15:駿馬赫奕

 ジルを先導し歩くフランは、暫し笑顔を振りまいた後、下唇を噛み締めた。今回はそんな気も無く、あんな事があった後だから、もしかしたら褒めてもらえるかもと思って鎧を着たのだ。――ただそれだけの想いで無邪気に躍り出たのに、あろうことか呼ばれたのはあのクソ聖女の名。悔しいだとかそれ以前に呆然として、周回遅れで湧き上がった怒りに拳を震わせながら、その気配を気取られまいとフランは進む。


 ――ジャンヌ、ジャンヌ、ジャンヌ、ジャンヌ。どこまで行っても付いて回る忌まわしい名。自分の銀髪に合うようにと設えた白銀の胸当てだが、次からは漆黒に塗り固めよう。夜伽の折なら大いに結構。激戦の後でもまあ許そう。だが平時の、日常のさなかでアレと間違われるのは度し難い。だからフランは気分を切り替える為に新しい装いを頭に浮かべ、たった今おきた不遇を記憶の片隅に送ろうと躍起になった。


 だが収穫の無い訳でもない。恐らく背後で逸物をいきり立たせるジルは、どうやら甲冑姿のボーイッシュな少女とやらがお好みらしい。疑いそのものは随分と燻っていたが、これで確信に変わったと思えば成果は上々。これから夜まぐわう度に、この格好で現れるなら効果はてきめん。況や禁断の果実に手を出す楽園の愚者のように、涎を散らし貪り喰うことだろう。


 そう思うと興奮もひとしおだ。既に鎧の奥から愛液が滴りおち、フランの下着はドロドロに濡れている。せっかくだからご褒美をあげても良い所ではあるが、しかして侮辱は侮辱である。フランはジルの欲情を知った上で、全ては夜にお預けだと舌なめずりをした。




 やがて二人は城外へ出、城の隅にある厩舎きゅうしゃへと辿り着く。流石に白昼堂々と巨躯のゲクランを連れ出す訳にも行かず、ここに居るのはフランとジルの両名のみである。


「さてさてマーシャ。これがボクたちの足となる駿馬、バヤール・ド・レグラジュです!」


 股ぐらを掻き回したくなる衝動を抑えながら、フランは用意した馬の名を告げる。――バヤール。赤毛をなびかせる巨大な馬は、フランスの伝承に刻まれるれっきとした名馬だ。武勲詩からおとぎ話に至るまで、貴族の子息ともなれば、何処かでは耳にした名に違いない。


「バヤール……シャルルマーニュ伝説の……?」


 事実、ジルも名前だけは覚えていると顎を弄り頷く。もっとも伝承そのものが氾濫し過ぎた為に、扱いがまばらになってしまったのが明確に思い出せない所以でもあろう。


「はい。正確には二百年前に発表された武勲詩、『エイモン公の四人の子ら』に登場する、ルノー・ド・モンドーバンに与えられた名馬です。魔法の力を持ち、兄弟四人を同時に運べるほどに巨大で、且つ俊足の持ち主であったと聞きます」


 最も自分で用意したのだから覚えていて当然だが、フランは概要を掻い摘んで説明する。一応補足をすれば、シャルルマーニュとは初代神聖ローマ皇帝。即ち大帝としてヨーロッパを統一し、フランスの基礎を作った英雄と思ってもらえればいい。

 

「バヤールがシャルルマーニュ伝説と結び付けられているのは、その結末の所以でしょう。欧州の政治的統一を果たしたシャルルマーニュに、反旗を翻したルノーの代償――、その供物として捧げられたのが、彼の持ち馬であったバヤールです。かくてルノーを十字軍に差し向けたシャルルマーニュは、その間にバヤールを石に括り付け、セーヌの川底に沈めようと画策しますが……」


 問題はその先だろう。溺死したとする話もあれば、石を砕き自ら足で逃げ出したという話もある。――まあ、半分は嘘で、もう半分は本当といった所なのだが。


「――で、結局、どうなったのだ?」


 やはりと言うべきか、ジルはジルで痺れを切らし問いかけてくる。この辺りは至極どうでもいい部分ではあるので、フランはさっさと切り上げる事にする。


「結論から言えばですよ、マーシャ。バヤールは魔力と引き換えに窮地を脱しました。魔力の核となる部分は、石と共にセーヌの川底に沈んでいます。そして生き延びたバヤールの本体は――」


 ここで目の前の馬を指差したフランは、レグラジュの由来について触れた、


「紆余曲折を経てここに在ります。調整版レグラージュというのは、そういう事です。この馬は本調子では無い。バヤールに近づけるべく改造された、精巧なレプリカと思って下さい」


 バヤールの血統を引く馬に、人造で魔力を賜与した代物がこれ。本家本元とは行かないまでも、それでも其処らの馬では太刀打ちできない俊敏と頑健を兼ね備えている。


「つまり乗れはする、という訳だな?」


 猜疑の眼差しを向けるジルに、論より証拠とフランは恭しく一礼する。片やバヤールもバヤールで、眼前の男が主に相応しいか否か、見定めているようにも見える。


「――アマデス・ド・ゴーラ」


 そして準備が整ったと判断したフランは、バヤールの耳元で呪文を囁く。本来であればエイモンの血筋でしか御する事の出来ないバヤールの制約を、限定的にだが書き換える手法。これで少なくとも当座の間は、バヤールはジルを主として敬い、効果の切れる三ヶ月の間に手懐けられれば、晴れてジルの持ち馬となる寸法だった。


 俄に頭を垂れるバヤールの殊勝を訝しむジルではあったが、どのみち乗りこなさねば明日は無いのである。覚悟を決めたように頷くと、ジルは鐙を蹴って馬上に飛び乗った。バヤールは嘶きこそしなかったが、後ろ足の一蹴りで石壁を打ち崩すと、無言のままの圧力をジルに与えた。


「――今は乗せてやる。せいぜいお手並み拝見と行こう。そうバヤールは言っていますよ。マーシャ」


 冗談交じりに通訳を買って出たフランに、ジルは面白くなさそうな視線を向ける。だがすぐに正面を見据えると、分かったとだけ手短に返してきた。くすくすと笑うフランは、まあ及第点だったって事です。おめでとうございますと破顔して、今日これからの日程を密やかに告げた。


「という訳ですからマーシャ。一狩り行きますよ。我らが領内に足を踏み入れた、粗野な盗賊の群れを狩りに」


 先日マーキングだけは済ませてあると胸を張るフランに、バヤールを御しながら答えるジル。


「それがバヤールから課せられた試練という訳か。まったく怪我人に無茶をさせる」


 縫合されたばかりの腹に手を当てて苦笑を零すジルに、肩をすくめて微笑むフラン。


「――分かってるさ。ジャンヌは首に矢が刺さっても立ち上がったんだ。この私が切創程度で遅れを取る訳がない。行こう。その不届き者を狩りに」


 ああここでもジャンヌかと、フランが内心で苦虫を噛み潰すのを他所に、かくて狩りの火蓋は切って落とされた。

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