08:猟鬼決闘

「ヒィッ……こ、こんな化物ッ!!」

「に、逃げろッ……!! ゔェッ!?」


 陽の光すら差さぬ地下の底。ジルの眼前で繰り広げられるそれは、闘争ですらない一方的な虐殺。決闘に勝てば見逃してやるとの餌に釣られ名を挙げた虜囚の騎士たちは、さながら蛇に睨まれた蛙のように身動きも取れず、屠殺場の豚のように殴殺され、弾けた苫東トマトのように脳漿をぶちまけた。


「イングランドの尖兵よ、忌まわしき黒太子の従僕よ。未だなお畏れ無く我が祖国を蹂躙するか……ならばその赤き服の如く血を撒いて散れ。多勢に無勢。卑怯とは云わぬ。されど慈悲を与えるほど、われは寛容にあらじ」


 抑揚の無い声で死の宣告を振りまき、巨漢の騎士はフレイルを振るう。冷徹な鉄塊は血を浴びて熱を帯び、その熱がさらなる命を求め荒れ狂う。かくて地下の一角が赤く染まるまで過分の時間は要さず、悲鳴と骨の砕ける音の後には、血を吸うソールレットの響きだけが、規則正しくリズムを刻むだけだった。




「……貴公が我が主君モナルクの主、マレシャル・ドゥ・フランスか」


 かくてジルとの間に立つ全ての障害を排除し終えた鬼神オーグルは、やはり抑揚よくようなくそう告げた。


「如何にも。我が名はジル・ド・レ。――お初にお目にかかる。ベルトラン・デュ・ゲクラン公。貴殿の武勲は、幼少より伝え聞いている。こうして相まみえられた事を、心から嬉しく想う」

 

 口上に口上で返したジルは、しかして状況は不利と一瞬で悟っていた。決闘にあたり、フランから幾ばくかの説明は受けている。曰く相手は、百年戦争の英雄、ベルトラン・デュ・ゲクランを黄泉よみ帰らせた不死のつわもの。制御の都合上、知性だけは生前より劣るものの、代わりに膂力は優に数倍。並の兵士では束になってすら敵わないであろうというのが、ご丁寧にも絶望的な概況の全てだった。


「ふむ……既にこちら側・・・・に足を踏み入れている様にお見受けはするが、而してまだ殆どは人間だ。抗し得るのかね。――その身で、その力で、この吾に」


 鼻息を立てつつも、至極冷静に彼我の戦力を見極めるゲクラン。成るほど騎士の矜持を持ちながら、智将として采配を揮ったブロセリアンド・オーグル。ただの力馬鹿ではない所が憎たらしい。


「大いに結構。こちらも引けぬ事情がありますゆえ。相手が鬼であろうと神であろうと、偉大なる先哲であろうと――、刃を向けこれを両断するまでの事」


 精一杯の虚勢を張りながら、ジルはジルで剣を構える。なお狂犬を差し向けた張本人ことフランは何をしているかというと、高みの見物よろしく段上からこちらを見下ろし笑みを浮かべている。――まったく、日頃の酷使こくしの腹いせか、或いは愛慕の裏返しかなどと慮る余裕する無く、ジルはベルトランの発する闘気に身体を震わせる。


「ならば! 我が主君モナルクの主命により、マレシャル・ドゥ・フランス! いざ尋常に刃を交えようぞ!!!!」


 声だけで城を震わす程の怒声を上げ、ベルトランは剣ならぬフレイルを高く掲げる。単一の対象のみを切り刻む刀剣と異なり、複数を一斉に相手取るフレイルは、柄の先端に鎖で繋がった鉄球が、遠心力で回転し周囲を破壊する。一介の戦士には扱う事すら出来ないであろう巨大なソレを、しかしてベルトランは軽々と振り回しながらジルとの距離を詰めてくる。


「随分と物騒なお力ですな! 我が城が崩れてしまう!」


 冷や汗を垂らし、後方へ飛びながら言い放つジル。しかしてその表情からは余裕は消え失せていて、況や相手のみならず、恐怖それ自体との闘争が内心でせめぎあっていたのだった。




*          *




 顧みればかつてのジルは、自身を勇猛なる騎士だと信じきっていた。剣を抜けば退く事を知らず、前線に踊り出れば赫奕たる戦果を示す祖国の英雄。だがそんな慢心は、あの日たった一人の少女をすら救えなかった事実を前にあっけなく瓦解する。


 所詮のところ、ジルは真の恐れを知らなかっただけなのだ。領主の息子として甘やかされ育ち、敗北を知らぬまま戦場に降り立っただけの愚昧な令息。それが奇跡に導かれるまま武勲を重ね、自らの勇士だと勘違いしたのが運の尽きだった。


 眼前で旗を振るう聖女――ジャンヌ・ダルクの鼓舞こぶ無しには、雛鳥ほどの勇気も持てない哀れな男。時すでに遅く、あの少女を喪って初めて、ジルは自らの惰弱だじゃくに気づき慄いた。


 ――進めよと呼ぶ声がする。

 ――立てよと叫ぶ声がする。


 思えばジルが奮い立つ言葉の全ては、彼女の口から響いていた。円卓で、戦場で、寝所で、月下で、霧中で、降り注ぐ矢の雨の中で、ありとあらゆる場所で。ジルは――、ジルはジャンヌの側に戦友として剣を携える時だけに、自らの魂に神が宿るのを感じていた。


