11:聖杯展望

 頬に触れる人肌の温もりがなくなっている事に気づき、フランは薄っすらと瞼を開ける。案の定そこにジルの姿は無く、代わりにかけられている毛布と、天蓋てんがいから差す光が暖を齎しているのだと得心した。


 ジャンヌ一辺倒のあの狂信者フリークスにもそれなりの優しさがあったのだと思うと俄に嬉しくなり、フランは毛布を頭巾のように頭に被り、顔を隠し破顔した。いつもは腹ただしい日向の匂いもこの時ばかりは心地よく、これから為す一連の作業にも、特段の気合の入るというのも自明だった。


 医務室を出たフランは、ジルの背中を追うよりも先に調合室へ向かった。そこには人の血がワイン蔵のように貯蔵してあり、オーグル戦で失血したジルの治療にあたっては、先ず以て必要とされる素材だったからだ。




 ドアを開けたフランを待ち受けるのは、むせ返る鉄の臭い……そしてその赤い景色の中央に立つのは、長大なのこぎりを構える、裸体にエプロンを纏った少女だった。


「おはようございます、アリス」


 そう微笑むフランの視線の先で、ギョロリと四白眼を向けながら、アリスと呼ばれた少女は答える。


「おはよう、フラン……血、要るの……?」


 猫背がちにぼそぼそと呟くアリスは、気だるそうに背伸びをすると、返事も待たずに、さりとて用意していたとばかりに瓶を数本卓上に置く。


「そうです。ボクのマーシャが無茶の無謀ヤンチャを仕出かしましたので。その治療に使います」


 告げつつジルにかけて貰った毛布を、マントのようにはためかせるフランは、これでは血の臭いがついてしまうし、医務室で畳んでくれば良かったと幾分かの後悔を滲ませる。


「そう……魔力を込めて精製してある……ただの血よりはマシな筈……」


 呆れたとでも言いたげに首を振るアリスは、身の丈もフランとさして変わりが無かったが、その外貌とは裏腹に、中身は齢の百を超える老婆であった。




*          *




 ――アリス・キテラ。

 つまりはこの少女もまた、フランが呼び込んだ新しいスタッフの一人という訳だ。1324年にアイルランドで初めて魔女裁判にかけられた彼女は、自らの召使メイドを生贄に差し出すと、自分はさっさとイングランドに亡命を果たした。――と、そこまでは良かった。良かったのだが、代わりに死んでしまった召使の怨念とやらが、不幸と言うべきか、或いは因果応報と呼ぶべきか――、アリスに呪詛の類を齎したらしい。従僕にも魔術の素養を与えた事が、在りし日のアリスにとっては命取りとして働いたのだ……最もこうして生きている以上は、実際に命を取られた訳ではないのだが、


 かつては富豪の間を渡り歩き、行く先々で財を成した稀代の魔女も、今では歩くにはびっこを引く、幽鬼ゆうきめいた醜い少女に成り下がってしまった。そんな現状を善しとしないアリスが、わらにも縋る思いで伝承を頼り、遠路はるばるフランスへと渡ってきた事が、フランとの出会いを齎す切欠となった。


 自らに科せられた呪いを解くべく、聖杯なる奇跡を求めるアリス。その探索への協力と引き換えに寝所と、それから呪いの進行を留める為の措置を施しているのが、他ならぬフランソワ・プレラーティ。こうして築かれた奇妙な同盟関係アライアンスはそれなりに良好に機能し、よわい定かならぬ魔女と錬金術師は、シャントセの地下で肩を並べ実験に勤しんでいる。 




