【表】マグレの代価




「え……」



 目の前に突き付けられた拳に嫌でも現実を理解させられた少女は言葉を失う。


 負けるはずなどなかった。

 正確に言えば負ける可能性が少女に思い浮かばなかったといったほうが正しい。


 少女は知らぬことだが、目の前で息を切らしながら拳を突き出している青年は今や尻に敷かれ始めている少女達を救出した際や、一か月前の大規模テロでの死線をくぐった果てに本人すら驚くほどに強くなっているのだ。


 いくら次の動きを知っていようともそれに即座に合わせることができなければ意味はない。

 彼が積み重ねてきた無茶は気づかぬ内に少しずつだが、確かに力となっている。


 こうして全力を出してはいないとはいえ、格上であるはずの少女との模擬戦で勝利を収めるほどに。




「……負けました」



 胸中に複雑な想いを抱きながらも素直に敗北を認める。

 反省点は山ほどある。故に胸の内を表に出すことはなかった。


 こうして素直に事実を受け入れることができるのも天才と呼ばれる所以なのかもしれない。

 そして声とともに拳を下げて仰向けに倒れた青年が天を仰いで大きく叫んだ。



「無理! もう魔力ねぇ!!」



 割と本気の声である。

 実際彼に残された魔力は僅かであった。

 切り札である天秤を使えば話は別であろうが、元々の魔力はそこまで高くないのだ。



「すごいですね。驚きましたよ」



「実際初見殺しの反則みたいなもんだしあまり褒められてもバツが悪いんだけど」



 青年の言うことは間違いではない。

 最後の攻防で少女に競り勝つことができたのは動きを知っているというアドバンテージがあったからこそ。

 次戦ったら高確率で青年が負けることになるだろう。


 だが、少女がそれを知らないと思いついた青年は少し言葉を止めた後嬉しそうに口にする。




「まぁ、素直に喜んでおくわ。ありがとう」




 少女からすれば複雑な想いを抱く結果だが、青年からすれば格上である相手に模擬戦。

 しかもほぼ初見殺しのマグレとはいえ勝利を収めることができたのだ。


 普段見ることのできない笑顔を疲れた顔に浮かべる。

 こうして突発的に行われた庭先の模擬戦は幕を下ろした。






                    ◆






「葵は頑張った。だから、私のシュークリームをあげる」



 模擬戦後、二人で苦労しながら簡易結界の解除やら庭掃除追われた末に、遅れた夕食を採り終えた午後八時過ぎ。

 慌ただしかった時間が終わり人心地着いていると模擬戦のご褒美をくれると雫が口にする。



「震えた声で、しかもシュークリームを抱きながら言われても嬉しくないわ」



 大好きなデザートをくれると言うのだから雫の本気度がわかる。

 だが、前述した通り内心あげたくないというのが丸わかりだ。

 これで貰おう物なら俺が悪者になっちまう。



「あっ……」



 試しに手を伸ばして抱かれたシュークリームを頂いてみる。

 あげると口にしている通り抵抗はなかったが、なんというか物凄く悲しいのを堪えている表情が目に映った。

 


「気持ちだけ受け取っておくよ」




 この顔を前にしてシュークリームを口にするなんて自分にはできない。

 溜息と共に心なしか潤んでいる瞳を見なかったことにして雫にシュークリームを返す。




「にしても驚きましたよ葵。勝てる要素なんてほとんどなかったはずなんですけどね」



「次やったら間違いなく負けるぞ。実際マグレみたいなものなんだから」



 分担していた夕食の片づけから戻ってきた縁の言葉に素直に応えることにする。

 もう少しおにーさんを信じてほしいと思わなくもないが、実際勝てる要素がなかったのもまた事実だ。

 ここで強がっても俺の実力を知っている彼女達には通じることはないだろう。



「そうですね。勝ったとはいっても満身創痍でしたし。どっちが勝者か試合を見てなかったらわからないしょう」



「そこまでいうかなぁ!?」




 否定しようがない事実。

 模擬戦は異能も封印した状態であり、彼女の代名詞たる【風椿】は使用していない。

 加えて隠したということもあり油断に付け入る形で初見殺しをしたようなものだ。


 だが、一応自分はなんとか勝ったのだからそこは認めてほしいと思う。

 男の子の意地に懸けて口にすることはしないが……。



「また模擬戦することにもなったようですし」



「かこつけて手取り足取りイケない授業……。私も混ぜて」



 あの後、簡易結界の除去作業中に琴音に頼まれて後日模擬戦を行うことになった。

 何を期待しての提案かはわからないが、今回の結果が当たり前ではないと口にしても変わることがなかったこともあり、自分としても得るものが多いので了承することにしたのだ。




