16:野盗撃滅

 駆ける、駆ける、駆ける。

 屍を踏みしだき、血しぶきを散らす男共の、返り血を浴びながらジルは進む。さながら風の如く、怒涛どとうの如く、嵐の如く、駿馬しゅんめバヤールを駆り。


 ――嗚呼、こんなにも脆いものか。

 ジルは雑兵ぞうひょうの余りの呆気なさに拍子抜けしながら、また一つ力無き者の首をねた。相手は野盗の群れ三十余名。対するジルはただ一人、孤高の騎士は馬上にて黒鉄くろがねの鎧を纏い、赤く染まった長剣を振るっている。


 野盗、と言えばいかにもゴロツキの集団に聞こえようが、要は兵士か傭兵崩れの成れの果てだ。戦争で食い扶持を凌ぐ連中のやり口と言えば、イングランドもフランスもそう大差は無い。現地調達、とどのつまりは弱者からの簒奪さんだつに依る物資補給。だからこいつらは、ほんの少しでも天秤が傾けば、何処いずこかの陣営に属し殺し戦う手合なのだ。況やそのいっぱしであろう戦士の端くれを相手に、よもやこれほどまでに手応えが無いとは。先刻ゲクランとの手合わせで感じた緊張感は微塵も漂わせないまま、ジルは眼前に飛んできた矢を、今度は素手で受け止めてみた。


「ひいッ……化物ッ!!」


 狼狽うろた怯懦きょうだする弓兵が、後ずさりし尻もちをつく。ごくごく一般的なその恐慌は、ジルとても分からぬではない。たった一人の騎士を取り囲むように布陣した、圧倒的有利に立つ筈の友軍が、僅か数分もせずに物言わぬ屍に変わるというのだから、傍目には信じ難い光景だろう。そんな弓兵に引導いんどうを渡すように迫るジルは、試しに兜ごと握りしめてみる。瞬時うれたトマトのようにあっけなく爆ぜたソレは、既に自らの腕力が、人間の比では無い事を示してはばからない。




「ど……どうして……こんな……」


 そして残されたのは、頭目と思しき男が一人。分かりやすく股間を濡らし呆然とする男の前に佇んで影を落とし、ジルは冷然と見下ろす。――浅黒い肌に無精髭、小汚い身なりからするに、その日暮らしの積み重ねで今日まで生きてきたのだろう。たった一人とは言え、鎧を着た騎士に挑もうという暗愚あんぐがその証左しょうさだ。


 確かに鎧とは高価なものだ。身体の機能を損なわず、機動性に優れ、取り回しの容易な甲冑は、財力のある貴族が職人に頼み作らせるオートクチュール。さらに従者や乗る馬までをも鑑みれば、ただ一人の騎士を成り立たせる為にかかる費用は、ここに散った有象無象うぞうむぞうの百人分には相当する。


 だからそんな馬と鎧を得られたのなら、野盗どもの生活が潤うのは間違いない。着込んで善し、売って善し。しかして所詮は一点ものである。体型が合わなければ意味は無く、せいぜいあと一歩で騎士になれるという家士ミニステリアーレが、なけなしの銭を叩いてくれるといった程度の話だ。


 ならソレほどまでに財力のある貴族騎士なら、捕虜にでもして金銭をくすねてはどうか――、なるほどその着想も一理はある。だが捕虜同士の交換とは、あくまでも対等以上の力を持つ国同士であればこそ成り立つもの。一介の野盗では交渉相手も分からぬまま、下手をすれば討伐隊を派遣される程のお尋ね者になるのがオチだろう。


 ゆえに、今日こうしてジルに挑んできた野盗の群れは、脳みそも力もまるで足らない愚物の寄せ集めなのだと断じていい。この期に及んで命乞いをする男の言葉を、一つも覚えぬままジルは剣を下ろし、そうして辺りには静寂が戻った。




*          *




「流石ですね、マーシャ」


 バヤールから降り、戦場に佇むジルの背後から、ふらりと現れ出たフランが言う。草原には風がそよぎ、ジルの長髪を棚引かせている。


「フランか……実に呆気ないものだった」


 ジルは瞳に失望を讃えながら、にこにこ微笑むフランを見やる。白金の胸当てを付けた彼女は、沈んでいく夕日の中、妙に眩しく見えた。


「嬉しくないのですか? これだけの人間を相手に、たった一人で無傷で立ち回れたのに?」


 怪訝そうに歩み寄るフランの目には、疑問の色が浮かび上がっている。だがジルはジルで、その失望を当然だとばかりに言葉を返す。


「いや……嬉しくない訳ではない。素晴らしいと思う。その点については、君のおかげだ、フラン」


 ジルは淋しげに口元に笑みを浮かべると、覗き込んできたフランをひしと抱きしめる。そこには万感が篭もると同時に、ゆえに湧き上がる悔恨が滲み出ていた。


「えへへ……じゃあもうちょっと嬉しそうにすればいいじゃないですか、ボクのマーシャ」


 頬を染めてジタバタとするフランから離れると、ジルは沈みゆく夕日に視線を移し、誰に言うでもなく独りごちた。


「児戯にも等しい退屈な戦場で、私はふと思ってしまったんだ、フラン……もしあの日、あの場所でこの力があったのなら……私はジャンヌを助け出せたのでは、とね」


 畏れは無い。恐怖も無い。前線で旗を掲げるジャンヌのように、今の自分には後退はあり得ない。圧倒的な彼我の戦力差は、かくまでもジルに勇気めいた何かを与えていた。だがならばこそ、頭を過る「もしも《イフ》」からは逃れようが無かったのだ。――フランに向き直ったジルは、斯くて憂愁に満ち口を開く。


「――お前ともっと早く、出逢えていれば良かったよ」

 その目には薄っすらと涙が浮かんでいる事実を、ジルは隠す事すら出来なかった。

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