 レ・トゥレルの戦いの折、ジャンヌの首に刺さった一本の矢。男とて涙をのみ、名誉の退場を余儀なくされるその場面で、あろうことか旗を杖に彼女は立ち上がり、もう一度掲げ気勢を上げたのだ。 


 どよめく戦場。僅かばかりの手勢の中、明らかに劣勢であったにも関わらず漏れ起こる歓声。その瞬間、確かにジルたちは見たのだ。彼女の頭上に光る天輪を。彼女の背後に差す光を。戦旗の先にある、祖国の未来を。


 それを狂気と呼ぶ者もあろう。常軌を逸していると……或いは冷静に見ればそうかも知れない。だがそもそも、世界そのものが正気ではあり得ないと仮定するなれば、十分に得心もいく。


 須らく神の恩寵から見放され、下らない領土争いに百年を賭し興じ合う惨状。騎士が前線で命を張る背後では、政治家どもが小汚い策を弄し足を引っ張り合い、英雄ですら一夜にして反逆者に仕立て上げられる伏魔殿。分かたれた国内はさらなる諸派に入り乱れ、騎士の誇りなど地に堕ちた蛮行が、日々昼となく夜となく、繰り返される陰惨たる戦況が、連綿と続いていた。


 そんな唾棄だきすべき茶番をたった一人で切り開いた少女――、ジャンヌ・ダルクの秘蹟は、ゆえにジルには神聖に思えた。そして神聖であればこそ、自らもまた命を捧げ得ると理解するに至ったのである。




*          *




 ――にも関わらず。気づけなかった、暗愚。そのジャンヌが眼の前から消えるまで、描かれる黄金の未来を疑いもしなかった自身の楽観を、呪いながらジルは剣を振るう。剣閃が火花を散らし、痩躯の騎士と巨漢の鬼神が、互いに一歩として譲らずに剣戟けんげきを交わしている。


「その細腕で、よくも凌げる! マレシャル・ドゥ・フランス!」

「私はッ!!! 終わる訳には行かないのですよ! たとえ貴方が相手であっても!!! ブロセリアンド・オーグルッ!!」


 そう、終わる訳にはいかない。全てをジャンヌに頼り切り、自らは決して奮い立つ事の出来なかった忌むべき過去。今度は、今度こそはその結末を書き換えねばならない。あの少女が、ジャンヌが眼を覚ました時、ただ祈るだけの自分であってはならない。


「だが貴殿が保っても、その剣はどうかな!?」

「ぐッ!!」


 ジルそのものを討ち果たせないと踏んだゲクランは、獲物に集中し狙いを定める。割れて爆ぜ飛んだジルの黒剣は、煉瓦の隙間に刺さると音を立てた。


「言い残すことはあるかね、マレシャル・ドゥ・フランス? 生憎とモン・モナルクからは、全力で果たし合うようにと言付かっている。恨むなら己の無力か、我が主君モナルクの主命にこそ憎悪を向けて欲しい。吾が手向けられるのは、せいぜいが苦しまずに逝ねる、絶命の一太刀だけだ」


 ゆっくりと距離をつめるゲクランに、追い詰められながらジルは後ずさる。そして後ずさりながら打開の策に思いを巡らす。こんな時、ジャンヌならどうしたろう。自らが傷つく事すらいとわずに、先陣を切って駆け抜けたろうか。――ああそうだろう。投石機カタパルトから石が飛んで来ようと、やぐらから矢が飛んで来ようと、あの少女は恐れすら見せずに前へ進んだ。一途に神への信仰を口ずさみ、敗北の可能性など疑いもせずに、前へ前へ前へ進んだ。


 だが、今のジルに神はいない。あれだけ己を愛した少女を、無残にも切って捨てた神は、ジルにとって憎むべく対象以外では、もはやあり得ない。ゆえにその神に、声高に反旗を翻す。たとえ悪魔に魂を売ってでも、あの少女の物語に幸せな結末を齎すその為に、自分はまだ、倒れる訳には行かない。


 飛んでくる鉄球をスローモーションで捉えたジルは、まるで自身の姿を聖女に重ねるが如く気勢で、避けもせず前に跳んだ。


「ぬうッ!?」


 意表を突かれたであろうゲクランが、而して読み通りとばかりに腰の鞘から剣を抜く。


「追い詰められた鼠は、最後の最後で牙を剥く! だがその勇猛なる浅慮せんりょこそが命取りだ! マレシャル・ドゥ・フランス!」

「んぐッ!!」


 だが果たしてオーグルの剣は、目論見通りにジルを仕留めきれない。折れた柄で辛うじて両断を避けたジルは、オーグルの剣を脇腹にめり込ませながらも前へ進む。


「捉えた……鬼神オーグル公。貴公の片腕、貰い受けるッ!!!」


 剣を抜きもう一度薙ごうとするオーグルの遠心力を利用し、ジルは剣の上をひた走る。その左手には、先刻息絶えたイングランド兵の剣が握られていた。


「くっ……マレシャル・ドゥ・フランスッ!!!!」


 腕の腱に剣をつきたて、反撃の力を奪ったジルは、そのままオーグルの顔面まで駆けきると、その片目に柄ごとの一撃を見舞った。


「私は終われぬのですよオーグル公!!!! たった一人の少女の為に! あの少女が報われる為にッ!!! ただそれだけの為に、我が全てを賭けて尚ッ!!!!」


 振り落とされ薄れ行く意識の中で、ジルは戦旗を掲げるジャンヌの笑顔を、僅かばかりだが思い出していた。そしてもしかすると、少女が駆け寄ってくる幻影をすら、見えるような気がして、自嘲気味に嗤った。

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