09:歓喜溢流
――刹那、フランは駆け出す足を
それは一つの歓喜。予定調和の盤面を覆したジルへの率直な賛辞と、湧き上がる
――嗚呼なんて素晴らしいのだろう、とフランは思う。いや、讃えずには居られない。自分がけしかけた
サン・ドニの聖堂から奪ったベルトラン・デュ・ゲクランの遺体に、サン・ソヴールから取り寄せた心臓の断片。百年戦争の英雄を
これが人の想いの力か。――忌まわしきはその対象があのジャンヌである点だろうが、口元まで出掛かった嫉妬を辛うじて押さえ込み、フランはせめて、今だけはジルの望むジャンヌ足らんと声を発する。
「よくやりました、ジル。あなたなら、きっともっと強くなれる。わたしが保証します……だから今はゆっくりとおやすみなさい。――誰よりも愛おしい、わたしだけのジル」
ただし、ここで言う「愛しい」という感情は本心だった。むしろそのゆえに、そのためだけに準備した舞台でもある。百年戦争の英雄を使役してみせ、その膂力の前に打ち負かされるのなら、ジルは必ずやフランの才を今一度自覚し、さらには自らの強化の為、一層の依存を深めるだろう。そうなればジルはフランに
「ジャン……ヌ……だが……いくら君が私を許しても……私は……」
だが結果は真逆。ジルはジャンヌへの想いを糧にオーグルを切り伏せ、今や夢の中で空想の聖女と戯れている。つまりは少なくともフランは、またも亡霊相手の恋の戦に、確固たる敗北を喫した訳だった。
「許します……わたしは貴方を許します。だから……だからわたしを見て下さい……せめてわたしを、貴方の側にいる、このわたしを」
今度はフランは、悲しみのゆえに溢れ出てきた涙を抑えられないまま、ジルを強く抱きしめて震える。――勝てないのだ。それどころか天秤にすら掛けられていないのだ……フランとジャンヌは。
そうしてフランは改めて気付かされる。如何ともし難く自身が抱く、ジルという男への強い思慕に。そして冷たくなっていくジルの体温に慌てたように取り乱し、自らの手首に刃を当てると、切り裂いて血を滴らせた。口元に落ちるソレを、ジルは待ちわびたかのようにゴクゴクと飲み干す。
「水を……どうか恐れないで。この世界にたったひとり、貴方が取り残されたとしても、わたしの身体は、わたしの心は……ボクは……ボクだけは、必ずや貴方だけの為に、きっと在りますから」
それは或いは、自らに言い聞かせるような絞り出す声だった。血肉の飛び散る昏い地下室に、フランのすすり泣く声だけが響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます