14:武人回想

 アルテュール・ド・リッシュモン。その名をジルは、苦虫を噛み潰すように思い出していた。――あの果敢なる武人。頑迷な義人。それでいて聡明なる戦神との、ただ一度の邂逅かいこうを。


 1429年6月、フランス中部パテー。オルレアンの解放に湧くフランス軍は、ロワール川流域に撤退したイングランド軍の掃討作戦に乗り出した。ジャルジョー、モン=シュル=ロワール、ボージャンシーと続けざまに勝利を重ねる騎士たちの気勢は凄まじく、ジャンヌの振る旗の下、電光石火の進撃が続いていた。――かくて11日にオルレアンを発った部隊は、翌日にはジャルジョーを占領。司令官であるサフォーク侯を人質に取り、勝ち鬨を上げるに至る。


 ここで一報を聞き動いたのが、当時宮廷から追放されていたアルテュール・ド・リッシュモンその人だった。アルテュール三世にしてパルトネー卿、さらにトゥレーヌ、モンフォール、イヴリー伯号を併せ持つ大元帥閣下は、周囲から漏れ聞こえる声望の高さにも関わらず、直属の上司たるシャルル七世との折り合いの悪さから、国難が去っては謹慎を命じられるという曲折を繰り返していた。


 而して甥でもあるアランソン公が出陣した事もあり、彼は手勢の二千を率いパテーに参陣。歓呼の声と共に剣を掲げ、森に立て籠もるイングランド軍を壊滅に追いやったのだった。




 戦争とは糾える縄の如く、幾重もの意志が複雑に絡み合うものだ。優秀であれば成果を残せるかと言えばそうではなく、却って秀でているがゆえに疎まれる事もある。勝利の女神であったにも関わらず火刑に処せられたジャンヌ然り、またアルテュール・ド・リッシュモンもその手合だろうと、ジルは推し量る。


 多くの重臣が自らの私腹を肥やす為に牛歩戦術すら厭わない中で、リッシュモンだけは、常に国益に適う行動を取り続けた。だからゆえにこそ、シャルル七世からは嫌疑の目を向けられ、周囲の腹心からは、籠絡できない堅物と忌避されたのだ。


 ではジルはどうだったのか? 顧みれば、当時リッシュモンと敵対していたシャルルの侍従、ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユの親族だった事もあり、合流するリッシュモンとは折り合いが悪かったのは事実である。


 だが、果たしてそれだけが理由であったろうか。自問するに、答えはとうに知れていた。ジャンヌの指揮下に入りながらも、実質上の指揮官はリッシュモン。そしてジャンヌもまたそれを善しとし、彼の指揮を喜々として受け入れた。


 自分には決して見せる事の無かった、リッシュモンに向けられるジャンヌの視線。ただ盟友でも、騎士でもない、尊崇そんすうに満ちた視線。ジルには、ジルにはそれが、耐えられなかった。




 ――ああ、嫉妬だ。

 つまるところ醜くも浅ましい嫉妬こそが、ジルがリッシュモンに抱いた感情の全てである。理性で幾ら優秀であると断じようとも、アレが、リッシュモンがジャンヌの側に立つ度に覚える言い様の無い敗北感は、拭いようもなく確かなものだった。


 だからジャンヌがリッシュモンを引き留めようとした時、ジルは宮廷からの命令を盾に首を横に振ったのだ。仕方がないのだと自分に言い聞かせ、去っていく恋敵の背中を、胸をなでおろし見送ったのだ。


 ――だが、若し、或いはとも思う。

 あのままリッシュモンが陣営に留まってくれたのなら、ジャンヌの悲劇は起こり得なかったのでは、とも。

 

 ジャンヌは剣だ。純粋な一振りの、真っ直ぐな剣だ。傭兵同士の馴れ合いや、騎士同士の下らない挟持にかまける事なくひた走り、積み重なった屍の先に勝利を告げる女神だ。それこそが捲土重来の端緒であり、彼女の首を括る荒縄でもあったのだ。


 若しあの場に、リッシュモンという鞘があったのなら。ジャンヌを説き伏せ、導く事が出来る船頭が居たのなら。虜囚も磔刑も、火炙りも何もかもが無かったのではないだろうか?


 ジャンヌ奪還の作戦が奏功しない中、敢えて封じていた禁断の問い。その果てに待ち受けるのが自身の単なる矮小であると知らしめられるのが怖くて、ジルはリッシュモンの名、それ自体を記憶の底に屠っていた。だが、今、フランが言うように、フランスを率いる誰かに頭を垂れるというのであれば。


 ――彼以外には、あり得ない。

 もはや下らない己のプライドに、かまける余地などありはしない。もう二度と、あの喪失を繰り返す訳には行かないのだ。悪魔に魂を売った今、仇敵に跪く事の何が恥だろう。況や、リッシュモンはジルの事を歯牙にかけてすらいない。単にこちらが一方的に、妬み嫉みを積み重ねていただけなのだから。




 そう頷き、ジルはゆっくりと立ち上がる。昼食後に馬のお披露目があると、フランから聞いていたからだ。自らが小物である事は先般承知の上だが、フランにまで失望される訳にはいかない。せめて求められる戦果と褒美を出し、ジャンヌ復活への謝意だけは過分に示さなければ。


 だがジルが歩こうとした時、部屋の入り口で揺らめいた影が、ガチャリと音を立てる。白銀の鎧、小柄な背、懐かしい匂い。ジルはありえないとは思いつつも、その名を口に出していた。


「――ジャンヌ!!」


 駆け寄って抱きしめる。匂いを嗅ぐ、陽だまりに鉄錆が混じった懐かしい匂い。抱きしめれば折れてしまいそうな細腕に、にも関わらずにじみ出る膂力。その全てを愛おしみながら、ジルは目一杯の謝罪を告げる。


「すまなかった……私があの時、リッシュモンを引き止めていれば……」


 而して、そう告げて顔を上げたジルを見下ろしていたのは、見慣れた少女の、戸惑うような冷たい眼差しだった。


「――どうしましたかマーシャ? ボクですよ……ここに居るのは」


 少し淋しげに笑うフランは、着込んだ鎧をジルに見せると、すぐにいつもの口調に戻っていた。


「どうですかこれ? せっかく駿馬をご披露しますからね。ボクも張り切って鎧なんかを着ちゃった訳ですけど」


 気の所為だったかと思い直すジルは、相変わらず気恥ずかしい所を見せてしまったと襟を正し、姿勢を戻す。


「フランか……すまない。取り乱していた。――そうだな、似合っている」


 不覚にもこの装いを目にした時、可愛いと感じてしまった自身を欺くように、ジルは応じる。鎧を着た、あるいは少年じみた少女。それに対して否応なく抱いてしまう、どす黒い欲望。


「そうですか! ま、ボクはかわいいですから、当然なにを着ても似合いますけどね」


 破顔するフランに導かれるように歩くジルは、自らの鎧の下で屹立する逸物を眼下に、いよいよもって私も畜生かと、自嘲気味な笑みを浮かべる他なかった。

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