09:平穏虚構
斯くてジルら
夏から続くアラスの会談は、僅か二千戸の家屋に対し、イングランドにフランス各地、それからローマからの死者も加わり、述べ五千人を超える人間が往来していた。その為アラスはちょっとしたお祭り騒ぎで、特に趨勢が読めてからの緩みは顕著だった。なにせ英国軍の主戦派の頭目が急死したというのだ。最後の最後まで同盟の解消を渋っていたブルゴーニュ派も、最早譲歩せざるを得ない所まで追い詰められていた。
「貴君らの働き、見事であった。ジョン・オブ・ランカスター護国卿の死、確かに」
街を見下ろす大聖堂の鐘楼。ジルの眼前で頷くのは、アルテュール・ド・リッシュモン。現フランス軍元帥として儀を取り持つ彼にとっての、最大の障害はイギリス軍司令官、ジョン護国卿の存在だった。しかしその喉元の骨が取り除かれた事で、フランス側の優位は動かしようがないものになりつつあるという。
「既に報せとなっていますか。ならば僥倖です。で、和睦の首尾はいかほどで?」
憑き物の取れたような顔で返すジルの、目下最大の関心事は百年戦争の推移。すなわちジャンヌ生誕に足るだけの平穏を、取り戻し得るか否か、その一点である。ジョン護国卿の排除も、その目的の為の手段に過ぎない。
「これ以上ない成果で終わるだろう。主戦派の急先鋒たる護国卿が逝った今、ブルゴーニュ派がイングランドと手を結ぶ価値は無い。――いや正確には、交易面で幾つかの問題が浮かび上がるだろうが、連中にそれを気づかれる前には、ゴリ押しで解決が図れる筈だ」
確かにリッシュモンの言う通り、なにもブルゴーニュ派は、理念だけでイングランドに与している訳ではない。海岸線に居を据えるブルゴーニュ派にとって、イングランドは格好の貿易相手でもあるのだ。
「風はこちら側にありと言う事ですな。実に結構。となると次は」
視線を南に移すジルに、ああとリッシュモンは相槌を打つ。イングランドとブルゴーニュ、すなわちフランスを二分してきた公領との関係が絶たれる以上、後門の狼が頭を垂れる以上。進むべき道はただ一つだった。
「パリだ。パリを落とす」
パリ。フランスの首都でありながら、イングランドに奪われ続けていた花の都。これの奪還こそが、仏領から英軍の須らくを追い出す端緒になるに相違ない。
「やはりそう来ますか。なれば我々を上手く用立てて頂ければ。敵将でも敵兵団でも、夜闇の只中において剣の錆にしてご覧に入れましょう」
恭しく頭を垂れるジルの、伏せた顔には爛々と火が灯っていて、命令さえ下れば何人の命を刈り取る事にすら躊躇ない覚悟を匂わせていた。
「ああ。だがその前に、少々雑用を頼む事になるかもしれない」
だが以外なのは、リッシュモンの含みある物言い。これにジルは反応する。
「――といいますと」
兵士の教導ならば、これまで通りフランに任せればいいと脳裏に巡らせつつも、返ってきたのは予想外の返事だった。
「ブルゴーニュに留まって貰う可能性があるという事だ。これからイングランドでは、同盟を解消したブルゴーニュへの報復が行われるだろう。となるとブルゴーニュ派は、さらなる報復として領内のイングランド軍に攻撃を仕掛ける。だがそこで、ブルゴーニュ派に勝たれるのは困るのだ」
リッシュモンは、悩ましげに顎をいじっている。精神的な重圧からか、禿頭は一層に進行し、頭頂に毛は殆ど見当たらない。
「なるほど。ブルゴーニュ派の弱体もご所望であられると」
要するにあらましはこうだ。フランスがブルゴーニュ派と取り付けたのは、飽くまでも休戦協定。これからもイングランド軍と剣を交えるフランス軍の背後で、必要以上にブルゴーニュ派が力を蓄える流れを、リッシュモンは善しとしないのだろう。
「その通りだ、ラヴァル公。頼めるだろうか」
柄にもなく頭を下げるリッシュモンに、二言無くジルは快諾する。
「閣下がそう仰るのなら、喜んで。私の願いはただ一つ。百年の戦乱の後に花開く、一世紀の平和だけなのですから」
そうして笑顔と共に握手を交わした二人は、連れ立って鐘楼を降りていく。余りに長く続いた無為な戦争の、終焉はほど近いように思われた。
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