド・レは、そういえば、ヤン・フス氏もそうでしたな、と思い出したように続ける。


「フス氏の事は、フランから聞いたよ。非道いものだ。腐りきった法王庁に比べれば、フス氏の主張は実に真っ当。だが神の意志を代行した筈のフス氏が火刑に処され、悪の権化たるローマ教会は今日も安穏と権力の座に座っている」


 これが神だ。その成れの果てが世界だ。ジル・ド・レは、まるで演説でもするかのように、何かに酔いしれて言葉を紡ぐ。ラスタは黙ったまま見ているしかできない。そして、彼の狂った瞳の中に、在りし日の父を見て熱い滾りを感じるのだ。


「ジャンヌもそうだった。フランスに奇跡を齎し、信仰の元イングランドを放逐した救国のラ・ピュセル。だが神は、王は、たった一人の少女さえ救おうとはしなかった。そして人も、人だった私も!!」


 救えなかった。出来なかった。無力だった。そう自嘲気味に笑みを零し、ジル・ド・レは肩をすくめた。ああ、そうか。この、たった一つの目的の為にひた走る、余りにも純真な狂気。私はそれを知っているなとラスタは頷く。そして頷いて、その光景がこれ以上続かないように静かに祈った。なぜならば、余りにも似ているからだ。ラスタが慕い、愛し続けたヤン・ジシュカの、静かな狂気に……彼のそれは。


「神が彼女を救わぬのなら、人で彼女が救えぬのなら、悪魔よ我に、せめて力を! 私はそう祈り、契約し、魂を売り、今日ここに至るのですよ。ラスタ・オルフェ」


 全てを言い尽くしたのか、虚脱し佇むジル・ド・レに、ラスタもまた感嘆と共に跪く。忘れていた牝が疼くのを堪えながら、万感の忠誠を誓いながら。


「感服いたしました。ジル・ド・レ公。私をかかる大命の為、何なりとお使いください。我が父を蘇らせる代償に、我が身を粉にしてお仕え申し上げる所存です」


 この日、孤児たちオルフェンズの一人、ラスタの使える主は、僅か四半刻にも満たない邂逅の末に決定した。

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