「雫、ハウス。シュークリーム取り上げるぞ」



「ユウ。乗っけて」




 仕方ないなぁと言った様子でテレビの前で横になっていたヘタレが大きくなり、それに跨ってゆっくりと自室に向かう雫を見送る。

 だんだん自分で歩いている姿を見ることがなくなっている気がする。


 流石に完全騎乗形態とか言い始めて降りなくなったらおにーさん怒るぞ。




「では自称おにーさんにお知らせです」



「こら、自称じゃない。紛れもなくおにーさんだ」




 いつの間にかソファーに座りながらお茶を啜っている縁。

 着物ならまだしもゴスロリ銀髪で湯呑ってなんかミスマッチな気がする。

 いやまぁ紅茶より緑茶が好きなのは知ってはいるんだが。




「割と落ち込んでいましたよ」



「……」



 誰がとは言わない。

 そんなことわかりきっているから。

 確かにこんな落ちこぼれに全力ではないとはいえ負けるのは色々思うことがあるだろう。

 だが、俺の視点からすれば考えるような仕草は見受けられたがそこまで落ち込んでいるようには映っていなかったぞ。



「だから彼女ができないんですよ」



 それとこれとは関係がないだろ。



「この調子だと未来も絶望的ですね。どうですか? ここに手頃で尽くすのがいますよ」




 十八歳以下はNGだと言っているだろ。

 しかし縁が確信をもって言っているのだ。

 間違いはないだろう。




「俺にどうしろっていうんだよ」



「はぁ……。とりあえず話したらどうですか?」



 話すって何をだよ。

 勝者が敗者にかけられる言葉ってのは意外と少ないんだぞ。

 自分が逆の立場ならほとんどの言葉は惨めな気持ちになるものがほとんどだ。



「いいからいきなさい。また拘束して襲いますよ?」



「わーかったよ。いくよ」




 なんとなくどちらが年上かわからなくなってしまうやり取りを終え、また貞操の危機に遇いたい訳ではないので素直に琴音を見つけるために居間を後にする。

 



「あー、そういえば風呂だっけ」



 そうしてやたらと長く感じる廊下を歩いている中、目的の彼女がバスタイムであることを思い出して頭を掻く。

 流石に風呂に乱入するわけにはいかない。

 かと言ってノコノコと居間に戻る気分でもない。




「雫のトコにでも行って時間潰すか……」




 意外と雫の部屋は暇を潰すにはもってこいの場所なのだ。

 見つけたら取り上げなければならないブツも隠されてはいるのだろうが、お小遣いが出る度にしこたま買い込んでいるサブカルアイテムは琴音が風呂から出るまでの時間は余裕で稼いでくれるだろう。



 思い立つと共に目の前まで迫っていた琴音の部屋から進路を変えるべく背を向けようとする。




「服を忘れるなんて……」




「え……?」




 と同時に突如として目の前の襖が開き、風呂に入っているはずの琴音が着替えを抱えた姿で現れた。




「……え?」



 肌色成分多め。

 というか下着姿で。

 おそらく服を脱いだ辺りで着替えがないことに気が付いた。

 それで急いで取りに戻ってきた。といったところだろう。



「……」



 互いに間の抜けた声の後、無言が支配する空間で琴音が静かに手を振りかぶる。



 いや待て、これは悲しい事故だ。

 そうやって無言なのは悲鳴を上げられるよりも怖いぞ。

 だからと言って悲鳴を上げられたら困るんだが。



「見てますよね」



 見てない。

 ごめんなさい。嘘です。

 現在進行形でばっちり見てます。

 琴音さんって意外と着やせするんすね。

 なかなかのスタイルだと思います。しっかりと存在している谷間に、妙に色を放っている肩回りというか腰というか、綺麗な肌にすらりとした脚。

 白の下着と合わさっていい感じだと思う。



「何か言うことはありますか?」



 あ、これもうだめだ。

 自業自得とはいえ真っ赤に染まった琴音の顔を直視して和解は不可能と直感する。



「ごちそうさまです」



 素直に眼福の感謝を伝えると共に頬を叩く音が辺りに鳴り響いた。




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