08:怨讐凱歌

 フランはその光景を、さながら傍観者のように見つめていた。既に刈り取りは終わり、城の前の広場はイングランド騎士たちの死骸で赤く染まっている。証拠を消す為にバヤールとゲクランがそれらを喰らう最中、フランは護国卿を斬り去っていくジルの背中を、細大漏らさず眼で追っていた。


 血が滴り、最早なびく事も無い長髪。やせ細った頬に、煌めく眼光。ああ復讐に燃える男とは斯くも美しいかと溜息をつき、ついに我慢できなくなったフランは、目でを追うのをやめ、塀から降りて走り出す。


 結果は良好。赫奕たる戦果と言っていい。夜襲とは言え、僅か三騎で都市を蹂躙。殲滅とは行かぬまでも、敵方の指揮系統は完全に制圧した。ルーアンでこれならば、パリとても成し得るだろう。これから手駒も増やす腹積もりだったが、思いのほか揚々たる滑り出しに、フランは内心の愉悦を隠せずにいた。




「流石ですねマーシャ! 成る程ボクの見込んだ男です!」


 かくて背後からジルに抱きつくフランだったが、ちらと投げかけられた一瞥に一瞬だが身じろぎしてしまう。


「……」


 平素は元より、まぐわいの時とて、少なくとも声は上げてくれるジル。その慣れない無言にどう応ずるべきか勘案するフランを、あたかも無いものかのように通り過ぎジルは往く。


「ちょ、待ってくださいよマーシャ!!」


 廊下、城門、市街、その何れにおいてもただ一点を見つめ突き進むジルを、仕方なくフランは追いかける他できない。自らで狩ったとは言え、屍山血河の築かれた街は血生臭く、それでいて恐ろしく静かだ。黒鉄の鎧を身に着けた二つの影だけが、一定の距離を置いて歩き続けている。


 一体何があったのか。一考を巡らすも思い当たらず、或いは初の戦争、それもジャンヌの仇を目の前にした事で、心身に何かしらの影響が及んだのかとも推し量る。しかして怪我も無ければ、前後不覚になるほど暴走を来している訳でもない。ならば行き着く所まで後をつけ、それでも駄目ならば強硬手段だとフランが考えを改めて所、でしかしてジルは不意に止まった。




「――私は」


 場所は広場。察するに処刑台だろうか。不安と鬱屈が渦巻く治世にあって、処刑とは民衆の娯楽でもある。こうして予め設えられた絞首台に罪人は集められ、あの手この手で死を迎えるのだ。――最もかの聖女サマに限っては、遺体すらも残さぬようにと、ご丁寧にも火を焼べられたという訳だが。……ともあれジルは、そんな曰く付きの場で立ち止まり、口を開いたのだ。


「あの日……この場所で彼女を見殺しにした。観衆が歓声を上げ、兵士たちが剣を構える中……震えながら何も出来ずに」


 それは告解のようにも思えた。いや、ジルはいつだって、フランを犯し終えたあと罪を告げ、幼子のように許しを請うていた。いくらフランが宥めたとて、撫でたとて、抱きしめたとて、それでは足りぬのだとばかりに縮こまって。


「怖かった。死ぬ事が……殺される事が……痛い事が。私の何倍も苦痛を味わい……辛酸を嘗め……陵辱に耐え忍び、これからさらなる地獄の責め苦に晒される少女が、眼の前に居るというのに。私は私の身の上ばかりを案じ……たった一振りの剣すらも振るえなかった」


 誰に言うでもなく、処刑台の前に跪くジル。その姿は、つい先刻まで人を切り、鬼神の如く突き進んでいた化物とは思えないほど、小さくか細く、弱々しく見えた。


「もしあの時、この力があれば……この覚悟があれば、少なくとも君一人ぐらいは助け出せのかも知れない。――いいや出来たろう。狩ったのだ。君を吊るし殺した連中の一人を。ジョン・オブ・ランカスターを。出来ない訳がない。出来る。そして、やらなければならない」


 思い詰めたように自らに言い聞かせ、ジルはすっと立ち上がる。その眼には、ほんの数秒前には無かった生気が、爛々と灯っている。


「我が盟友ジャンヌ・ダルク……今度こそはここに誓おう。君が次に瞼を開いた時、そこに輝かしい人生が待ち受ける事を。君に死を齎した一切と合切に死の報いを与え、千年の平穏の王国の上に、君の新たなる生を紡ぐと。――私を許せとは言わない。呪い蔑み、殺してさえくれていい。だが、どうか君は、君自身を祝福してくれ。私はただ、それだけを希う」


 そこまで言い終えたジルは、何かに吹っ切れたように深く息を吸うと、フランを向き直って告げた。その様は、普段のフランが知る、外向けのジルだった。




「待たせたフラン。前衛を預かってくれてありがとう。おかげで護国卿を屠る事ができた」

 

 先刻までの仏頂面が嘘のように柔和な笑みを湛えるジルに戸惑いながらも、フランは抱擁をそのままに受ける。


「いえ、まあ露払いも従者たるボクの仕事ですからね。マーシャも初陣にしてはよくやりました。調子は悪くありませんか?」


 咄嗟にしては随分といいセリフ回しだとフランは納得しつつ、ジルの次の言葉を待つ。


「問題はない。仮にあったとしても、それは今吹っ切れた所だ。戻ろうフラン。北東へ、アラスへ、かの和議の地へ」


 全ては終わったのだと耳元で囁くジルに、フランはそうですねと応じながら瞼を閉じた。今夜はきっと燃え盛るだろうなと、漠たる期待を滲ませながら。

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