05:純然狂気

 ――フランソワ・プレラーティ。人外のことわりに身を置く稀代の錬金術師アルシミストが、現在の主人たるジル・ド・レに惹かれたのには、或る理由がある。


 そもがそも。錬金術師アルシミストとは日の下で煙たがられ、月下にこそ欲される存在。外法たる禁忌きんき顕現けんげんの為、耳目じもく外聞がいぶん一顧いっこだにしない生き様は、表社会から爪弾つまはじき者にされるには十分な資格と言えよう。


 しかして如何なる研究にも資金は付き物である。材料の調達から実験の為の人員。さらにはそれらを成す為の広大な施設。これらを一介の研究者が手に入れる事は到底できえず――、ゆえにここで、パトロンなるスポンサーが必要悪として浮かび上がってくる。


 かくて標的となるのは、暇と財を持て余し、神々の遊びに興じようとする遍く権力者。不死に無窮むきゅう、美貌に強精きょうせい。或いは失われし者の黄泉還り。――巷では気の触れし者には刃物と言うが、まったく金持ちには余暇よかである。彼らは俗世の成功を味わい尽くした結果、やがては狂人とさして変わらぬ境地に至る。そして彼らの欲する無理難題に答え得るのは、取りも直さず狂人の先駆者たる錬金術師な訳である。


 最も市井に連なる錬金術師の殆どは、嘘と妄言をそれらしい理屈で塗り固め、ただただ金の無心の為に権力者に取り入るだけの存在に過ぎない。そして放蕩のすえ自分の首が危うくなると、主君を捨ててさっさと逃げ出す。――フランはかくなる似非えせ錬金術師アルシミストとは全く非なる力を有している自負はあったが、さりとて無能な主君の為に赫奕かくやくたる戦果を示す義務感も持ち合わせていない。だからフランスで元帥閣下モン・マレシャルが乱心めされたと聞いた時にも、いつも通りふんだくれるだけふんだくってトンズラしよう。その程度の腹積もりで参じた程度であった。




*          *




 だが予想に反し、シャントセの居城。眼前に立つ痩躯そうくの騎士の返答はフランの興味を惹いた。――人体錬成、いわゆるホムンクルスに代表される人の創生。それそのものは、聞き飽きる程あり触れた欲望だった。掛け替えのない愛しき者を、冥府から引きずり出してでも蘇らせたい。もう一度抱き合って愛し合いたい。フランはこんな下らない与太話を、もう何度聞かされた事かと眉をひそめた。しかしてジル・ド・レは、その始まりにも終わりにも、ジャンヌと二人で愛し合いたいなどとは、ついぞ一言ものたまわなかった。


「――ではどうするおつもりなのです? ジャンヌを蘇らせたとして、閣下は一体?」


 この時、フランはまだジルをマーシャとは呼んでいなかったが、かかる疑問は当然とも言えた。甚大じんだいなる犠牲と遠大なる時間を払い、それでやっと為し得るのが禁忌のすいたる人体錬成だ。当然人は、人として然るべく欲望を叶える権利を声高に叫ぶだろう。抱き合い、慰めあい、かつてあった日々の再生を希うだろう。だがジルは、救国の英雄たるこの男は――、それを軽く一蹴してみせたのだ。


「幸せに生きて貰う。無辜むこな羊飼いとして生まれ、狭い村で慎ましやかに暮らし、やがて然るべく人と結ばれ、家庭を築き、安らかに老い、眠るように死んでいく……私がジャンヌに望むものは、それだけだ。――私はその幸せを守るだけの、見えない剣で在れれば、それで善い」


 ジルが淡々と語るジャンヌの物語には、術式の行使者である本人の姿がどこにもない。流石にあり得ないと身を乗り出すフランを、さも理解できないといった風にジルが見下ろす。


「考えても見たまえ。これだけ血に塗れた男の手を、借りたという事実を彼女は望むだろうか? ――いや百歩譲って、彼女に呪われるだけなら善しとしよう。だが、彼女が彼女の命を呪う事だけは、絶対にあってはならない」


 喝采に足る狂気だと、この時フランは感じた。そして感激した。このような思考を持ち得る、清らかな狂人が未だ在ったのだと。人を救うという狂気。たった一人の人を愛し、その為に自らも、そして国家すらも投げ打つ狂気。そして救われた命の傍らに、自らを置こうとしない狂気。


 余りに素敵な純愛だと言祝ことほいだフランの、既に死んだ筈の心臓が、高く高く高鳴る。――これ以外にあり得ない・・・・・・・・・・。我が主はあってはならない。もはや激烈なる恋にすら似た感情で、だからフランは、ジル・ド・レの配下として計画に加わる事を望んだのだ。


 


*          *




 ――それが、それが今や。

 助手どころか、夜伽よとぎの相手すらも務めている。この哀れな騎士が愛おしくて仕方なくて、どんな欲望ねがいごとだって叶えてあげたくなる。


 隣で寝息を立てるジルを横目に、言い知れぬ情欲に身をたぎらせながら、フランは思う。


 ジャンヌという女が憎い。この男の寵愛ちょうあいを一身に受け、愛され続ける女が憎い。だが非遇ひぐうにも、あの女を愛するこの男だから、自分が惹かれている現実がある。


 ――まったく両価感情アンビバレンツだと、フランは自身をあざ笑う。ジルは、こんなにもボクが愛する男は、一度だってボクの名を呼んでくれた事がない。ベッドの上で、夜の静寂しじまを切り裂いて響くのは、いつだってあの忌まわしい聖女の名。ボクは所詮、あの女の代替品に過ぎないのだと惨めを通り越し、やがては可笑おかしくすらなってくる。


 ――ああ、だけれど好き、好き、好き、愛してる、ボクのマーシャ。

 そう内心で何度もつぶやき、たくましい胸板を沿わせるように舌で舐める。今日も幾人の血を飲んだジルの身体は赤く脈打っていて、それは未だに屹立したままの、塔の如き男根が証左を示す。


 ――この人を最強の化物にしたい。聖女を蘇らせたあと、ボク以外に寄り添う者の無い身体にしたい。一生涯、ボク以外の女と、まぐわえ無い獣に仕立て上げたい。


 ムクムクと湧き上がる欲望が、ジュクジュクと下半身を濡らし、とてもじゃないが堪えきれないと感じたフランは、ゆっくりと立ち上がると、夜の街へ歩を踏み出した。獲物を狩ろう。もっともっと餌を持ってこよう。神にすら抗う魔王を産もう。――そう灼眼に野望だけを湛えながら。

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