*          *




「聞いた……オーグル公を、マーシャが倒したって」

「当然です。なにせボクのマーシャですから」


 元々丸い目をさらに丸くして呟くアリスに、さも当然と胸を張るフラン。カップになみなみと注がれた血を飲み干し、その口元は肌の白と対比するように赤い。


「これなら聖杯……取れるかな」

「無論です。なにせボクのマーシャですから」


 聖杯とは、取りも直さず「救世主の血」を注がれた聖遺物を指す。キリストを葬ったアリマタヤのヨセフにより持ち出され、ヨーロッパ各地を転々とし何処いずこかに隠されたとされるソレは、英国ではアーサー王伝説として語り継がれた。アリスも当初はその軌跡を辿り、かくて奇跡に至ろうと腐心ふしんしたらしい。


 だが半世紀を掛けてなお確たる結果は得られず、煩悶とするアリスに齎されたのが、1314年に処刑されたジャック・ド・モレー。――すなわちテンプル騎士団総長の逸話だ。キリスト教の一派であるカタリ派の首魁が、聖杯の所在を知っていたというのである。


「呪い……解けるなら……協力……惜しまない」

「ふふ……任せて下さい。ボクのかわいいアリス」


 言いながら歩み寄るフランは、アリスの唇を奪い血を流し込む。かくて小さな呻き声を上げたアリスは、手にしていた鋸を落とすと、錬金術師の愛撫に身を委ねた。


「これからボクたちは、フランスを奪還します。先ずはルーアン。そして何れはパリ。パリにはジャックの命を断ったシテの島があります。あなたはそこで十分に調査をするといい。そしてフランスに平穏が訪れたのなら、伝承に記された地、その須らくに向かえばいい」


 まるでアリスの敏感な所は全て知り尽くしていると言わんばかりに、フランの手は、アリスの素肌に纏ったエプロンの隙間から滑り込んで、彼女の乳首と秘部を弄り回す。


「んっ……信じてる……フラン……」


 荒い息を吐くアリスの耳たぶを軽く噛みながら、フランはそっと耳元で囁く。


「大丈夫ですアリス。あなたがボクのマーシャの為に在る限り、ボクはあなたの為に在り続けますから」


 自らを醜いと信じるアリス・キテラ。事実その外貌は美しいとは言いがたかったが、生への執心に賛意を示したフランは、アリスの事をそれなりに愛おしく思っていた。


「いいの……? あたし……お化けみたいなのに」


 色素が抜けきった艶の無いブロンド。あとひと押しで骸骨にでもなりそうな痩せこけた肌。或いはそれは、歪な形に改造された小動物を、人が愛でる所作にも似ていたかもしれない。


「ちゅっ……気にしないで下さい。そしてボクのマーシャに手を出さない限りにおいて、あなたはもう少し自信を持ってもいい筈です。――見て下さい。このコリコリしたピンク色の乳首。巷の乙女でも、これほどまでに綺麗なものは持ち合わせていないでしょう。幾千の肢体を目に焼き付けてきたボクが美しいというのだから、アリスは黙って喘いでいればいいのです」


 そのフランの一言が合図だったのか、盛大に潮を吹き果てたアリスは、丸椅子に座り力なく肩で息をしている。既に鮮血で染まったエプロンに、赤一色の部屋。景色の中に浮かび上がる二つの白は、異様でもあると同時に甘美で、ある種芸術的にすらも思える。


「イッちゃった……召使メイドとしてた時より……全然気持ちいい」

 

 ここで今日初めての笑みを零すアリス。フランはこの、絶頂の後にようやっと訪れる少女らしいアリスの顔が、ことのほか好きだった。抱きしめて守ってもやりたいし、苦痛と快楽でぐじゃぐじゃに歪めたくもなる。


「フフ……それでいいのです、アリス・キテラ。お姉さん・・・・の言うことは聞くものですよ。これからも逢う度に気持ちいいコト、沢山しましょうね」


 かくて息の尽きかけたアリスに覆いかぶさるフランは、この情交はまだ終わらぬのだとばかりに二人の姿を毛布で隠す。くぐもった嬌声が布越しに響き、床をさらなる潮水がひたひたに浸すまで、齢定かならぬ少女のまぐわいは続いたのだった。

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