11:孤児来訪

 頷くは易し、といった所だろうか。リッシュモンの要請通り、北部に留まる事も吝かではないジルではあるが、問題はノルマンディーの旨味の無さにあった。遅滞戦闘に留める以上、実戦テストや食料・・の調達にも影響が出る上、バヤールの心臓にせよテンプル騎士団の秘密にせよ、重要な情報は全てパリに集中している。


 要するに足りないのは、ジルとフランが不在の間、ブルゴーニュ派に睨みを効かせられる片腕の存在という訳だが……いずれにせよ、領主としての職責も果たさねばならず、青騎士ブレゥ・シュヴァリエの面々は一路、本来の居城たるシャントセに舞い戻っていた。




「――で、兵員の補充は可能なのか?」


 取りも直さず、地下の一室で相まみえるのはジルとフラン。表向きの仕事もそうだが、ジャンヌの練成にせよ兵員の補充にせよ、既に魔窟と化したアンダー・シャントセ以外では出来ない現状がもどかしい。他に適した居城でも、確保できれば別なのだが。


「可能、と言いますか。最上級に可愛らしい錬金術師アルシミストのボクとしては、とっくの昔から用立てていた、という事ですね」


 しかしていつもどおり可愛げのないフランは、黙っていれば可愛らしい外貌を全く無為にする口調で返す。片目を隠す銀髪をさりげなく手でかきあげながら、用意していたという兵員について紹介が続く。


「――ヤン・ジシュカ。時にマーシャは、東方の政情はご存知で?」


 唇に指を当てて悪戯げに微笑むフランだが、当然の如く、ヤンなどという名を知る由もないジルである。こうなっては無闇に張り合うのは止めにして、早々に白旗を上げるしかない。


「知らないな。その者の名も。いかなる武勲を成した人物であるかも」


 そもそも東方という言葉だけで何が分かるというのか。仮に十字軍だとすれば、もっと聞き慣れた家名であって良い筈だ。となれば或いは、蛮族に与する輩か。


「ふむ。ふむふむ。でしたら可憐な魔術師メイジノワールたるこのボクが教えて差し上げましょう。大好きなマーシャの為ですから、一肌も二肌も――、脱いだり脱がなかったりしちゃいながら」


 ちっ、今更処女でもあるまいしと冷めた目で見つめるジルだが、まあ悪態を除けば可愛らしいのは認めよう。認めるから早いところ掻い摘んで話せと、次には肉棒を突っ込む覚悟も辞さずにジルは立ち上がる。


「おっと、欲情したのは分かっちゃいましたけど、ちょっと我慢ですよマーシャ。はいはい。どうどう」


 ジルの視界からひらりと跳んだフランは、書架の上に腰を落とすと口早に続けた。そうだ、最初からそうしていればいいのだとジルは内心で独りごちる。振り上げた拳、もといいきり立った逸物は挿入先を見失ったが、それはそれで置いておこう。




「――今から15年前の出来事です。遥か東方で起きた異端者の火刑。これを切欠に信徒が武器を取り一斉蜂起しました。法王庁によって断ぜられた司祭の名を、ヤン・フス。そして信徒を率いた指導者の名が、ヤン・ジシュカです」


 フラン曰く、神聖ローマ帝国皇帝、ジギスムントの放った十字軍すらも壊滅せしめる程の策略家。それがヤン・ジシュカだという。欧州で初めて銃を用い、西洋の騎馬軍団を手玉に取る様は、或いはイングランドによって見せつけられた昔日の悪夢を、逆の立場から見せつけられているようでもあった。


「そのジシュカが他界したのが、9年前。モラヴィアへの遠征中、黒死病に罹ったのが原因です。――とまあここまで説明すれば、賢明なるマーシャならばお分かり頂けるかと思いますが」


 なるほど。そこまで聞けば俄然興味の湧く手合ではある。国力においてはフランスを凌駕する神聖ローマ帝国をもってして、心の奥底から畏れを抱かせる武装集団。その頭目が戦力として加わってくれるのなら鬼に金棒だ。


「となると――、方策としてはゲクランの時と同じか」


 死霊魔術ネクロマンシーだったか。死者の肉体と魂を結びつける禁忌。一世紀前の英雄にそれが出来たのだから、十年前の戦士なら容易い事だろうとジルは踏む。


「ええ。ただ今回の場合、少々事情が異なるのは、生身の人間も加わってきているという事でしょうか」


 ふふふと笑うフラン。どういう事だと肩をすくめるジルに、論より証拠ですねとドアを叩く。




「――入っても構いませんよ。ボクのマーシャが待っています」

 

 するとギイと開く木製のドア。いや、人の気配はしなかった筈だがと訝しむジルの眼前に現れたのは、褐色の肌の、一人の少女だった。


「お初にお目にかかります、ジル・ド・レ公。我々はヤン・ジシュカ亡きあと地下に潜り、尊父の意志を継ぐべく戦い続けている者であります」


 小柄で細身ではあるが、鍛え抜かれた靭やかな肉体。黒い外套から覗く健脚のそこかしこに生傷が見て取れる様子から、一廉の戦士として戦場を駆けてきたのだとジルには分かった。そして人外なる者たちを前に、物怖じすらしない姿勢。あるいはジャンヌに通ずるものもあるかとふと思い、ジルは沸き立つ律動を収めにかかる。


「ふむ……ジシュカに縁ある者か。名はなんという?」

 気配の消し方からして、騎士の手合ではない。すると下手をすれば名前そのものすら無い可能性を想定しつつ、それでもとジルは問う。


「失礼致しました。私の名はラスタ。しかし我々は、尊父の死以来、自らを孤児と呼び戦線に参じております。――ですからそう、この国の言葉で、このようにお呼び頂ければ」


 そう言うとラスタは、濁った灼眼に決意を宿しながら、息を呑んで続けた。


「――ただ一言、孤児たちオルフェンズと。」


 それが東方からの使者。ラスタとジルの、出会いだった。

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